宇宙(そら)に続く丘

プレリュード小学校1年C組のしりとりちーが案内する宇宙への道
みかんの丘は不思議へ通じるワームホール

45センチを月に

2011年07月11日 00時12分58秒 | 

夕暮れ時、西のほうから分厚い雲が押し寄せて来た。まあいつもの事だ。今夜は晴れる。きっと晴れる。自分にそう言い聞かせて観測デッキに上がり、久々に45センチを固定していたひもを解く。なんと、斜鏡が完全に曇っていた。下向きなのに。しまった、再メッキが必要かも。そう思いながら薄い洗剤を浸したティッシュと水道水で濡らしたティッシュで用心深く拭いてみる。幸い曇りは梅雨の湿気で埃が分厚くこびりついていただけだった。一安心。主鏡の方はアクリルカバーのお陰でなんともない。

 

よし、久々。本当に久々に竹取庵の屋根を開く。夜にこうして屋根を開くのはなんと2月以来実に5カ月ぶりだった。少し不安だった空も…

 

見ろ!ちゃんと晴れてる。これでこそ梅雨明けだ。西と南に低く雲は見えるが、そのほかの場所は晴れている。透明度も高く、月の周囲でさえかなりの星が数えられた。トップリングにカメラを取り付け、筒先を八日月へ。まもなく取り付けたカメラのモニターに、地球の大気を感じさせない月面が浮かび上がった。

 

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山稜落月

2011年05月07日 00時49分32秒 | 

観測デッキに注ぐ陽射しがまぶしい。今夜はこのまま晴れるのだろうか。大きいカメラを持ってくるべきだっただろうか。少し期待したが、いったん薄くなっていた黄砂は再びあたりに立ち込め始め、夕刻には島影も淡くなってしまった。黒点も撮れたし、今日は帰ろう。
屋根を閉め、大工道具も片づけて竹取庵に鍵を掛ける。丘を下ろうとすると、向かい側の山に細い月が掛っていた。月齢2。このあたりの地形はほとんどがなだらかだが、この山だけは少し傾斜が急だ。なんだか絵に描いたような風景だった。車を止めてカメラを向ける。明日からまた天気が悪いそうだ。次に観測デッキの屋根を開くのはかなり先になるだろう。

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金星のような月

2010年10月12日 01時27分10秒 | 

夕焼けの空にかすかに光る金星。それでも明るさはマイナス4等級を上回っていると言う。西の空は、まだそれほど明るかった。その明るい空で金星のすぐ近くに、モニターに映る金星と同じ形をした月が浮かんでいる。月齢2.6。傾きが違うのは、月のほうが金星よりも少し上に有るからだ。
双眼鏡で眺めた細い月は、陽炎に激しく揺れながら、ペタビウスのクレーターあたりを下にしてゆっくりと沈もうとしている。そうだ。久々にかぐや姫で月を撮ろう。そう思いついて屋根をいっぱいに開け、姫の目を覆っていたカバーを外した。高度10度はとっくに切っている。主鏡が倒れませんように。観測デッキの壁に少し掛かった形で撮影した月。それでも何とかクレーターの形を写し取ることが出来た。

この連休。本当はゲストをお呼びする予定だった。しかしべったりと仕事が入り、そのほかの理由も加わってかなわなかった。天文台は映画館や美術館と違って鑑賞するものが自然だ。だから天気に左右される。しかも、見るものが刻々と変わってゆく。その為、ではまた来週というわけにはなかなか行かない。今夜はその条件が揃っているのに。晴れ渡る夕空がもったいなく思えた。

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月が昇る

2010年06月07日 19時28分17秒 | 

天の川を堪能しながら「はくちょう座」を撮影するうち、東の山の端が次第に明るくなってきた。月が昇る。そう、今夜の撮影チャンスは、天の川が高度を上げてから月が昇るまでのわずか2時間ほどだった。その貴重な時間も家を出遅れたためにかなり喰われていた。
木立の隙間を縫って下弦を過ごした月が見る間に昇ってくる。それはまるで生き物のようだった。そうだ、この様子を撮影しよう。そう思い立ってはみたものの、カメラを雲台から外して8センチの屈折に付け替え、ピントを合わせているうちに月は木立から離れずいぶん昇ってしまっていた。
月が昇ると、澄み切っていると思われた星空のあちこちに刷毛で曳いたような薄雲が見える。そういえば月自体も羽衣を纏っていた。空全体が明るくなる。撮影もここまでかな、そう思いながらシャッターを切った。感度は「はくちょう座」の撮影と同じく1600、シャッタースピード15分の1、F値は口径8センチ焦点距離600mmだから7.5かな。
月齢22。夕方の月とは太陽の当たり方が逆さまだ。普段見慣れたクレーターもなんだか別物のようで妙によそよそしい。

