あまり知られていないが、中村彝にはチェンニーノ・チェンニーニの『芸術の書』の翻訳の他、イポリット・テーヌの『芸術の哲学』の翻訳がある。
この訳稿は、中村彝会から寄贈されて、現在は茨城県近代美術館に保管されている。
同館に収蔵されたのは、3分冊になっているが、この他にも訳した断片的な原稿があるはずだ。
しかし、それがどこに行ったか、今は不明である。
茨城県に寄贈された3分冊は、別な翻訳本と照合してみると、第1編の第1章と第2章、そして第5編の第4章(最終章)に相当している。
下図は、第1篇第1章の表紙である(画像は『茨城県近代美術館研究紀要』第12号から)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/52/ce79ece46299dac132d0c07d7f206dd6.jpg)
この表紙を見てみると、ちょっと、おかしなところがあることに気づく。
ペンで書いてある文字は3行で、新字体で記すとこうなっている。
テーン著(中村彝訳)
芸術ノ哲学(第一編第一章)
(鈴木良三筆写)
ただし、最後の文字列は鉛筆で覆い消されている。しかし、括弧内は明らかに上記のように読める。
さらに、1行目と3行目の括弧および、括弧内の文字列は、その他の文字のインクの色とは異なり、明らかにあとから書き加えられたと見ることができる。これらが、おかしな点である。
この翻訳本3冊が茨城県に寄贈されたとき、これらは、特に何の注意も引かなかったらしい。
3行目が鉛筆で覆い消されていても、中身の原稿は彝自身の文字であることは明らかであるから、特に問題とはならなかったのだろう。
しかし、私が彝のある作品の真贋を調べるため、彼の文字に興味を持ち始めたとき、この表紙のことが気になってきた。
いったい誰が、この表紙にわざわざ「中村彝訳」と書き入れ、そして、「鈴木良三筆写」の文字を鉛筆で覆い消したのか?
誰が?
文字の方は、ある範囲の関係者の筆跡を調べればわかるかもしれないが、鉛筆で覆い消してあるのは、誰がそんなふうにしたかわかるわけがない、そう思った。それに、仮に誰がそんなことをしたか、わかったところで何の意味がある?
誰がとか、なぜとか、こうしたことは、寄贈当時に誰も真剣に疑問には思わなかったとしても、当然だろう。
「中村彝訳」と書き入れたのは、それが彝の訳だから、誰かが書き入れただけであり、「鈴木良三筆写」が消してあるのは、それが良三氏の筆写ではないからである。
ただ、それだけのことである。何も問題はない。
確かに、それだけのことであり、長いこと誰もこれを奇妙なことだとは、思わなかった。
それから、しばらく、そのまま時が過ぎた。
そして、このテーヌの訳稿ではなく、チェンニーニの彝の訳稿に問題があることに、私は、ある時、気づいたのである。
この訳稿は、中村彝会から寄贈されて、現在は茨城県近代美術館に保管されている。
同館に収蔵されたのは、3分冊になっているが、この他にも訳した断片的な原稿があるはずだ。
しかし、それがどこに行ったか、今は不明である。
茨城県に寄贈された3分冊は、別な翻訳本と照合してみると、第1編の第1章と第2章、そして第5編の第4章(最終章)に相当している。
下図は、第1篇第1章の表紙である(画像は『茨城県近代美術館研究紀要』第12号から)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/52/ce79ece46299dac132d0c07d7f206dd6.jpg)
この表紙を見てみると、ちょっと、おかしなところがあることに気づく。
ペンで書いてある文字は3行で、新字体で記すとこうなっている。
テーン著(中村彝訳)
芸術ノ哲学(第一編第一章)
(鈴木良三筆写)
ただし、最後の文字列は鉛筆で覆い消されている。しかし、括弧内は明らかに上記のように読める。
さらに、1行目と3行目の括弧および、括弧内の文字列は、その他の文字のインクの色とは異なり、明らかにあとから書き加えられたと見ることができる。これらが、おかしな点である。
この翻訳本3冊が茨城県に寄贈されたとき、これらは、特に何の注意も引かなかったらしい。
3行目が鉛筆で覆い消されていても、中身の原稿は彝自身の文字であることは明らかであるから、特に問題とはならなかったのだろう。
しかし、私が彝のある作品の真贋を調べるため、彼の文字に興味を持ち始めたとき、この表紙のことが気になってきた。
いったい誰が、この表紙にわざわざ「中村彝訳」と書き入れ、そして、「鈴木良三筆写」の文字を鉛筆で覆い消したのか?
誰が?
文字の方は、ある範囲の関係者の筆跡を調べればわかるかもしれないが、鉛筆で覆い消してあるのは、誰がそんなふうにしたかわかるわけがない、そう思った。それに、仮に誰がそんなことをしたか、わかったところで何の意味がある?
誰がとか、なぜとか、こうしたことは、寄贈当時に誰も真剣に疑問には思わなかったとしても、当然だろう。
「中村彝訳」と書き入れたのは、それが彝の訳だから、誰かが書き入れただけであり、「鈴木良三筆写」が消してあるのは、それが良三氏の筆写ではないからである。
ただ、それだけのことである。何も問題はない。
確かに、それだけのことであり、長いこと誰もこれを奇妙なことだとは、思わなかった。
それから、しばらく、そのまま時が過ぎた。
そして、このテーヌの訳稿ではなく、チェンニーニの彝の訳稿に問題があることに、私は、ある時、気づいたのである。