美術の学芸ノート

中村彝、小川芋銭などの美術を中心に近代の日本美術、印象派などの西洋美術。美術の真贋問題。広く呟きやメモなどを記します。

中村彝 『芸術の無限感』掲載写真の撮影年とブルーズの自画像

2015-07-13 11:48:27 | 中村彝


上の写真は、『芸術の無限感』(新装普及版)に掲載されているよく知られている写真である。
その撮影年は、ご覧のように大正6年となっている。だがそれは、おそらく訂正が必要だろう。

この写真は、以下のように、きわめて重要な情報を含んでいる。

まず、背景の壁に飾られている裸体画。
彝と言えばルノワールの影響が語られるが、この壁に貼ってあるのは、実はドガのパステルによる裸体画だ。それは、後の別な写真にも認められる。

その左に寒暖計がある。髑髏のある静物や最晩年の老母像などに出てくるモティーフ。

ドガのパステル画の下には、現在、茨城県近代美術館蔵になっている静物画がある。それは一般に大正8年の制作年とされている。

その下部にも同じ水差しを使ったと思われる静物画があるが、これは現在、所在不明の作品である。

ドアの前にあるのは、「数藤先生の肖像」(画面左下に「1920」の年記がある)と思われる。まだ未完成かも知れない。この作品は遅くとも大正7年11月16には着手されていることが、彝の書簡からわかる。従って写真はそれ以後に撮られていることは確実だ。

その作品の右側の壁にかかっているのは、<帽子掛けのモティーフ>と私が呼んでいるものである。それは、ある時、鈴木良三氏がそのように私に教えてくれたものだ。
このモティーフは、「カルピスの包み紙がある静物」や「大正八年六月彜」の年記がある重要な静物画などに出てくる。

それから弓なりになっいる?板絵、これは、横須賀美術館にある「落合のアトリエ」(大正5年頃)と思われる。

上記のうち、作品が完成されて額縁に入っているのは、茨城県近代美術館の「静物」である。

以上のことから、写真の撮影年は大正6年ではありえず、厳密に考えても大正7年11月16日以降、おそらく大正8年以後に撮られたものと考えられる。

しかし、可能性は少ないと思われるが、もし写真が大正6年だとすれば、いくつかの作品の方の制作年の再検討が迫られることになる。

それから余談だが、彝は口に何か咥えている。これは、Chinchiko Papaさんがブログで述べている「オゾンパイプ」かもしれない。良三氏は「ハッカパイプ」と言っていたが、同じものを指しているのかもしれない。

そして、これは重要だが、彝が着ているのは、仕事着のブルーズだろう。
野間文化財団の「自画像」(大正8年または9年頃)は、白いブルーズを着ているように見え、この写真の彝にそっくりだ。さらに、この作品でもう1つ注目されるのは、その白いブルーズの下の絵の具の層が透けて見えることである。
下の絵の具の層に、前に私がこのブログで指摘した赤と緑の植物文様が透けて見える。

レントゲン写真を撮れば下層の絵に何が描かれていたか、もう少しはっきりわかるだろう。俊子の絵は明治の終わりから大正初期に描かれ、その背景にこの文様が描かれていることが多いので、その頃の絵が出てくるかもしれない。

※白いブルーズの自画像の制作年は、洲崎義郎によれば、大正8年11月以前である。確かに背景の色調などにおいて、洲崎の肖像に近い特徴が見られる。










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