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美術の学芸ノート

中村彝などを中心に近代日本美術、印象派などの西洋美術の他、独言やメモなど。現在、「はてなブログ」に引越し中。

三浦篤著『まなざしのレッスン2』第12章からの読書メモ

2016-04-17 20:08:52 | 制限記事
絵画に装飾的な要素を取り入れる:ヴュイヤールとクリムトの例 

クリムトの「黄金様式」

機械的ものとエロティックなものを融合させるデュシャンらしい構成の「大ガラス」:性愛をめぐる男女の不毛な関係がテーマになっているらしい。

デュシャンの「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」不可解な題名の作品だが見る行為を復活させている。

美術界(アートワールド)から承認されれば「美術」や「芸術」になってしまう。

美術界とは作者、画商(市場)、学芸員(美術館)、美術批評家、美術史研究者などをふくむ「美術の価値や意義を定める世界」の全体

イヴ・クラインの「非物質的な絵画的感性の領域の譲渡」(1962)(金箔を川に撒き、渡した領収書を焼却させる祭儀のようなパフォーマンス)は宗教的な儀式に近い行為

アート、アーティストの意味する範囲があまりに広がり過ぎているように見える。

以上、標記本第12章からのメモ

「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」の原題は、<Étant donnés: 1° la chute d'eau, 2° le gaz d'éclairage)>(1946~1966年)(フィラデルフィア美術館蔵)。一般に”Étant donnés”は日本では「与えられたとせよ」と命令形で訳されている。が、以前から疑問に思っていたのだが、これは数学的な命題で「~が与えられている(~がある)場合」、あるいは「~という条件(仮定)では」という意味ではないのだろうか。「与えられたとせよ」というと耳慣れない日本語から神秘感や不可解性はいっそう強まる感じがするが、「(1)落下する水と(2)照明用ガスとが与えられた場合」の方がより自然な日本語だ。 
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4月16日(土)のつぶやき

2016-04-17 03:37:35 | 日々の呟き

水戸芸術館現代美術センター芸術監督の浅井俊裕さんが
平成28年4月15日午前4時30分に永眠されたと聞きました。
享年54歳。早すぎる死に残念な思いでいっぱいです。

Riki67さんがリツイート | 1 RT

水戸芸術館現代美術センター芸術監督 浅井俊裕氏(54歳)が
本日午前4時30分に永眠されました
通 夜 4月19日(火)午後6時から
告別式  4月20日(水)午後1時30分から
場 所  セレモニア富士 水戸駅南館
水戸市桜川2‐5‐11  電話 029(231)0081

Riki67さんがリツイート | 31 RT

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