茨城県近代美術館にはシニャックの水彩素描4点がある。
そのうち「ロッテルダム」については、島根県立美術館にあるシニャックの油彩作品との関連からすでにこのブログで触れた。
残り3点の水彩素描のシニャックは、パリの中心部を描いたものである。
パリの中心部を描いたものであるから、日本に大勢いるパリ好きな人々には興味があるかもしれない。
だが、実際には、この3点は、ちいさな水彩素描であるためか、あまり知られていないようで、残念なことだ。
ちょっと混乱しやすいので、最初に、それぞれの作品名と制作年を示しておく。
(1)「ポン・ヌフ」1912
(2)「ポン・ヌフ」1927
(3)「パリのシテ島」1927
このうち、(1)の「ポン・ヌフ」は、1931年作のひろしま美術館にある油彩画「パリ、ポン・ヌフ」に非常によく似ているが、この事実もほとんど知られていない。
ひろしま美術館の作品を見ると、コンシエルジュリー、パレ・ド・ジュスティス、サント・シャペル、ノートル・ダムが、描かれたポン・ヌフの真ん中から右上方に順に見えている。
ポン・ヌフの中央真下に煙を吐いた小舟を配した構図も同じ。
画家の視点は、どこにあるのだろうか。
おそらく、セーヌ河右岸のポン・デザールのたもとあたりにあるのではないだろうか。舟の上だとしても、その辺には違いない。
ひろしま美術館と、茨城県の素描との大きな違いは、画面左側の川岸に降りてくる小道にある。
茨城県の素描では、それが緩やかな曲面を描いてカーブしているが、ひろしま美術館の油彩画では直線構造となっている。
おそらくこれが、1912年と1931年の違いなのだろう。だから茨城の素描は、一見、ひろしま美術館の作品のための素描のように見えたが、実はそうではないようだ。
実際、1913年のシニャックの油彩画で「ル・ポン・ヌフ」(個人蔵)という作品(下図)があり、茨城の素描は、画面左側の川岸に降りてくる小道を含め、こちらの方によく似ている。年代もその個人蔵の油彩画は翌年であるから、きわめて近い。画面左方の大きな木々の形や、画面中央部の煙を吐く小舟、セーヌ水面の反映パターンまで、こちらの作品に、きわめて類似。
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だが、シニャックのカタログ・レゾネを作ったカシャンはなぜか茨城の素描に触れていない。
彼女が、この個人蔵の関連作品としているのは、この作品と同一サイズで、画面右下に署名と年記がある墨による淡彩作品(lavis d'encre de Chine)だ。
茨城の作品は、水彩と同館で分類しているが、これも墨による淡彩としてもよい作品ではなかろうか。ただし、こちらは画面左下に署名と年記があり、サイズもそれより一回り小さい。
だから、カシャンが述べている関連する作品とは、明らかに茨城の作品のことではない。別の作品のことだ。
このように、茨城のシニャックのデッサンには、これから解決しなければならない問題が残されている。
だが、最初に述べたように、この作品が、20年後のひろしま美術館の作品ともよく似ていることは興味深く、それらの20年間の差だけではなく、今から100年以上前のパリが、今とそれほど違ってはいないということもあらためてわかり、シニャックの作品をこんな観点から見るのも面白い、そう感じる人がいればと思って、この2点について語ってみた。
そのうち「ロッテルダム」については、島根県立美術館にあるシニャックの油彩作品との関連からすでにこのブログで触れた。
残り3点の水彩素描のシニャックは、パリの中心部を描いたものである。
パリの中心部を描いたものであるから、日本に大勢いるパリ好きな人々には興味があるかもしれない。
だが、実際には、この3点は、ちいさな水彩素描であるためか、あまり知られていないようで、残念なことだ。
ちょっと混乱しやすいので、最初に、それぞれの作品名と制作年を示しておく。
(1)「ポン・ヌフ」1912
(2)「ポン・ヌフ」1927
(3)「パリのシテ島」1927
このうち、(1)の「ポン・ヌフ」は、1931年作のひろしま美術館にある油彩画「パリ、ポン・ヌフ」に非常によく似ているが、この事実もほとんど知られていない。
ひろしま美術館の作品を見ると、コンシエルジュリー、パレ・ド・ジュスティス、サント・シャペル、ノートル・ダムが、描かれたポン・ヌフの真ん中から右上方に順に見えている。
ポン・ヌフの中央真下に煙を吐いた小舟を配した構図も同じ。
画家の視点は、どこにあるのだろうか。
おそらく、セーヌ河右岸のポン・デザールのたもとあたりにあるのではないだろうか。舟の上だとしても、その辺には違いない。
ひろしま美術館と、茨城県の素描との大きな違いは、画面左側の川岸に降りてくる小道にある。
茨城県の素描では、それが緩やかな曲面を描いてカーブしているが、ひろしま美術館の油彩画では直線構造となっている。
おそらくこれが、1912年と1931年の違いなのだろう。だから茨城の素描は、一見、ひろしま美術館の作品のための素描のように見えたが、実はそうではないようだ。
実際、1913年のシニャックの油彩画で「ル・ポン・ヌフ」(個人蔵)という作品(下図)があり、茨城の素描は、画面左側の川岸に降りてくる小道を含め、こちらの方によく似ている。年代もその個人蔵の油彩画は翌年であるから、きわめて近い。画面左方の大きな木々の形や、画面中央部の煙を吐く小舟、セーヌ水面の反映パターンまで、こちらの作品に、きわめて類似。
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だが、シニャックのカタログ・レゾネを作ったカシャンはなぜか茨城の素描に触れていない。
彼女が、この個人蔵の関連作品としているのは、この作品と同一サイズで、画面右下に署名と年記がある墨による淡彩作品(lavis d'encre de Chine)だ。
茨城の作品は、水彩と同館で分類しているが、これも墨による淡彩としてもよい作品ではなかろうか。ただし、こちらは画面左下に署名と年記があり、サイズもそれより一回り小さい。
だから、カシャンが述べている関連する作品とは、明らかに茨城の作品のことではない。別の作品のことだ。
このように、茨城のシニャックのデッサンには、これから解決しなければならない問題が残されている。
だが、最初に述べたように、この作品が、20年後のひろしま美術館の作品ともよく似ていることは興味深く、それらの20年間の差だけではなく、今から100年以上前のパリが、今とそれほど違ってはいないということもあらためてわかり、シニャックの作品をこんな観点から見るのも面白い、そう感じる人がいればと思って、この2点について語ってみた。