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発展と知性

2010年05月16日 23時05分41秒 | 

この週末も天気は良かったが、土曜日の遠距離出張で溜まった疲れが翌日に響き、今日はみかんの丘にも行かず、だらだらと過ごしてしまった。日暮れになってようやく外に出て、見上げる西空に息を呑む。三日月と金星のランデブーだ。
あわてて家に取って返し、カメラと三脚を持ち出した。望遠鏡はほとんど竹取庵に置いている。手持ちと言えば口径60ミリのファミスコ60しかない。沈むなよ、沈むなよ、そう心の中で祈りながらカメラを繋いで三脚にセット。感度640露出1秒で雲に入る直前のこの光景を何とか切り取ることが出来た。
三日月と輝星はイスラームの象徴だ。満月に向けて膨らんでゆく三日月は発展と進歩を、また金星に代表される輝星は光と知性をそれぞれ表すという。イスラム国家の中にはこの二つの天体を構図に取り入れているところも多い。

発展と知性。世界を見渡したとき、この二つのバランスがきちんと取れている国がいったいいくつあるだろう。そう考えてしまう。

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幽月(ゆうげつ)

2010年04月29日 00時07分44秒 | 

明け方の空に残る月を「有明の月」または「残月」と言う。しかし、午後のまだ明るい時間に見える月の呼び名は探したけれども分からない。ようやく見つけた言葉がたったひとつ、「昼月」。「ひるづき」と読むらしい。風情の無い呼び方だ。
そこで考えた。うっすらとして見落としそうな月、「幽(かそけ)き月」と言う事で「幽月」とはどうだろう。読みは「ゆうげつ」。
なかなかいい呼び名ではないか。今後昼下がりの空に掛かる月をそう呼ぼう、と一人悦に入った。しかし、この忙しい現代に昼間の月を眺める暇人は他にいないだろう。この言葉も僕一人の造語に終わるに違いない。
その幽月を眺めているうちに写真に撮りたくなった。かと言ってそれだけに竹取庵の屋根を開けるのは面倒だ。そこで床に転がっている口径80ミリ焦点距離600ミリの屈折を三脚に載せて持ち出し、カメラを取り付けた。
カメラ感度500、シャッタースピード350分の1。目に見える空の明るさそのままに撮影すると、月そのものが白く飛んでしまうので露出を少し短くしている。そのため記録された月は意外にくっきりと写り、それほど幽(かそけ)く見えない。

撮影した写真にかなりの画像処理を施して、見た目に近づけてみた。昼間の月に見えるだろうか。

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入り江の夜明け

2010年04月26日 19時08分08秒 | 

かぐや姫に取り付けたカメラのモニター。そこに映る月の中でひときわ目立つ地形がある。「虹の入り江」。餅搗きうさぎの胴体にあたる雨の海から、北西に入り込んだ直径260キロの円弧だ。
17世紀、ヨーロッパのの天文学者達は月の海が地上の天気を左右すると考えていた。だから月の海は天候にちなんだ名が多い。コンパスで引いたような美しい円弧に「虹の入り江」の名が与えられたのはこの頃かもしれない。
その虹の入り江が夜明けを迎える。朝日に映える入り江のほとり。もし僕が月に行けたなら、このほとりに立って昇り来る太陽を眺めたい。ただ、月は自転が遅い。地球なら2分で終わる日の出が1時間も掛かる。しかも、空気の無い月では日の出は赤くない。突き刺すような薄黄色だ。

虹の入り江から南へ1130キロ。雨の海を渡り切って嵐の大洋に入ると、月面で最も美しいクレーター「コペルニクス」に出会う。中学生のとき、僕が初めて憶えた月の地名だ。このクレーターは、月の海が冷えて固まったあと隕石の衝突によって出来た。だから海の上に噴石の飛び散った跡が残る。今から40億年も昔のこと。

