今回茶の世界の講義ですが闘茶という言葉を知りませんでした。
別名茶歌舞伎・茶寄合というのは単語として聞いたことはあります。
興味津々瓜生山・京都造形芸術大学へ出かけました。
例によって早めに行きカフェでスタンバイ・・・失敗です、ゆっくりしすぎて会場に入ると
席は大方埋まってしまい中ごろの補助席に着きます。
闘茶とは・・・
南北朝時代1350年あたり栄西が中国より茶の木を持ち帰り明恵上人に伝わり京都栂尾に植えたのが始まりです。
当初は薬として用いられていました。
次第に庶民にも味わう事が出来てきます。
ただ飲むだけでなく産地を当てるゲームとして京都の茶葉を本茶、他の産地を非茶を飲み比べます。
海外のワインのテイスティングにも似ています。
又香を聞く問香にも同じような競い方をします(問香のほうが早いそうですが)
筒井先生の講義が前半にあり後半は麹谷先生による飲み分けの模様を生徒20人が壇上に上がり体験しました。
まず京都の本茶を喫し次は東京のお茶を味わいます、そのあともう一服味わって京都か東京か全く違う産地か当てます。
10名が正解でした、正解者だけもう一服いただき再び3種のお茶か別種類か当てます。
皆さん首をかしげ、かしげ出した答えがあっていたのは2名となりました。
かなり難しいそうです迷うと余計ダメだそうです・・・・私もやりたかった。
なお参加された筒井先生は考えすぎでしょうか不正解でした。
およそ100年ぐらいで抹茶が隆盛になり闘茶はすたれていったそうです。
なかには賭け事として全財産を失う人もあったそうです。
それにしてもいくら薬とはいえ100杯近く飲むことになるそうですよ。
お茶は粉茶を入れ茶筅で立てて飲むのだそうですが当時は団茶(発酵させた茶を板状にしたもの)か抹茶か煎茶なのか記録はないそうです。
時間が大幅に超過しましたが楽しい講義でした。
別名茶歌舞伎・茶寄合というのは単語として聞いたことはあります。
興味津々瓜生山・京都造形芸術大学へ出かけました。
例によって早めに行きカフェでスタンバイ・・・失敗です、ゆっくりしすぎて会場に入ると
席は大方埋まってしまい中ごろの補助席に着きます。
闘茶とは・・・
南北朝時代1350年あたり栄西が中国より茶の木を持ち帰り明恵上人に伝わり京都栂尾に植えたのが始まりです。
当初は薬として用いられていました。
次第に庶民にも味わう事が出来てきます。
ただ飲むだけでなく産地を当てるゲームとして京都の茶葉を本茶、他の産地を非茶を飲み比べます。
海外のワインのテイスティングにも似ています。
又香を聞く問香にも同じような競い方をします(問香のほうが早いそうですが)
筒井先生の講義が前半にあり後半は麹谷先生による飲み分けの模様を生徒20人が壇上に上がり体験しました。
まず京都の本茶を喫し次は東京のお茶を味わいます、そのあともう一服味わって京都か東京か全く違う産地か当てます。
10名が正解でした、正解者だけもう一服いただき再び3種のお茶か別種類か当てます。
皆さん首をかしげ、かしげ出した答えがあっていたのは2名となりました。
かなり難しいそうです迷うと余計ダメだそうです・・・・私もやりたかった。
なお参加された筒井先生は考えすぎでしょうか不正解でした。
およそ100年ぐらいで抹茶が隆盛になり闘茶はすたれていったそうです。
なかには賭け事として全財産を失う人もあったそうです。
それにしてもいくら薬とはいえ100杯近く飲むことになるそうですよ。
お茶は粉茶を入れ茶筅で立てて飲むのだそうですが当時は団茶(発酵させた茶を板状にしたもの)か抹茶か煎茶なのか記録はないそうです。
時間が大幅に超過しましたが楽しい講義でした。
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