美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。

ピサロの「農家の娘」とMETの関連作品

2015-09-02 15:52:11 | 西洋美術

茨城県近代美術館蔵のピサロのパステル画「農家の娘」は、ニューヨークのメトロポリタン美術館(The MET)の油彩画「二人の若い農婦」の画面前景に大きく登場する左側の女性を描いたものである。
つまり茨城県近代美術館の作品はMETのこのピサロのための習作である。

METの作品は、「おしゃべり」と題されることもあるが、同館では単に「二人の若い農婦」としている。
実際、この作品を見るとそんなに夢中で<おしゃべり>しているような気配はあまり感じられない。(METのタイトルは、1892年1~2月の展覧会カタログに従ったものである。また「おしゃべり」は、1939年のカタログ・レゾネに拠るものである。)

ここには<おしゃべり>と言うよりも、何か大きくモニュメンタルな、静かな威厳に満ちた雰囲気がある。

農村風景とそこに配した人物に対するピサロの芸術的=思想的信条が画面に滲み出ているからだろう。

ピサロにとって急速な近代化は決して愉快なものではなかった。
この作品の背景のような大地とそこに生活する人間こそが第一に重要なものである。

しかし、農村生活と働く人間たちへの尊厳の眼差しは、ミレーのようにかなり理想化した姿によって表現されるのではない。むしろ、ありのままに生きている人間の姿にそれを見ていこうという態度なのである。
そして、その同時代性や画面作りには、ドガやスーラの人物設定と共有するものがある。

ただし、この作品の二人の女性のポーズは、それほどは似ていないのだが、ピサロが見ているはずのミレーの木版画から借りてきた可能性も指摘されている。

だが、そこには頬杖をついたポーズはない。これは、日常的な姿勢だが、描くのは難しい。これには、実際のモデルを使って入念な予備的習作を必要としたのではないか。

それが、茨城県が持っている作品となったのだろう。

METの作品における右側の女性を描いた同等な習作は知られていない。
これは、頬杖をついたポーズほどは難しくはなさそうなので、鋤を持った人物像のミレーの木版画がかなり参考になっているのかもしれない。

さて、画面前景左側の女性だが、この人はウージェニ・エストリュック、通称ニニと同定されている。彼女はピサロの妻ジュリー・ベレイの姪にあたる人物で、ピサロの母のメードとして働いた。1863年に生まれ、1931年に亡くなっている。

この情報は茨城県近代美術館にとっては重要だろう。

なお、METの作品解説では、「農家の娘」が茨城県近代美術館蔵になっていることは、2014年時点でも承知していない。フランスの個人蔵のままになっている。

それから、茨城県の作品は1892年作となっているが、METの作品が1891年の夏に始まり、1892年の1月半ばに完成しているのだから、むしろ1891年の可能性が高いように思われる。

METの作品は、ピサロが初めて大きな成功を収める1892年1月下旬から始まった展覧会に出品された。が、この作品は売られずに、後に彼の妻に贈られた。

ピサロの様式は、1891年までに、それまで過去5年間ほど続いていた点描法から離れている。
しかし、METの作品には、非常に明るい点描法的な雰囲気やパステル画風な筆致や色彩も感じられる。




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