元気印

毎日元気に過ごす私の出来事

須磨いるハイキング

2021-07-21 22:01:54 | 楽しみ

6月は雨で中止、8月は猛暑で中止。暑い中、参加しました。中央市場駅集合。何処に行きたいか?みんなで決めます。地図を見たり駅の看板を見たりして。

どなたも行ったことのない資料館を見つけ、ここにしましょう。まずは橋を渡り東に二筋。

うつろ覚えで出発。何人もの方にお聞きしが、、、やっと最後の方がご存じでした。

今は公開されていないし神戸市所有。庫津(ひょうごのつ)は、古代から明治まで国内外の交易の要衝でした。平安時代には「大輪田泊」(おおわだのとまりと呼ばれ)平清盛が修築し、また江戸時代には北前船などの瀬戸内海運の拠点となり栄えた港でした。
この辺りが、江戸時代後期に幕府領になった後、兵庫津を管轄するために、海岸に近い南部の地域を北濱、南濱、内陸部を岡方と三分割しました。
岡方はこの三方の内でも、西国街道に接する海運、陸運の結節点として栄えました。
「岡方倶楽部」は、海陸の要として繁栄を極めた岡方総会所の跡地に、兵庫商人の社交場として昭和2年に建設されました。
鉄筋コンクリート三階建てで、大正時代に流行したモダンな様式で、タイルと石を張りめぐらせた外観や正面玄関のアーチ装飾などは、古びてはいますが今でも魅力的で、91年前ならさぞや話題になった事だと思います。
この岡方倶楽部の建物は、大正13年に新川運河に架けられた「おほわだばし」と共に、太平洋戦争の戦災にも、阪神・淡路大震災にも耐えて生き残った貴重な遺産。

兵庫大仏に向かいます。ここは皆さんよく行かれるところです。

鎖国が解除されて兵庫港が開港したことで、キリスト教信者が急激に増え、仏教徒らは危機感を抱いた。そこで、仏教のシンボルとなる大仏を建立すべく行動したのだ。その時に莫大(ばくだい)な金額を寄進したのが、兵庫の豪商・南条荘兵衛である。

初代の大仏は明治24年(1891)に建立。座高は8.5mだったが、その後、第二次世界大戦中の昭和19年(1944)、金属回収令によって国に供出されてしまった。その後、長く不在が続いたが、大仏建立100年目に当たる平成3年1991に再建され、現在に至っている。

マキの街路樹を歩き珍しいラッピングのポストを見ながら西出鎮守稲荷神社に向かいます。

18世紀末以前に創建。町内では「ちぢみさん」と呼ばれる。境内には平敦盛の兄である平経俊の「供養塔」や、豪商・高田屋嘉兵衛が献上した「灯籠」、そして、昭和15年頃つくられたビリケンがある。戦前につくられたビリケンさんは、
国内で2体だけといわれ、近くの松尾稲荷にあるビリケンについで、西出鎮守稲荷のビリケンが古い。

神戸駅まで歩いてランチ。休憩後大倉山まで歩き地下鉄で帰路につきました。

コメント
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