美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

中村彝のテーヌ訳稿表紙の謎

2015-07-09 15:00:13 | 中村彝
あまり知られていないが、中村彝にはチェンニーノ・チェンニーニの『芸術の書』の翻訳の他、イポリット・テーヌの『芸術の哲学』の翻訳がある。

この訳稿は、中村彝会から寄贈されて、現在は茨城県近代美術館に保管されている。

同館に収蔵されたのは、3分冊になっているが、この他にも訳した断片的な原稿があるはずだ。
しかし、それがどこに行ったか、今は不明である。

茨城県に寄贈された3分冊は、別な翻訳本と照合してみると、第1編の第1章と第2章、そして第5編の第4章(最終章)に相当している。

下図は、第1篇第1章の表紙である(画像は『茨城県近代美術館研究紀要』第12号から)。



この表紙を見てみると、ちょっと、おかしなところがあることに気づく。

ペンで書いてある文字は3行で、新字体で記すとこうなっている。

テーン著(中村彝訳)
芸術ノ哲学(第一編第一章)
       (鈴木良三筆写)

ただし、最後の文字列は鉛筆で覆い消されている。しかし、括弧内は明らかに上記のように読める。
さらに、1行目と3行目の括弧および、括弧内の文字列は、その他の文字のインクの色とは異なり、明らかにあとから書き加えられたと見ることができる。これらが、おかしな点である。

この翻訳本3冊が茨城県に寄贈されたとき、これらは、特に何の注意も引かなかったらしい。
3行目が鉛筆で覆い消されていても、中身の原稿は彝自身の文字であることは明らかであるから、特に問題とはならなかったのだろう。

しかし、私が彝のある作品の真贋を調べるため、彼の文字に興味を持ち始めたとき、この表紙のことが気になってきた。

いったい誰が、この表紙にわざわざ「中村彝訳」と書き入れ、そして、「鈴木良三筆写」の文字を鉛筆で覆い消したのか?

誰が?
文字の方は、ある範囲の関係者の筆跡を調べればわかるかもしれないが、鉛筆で覆い消してあるのは、誰がそんなふうにしたかわかるわけがない、そう思った。それに、仮に誰がそんなことをしたか、わかったところで何の意味がある?

誰がとか、なぜとか、こうしたことは、寄贈当時に誰も真剣に疑問には思わなかったとしても、当然だろう。

「中村彝訳」と書き入れたのは、それが彝の訳だから、誰かが書き入れただけであり、「鈴木良三筆写」が消してあるのは、それが良三氏の筆写ではないからである。

ただ、それだけのことである。何も問題はない。

確かに、それだけのことであり、長いこと誰もこれを奇妙なことだとは、思わなかった。
それから、しばらく、そのまま時が過ぎた。

そして、このテーヌの訳稿ではなく、チェンニーニの彝の訳稿に問題があることに、私は、ある時、気づいたのである。






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