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凍える4月

2010年04月25日 03時41分55秒 | 

異常低温と長雨。巷では野菜が高騰している。みかんの丘でも害虫が付いたり病気が出たりで苗に元気がない。そういえば去年も春に害虫が付いて苗木を何本も枯らしてしまった。異常気象も毎年となると異常とは言えない。そのうち長雨と害虫が春の季語になるのだろうか。久々に晴れた夕暮れ、そんな取りとめも無い事を考えながら観測デッキの屋根を開いた。
春の空に大きな月が掛かっている。月齢10.1。これほどの月でも透明度さえ良ければほかの天体の撮影が出来る。しかし今日は無理だろう。仕方ない。被写体は今回も月。長い間眠らせていたかぐや姫の主鏡からカバーを外してカメラを取り付けた。
モニターに現れる堂々たる月面。やはり月は見ごたえがある。しかし、それにしても気流が悪い。まだ上空に北西の季節風が吹いているのだろうか。フォーカスをあわせる手がかじかむ。ダウンを通して寒さがしみこむ。後10日もすれば立夏だというのに。

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月の光の不思議

2010年03月02日 05時30分22秒 | 

十五夜を撮影した後、空を見回して何を撮ろうかと考えた。しかし靄の薄く掛かった空は満月の明かりを拾って星を隠し、東の空は星座の形すらろくに分からない。そろそろ帰らなければ明日の仕事に差し支える。無理やり納得して機材を片付けると、鍵を掛けて外に出た。

明るい。みかんの丘に月の光が惜しげもなく降り注いでいる。遠くの山も近くの木々もはっきりと見え、それでいて眩しいところはどこにも無い。何だか見慣れた丘が別の場所のようだ。急いで部屋にとって返し、居間に明かりをつけて三脚を手に再び外に出た。カメラを取り付けて丘を少し下り、みかんの木の間から竹取庵を狙う。不自然な遠近感。まるでジオラマ、いや、夢に出てくる風景に良く似ている。
なぜだろう。レリーズを手にぼんやりと考えた。考えたけれども分からなかった。月光の不思議。月の光には、僕らの知らない魔法が少し含まれている。そう思えた。

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十五夜

2010年03月01日 04時18分41秒 | 

南米のチリで大地震が起きた。その津波が、地球を半周して日本を襲う。巨大な波による破壊こそ無かったが、襲来の時刻がちょうど大潮の満潮と重なって、浸水の被害が出た街もあった。
竹取庵は海に近い。海岸には警報が出ていた。まさか標高70メートルを超えるみかんの丘にまで波が来る事は無いだろうが、それでも昼間レンガを積む間も海が気になった。
津波の第一波襲来時刻には海に何の変化も無く、日が暮れて作業を終えた僕は竹取庵の屋根を開けた。今日は十五夜だ。東の山にまあるいお月様が顔を出している。月の表では兎が何事も無いように餅を搗いていた。月に兎が居る訳は、古代インドの神話に由来している。帝釈天にその身を捧げようと自ら火の中に身を置いた兎を哀れみ、帝釈天が黒焦げになった兎を月に揚げたと言う。だから月の兎は黒い。
そんなことを思い出しながらこの写真を撮っていると、ふもとの海岸で突然サイレンが鳴った。その音は東から始まり、海岸を走るように西に移っていった。津波の警戒警報だ。これから潮が差して来る。そのいやな音を聞きながら僕は目を月に戻したが、兎はそ知らぬ顔で杵を握っていた。

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アルタイの壁

2010年02月24日 20時41分59秒 | 

満月のときに現れる餅つき兎。その兎の二つの耳のうち内側の小さい耳は、月の地図では神酒(みき)の海と名付けられている。上の画像の右下に見える薄暗いところだ。そこを取り囲むようにそそり立つ絶壁にはアルタイの壁という名がある。
朝から良く晴れた日曜日、今日こそは撮影をとカメラを持って丘に登る。レンガ積みもそこそこに8センチの屈折望遠鏡に5ミリのアイピースを差込んで、それにカメラを接続した。拡大法という撮り方だ。ターゲットは火星のつもりだった。ところが…
思ったより気流が悪い。丘を渡る風はそれほどでもないが、上空がだめだ。この気流の乱れは、望遠鏡の口径が大きいほどよく拾う。仕方なく8センチをそのまま傾きかけている月に向けた。
ファインダーをのぞくと、アルタイの壁が下からの太陽の光を受けて輝いていた。長さが480キロもあるこの絶壁がなぜ出来たのかはっきりとは分かっていないという。
月にはクレーターと海のほかにも複雑な地形がたくさんある。その生い立ちがすべて分かるのはまだ先のことかも知れない。

(この写真は肉眼で見た上をそのまま上にしています。)

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地球照、月は鏡

2010年01月19日 12時49分15秒 | 

クリスマスツリー星団を撮影した翌日も空は晴れていた。ただ風が前日より強い。明日は仕事だし、今日は写真を撮るのをやめて帰ろうと外に出た。
夕暮れの西の空に細い月が掛かる。月齢2.1。これくらい細い月も美しい。欠けている部分がはっきりと見えていた。太陽に照らされた地球の輝きを受けて、月の影の部分が明るく見える。地球に照らされているから「地球照」という。
昔から人々は月を鏡になぞらえてきた。しかし、月面の反射率は意外に低い。7パーセント程度だという。それに比べて地球の反射率は30パーセントを超えている。表面を月には無い白い雲が覆っているためで、38万キロも離れた月面をこれほど照らすのはそのためだ。
この地球照がここ数年明るくなってきたという。それだけ雲が増えてきた、ひいては地球が暖かくなってきたということかもしれない。反射率39パーセントという観測もある。そういえば、満天の星空という日が、昔に比べて少なくなったような気がする。
地球照の明るさを観測して地球の気候変動を知ろうという試みも行われている。そう、やはり月は地球を映す鏡なのかもしれない。

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欠けた望月

2010年01月01日 10時28分32秒 | 

明けましておめでとうございます。

さて、このブログを読み返してみると、昨年の竹取庵は結構華々しかった。かぐや姫の遷座、自動ガイドシステムの導入、光害カットフィルターの組み込み。今年はどんな年になるのだろう。
昨夜、大晦日から元日に掛けては満月だった。ふつう満月は30日ごとに空に掛かるが、月と地球の位置関係から望遠鏡で見るとたいていどこかが少し欠けている。しかし昨夜の満月は、まったく欠けたところの無い完全な「もちづき」だった。
古代藤原の何某は、望月を己が世になぞらえて歌を詠んだというが、昨夜の月はまさにそれだったのだ。その無欠の満月に影が差し始めたのは午前4時前。影は次第に広がり、午前4時22分に最大となった。
現代の天文ファン達は元日早々の天体ショーと陽気に騒いでいたが、古代ならばパニックになるところだ。今年の秋口から初冬にかけてこの地上に何事も無ければよいがと、ふと陰陽師のような事を考えた。

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激戦の爪あと

2009年11月24日 20時59分57秒 | 

三連休最後の日、午後遅くにみかんの丘に登った。竹取庵に入り、屋根を開く。見上げると夕暮れの空に月が掛かっていた。月齢6.6。あれ、今日は気流が安定している。そうだ、今夜は月も撮ろう。
月を狙うのは口径45センチのかぐや姫と決めている。姫はまだ仮の玉座。自動で星を追うことが出来ない。だが月ならば撮影できる。カメラを取り付けスイッチを入れる。ライブモードのモニター画面に現れた月面はこれまでになく安定していた。この月齢が一番たくさんクレーターを眺めることができる。

その昔、二つの惑星が衝突した。その勢いでお互いの星の中身が宇宙空間に飛び散り、やがて再びそれぞれの星に落ちていった。今の月と地球はそうして出来たのだと天文学者は言う。小さいクレーターが大きいクレーターの上に出来ていてもその逆は無い。重い塊から先に落ちていったからだそうだ。
容赦なく降り注ぐ赤く焼けた岩石。僕は戦いのさ中の砦を想像した。あばたはその激戦の爪あとだ。

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黄金色の月

2009年09月23日 00時58分44秒 | 

今年のシルバーウィークは長い。土曜日を入れると5連休にもなる。その中日とも言える21日月曜日、午後も随分回ってからみかんの丘に上がった。
しばらくおばさんと話をした後竹取庵の屋根を開ける。今夜の目的は、撮影用に買った機材のチェックだ。モーターのうるさい音とともに次第に広がっていく秋の空。夕焼けが終わろうとしていた。ふと見ると山の端に細い月が掛かっている。月齢2.6。この値は正午のものだから、今の月齢は2.9となる。三日月だ。
そう言えば「三日月眉」と言う言葉がある。もちろんこんな形の眉は実際には無い。ただ、三日月の均整の取れた形を眺めていると、この言葉が実際の眉の形そのものを表わしているのではなく、細くて美しい眉の象徴として使われているのだと思えてくる。

それにしても夕日に映えて金色に輝く三日月は殊の外美しい。今夜のテスト撮影がうまく行きそうな気がした。

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