遠く離れていても太陽は大きい。だから地球の影には真ん中の濃い部分と周囲の薄い部分が出来る。月の出の時左下が薄暗く見えたのは、この半影と呼ばれる薄い影の中に月が差し掛かっていたからだった。それからおよそ20分後、月はいよいよ濃い影の部分、本影に入って行った。僅かな靄をまといながら煌々と輝いていた月が、左下からゆっくりと消えてゆく。それは昔の人ならずとも畏怖を抱かせるに充分な光景だった。
せっかくの機会だと言うのに今竹取庵の主砲かぐや姫は休暇中だ。だから今夜は赤道儀に載せた8センチを主力にすることに決めていた。大きいほうのカメラを取り付けたクリーム色の望遠鏡がわずかなモーターの音とともに昇る月を追う。女神アルテミスは今、秋の四辺形と呼ばれる4つの星の真下、うお座の中に居た。
牡牛の角の間を移動していた3年前の月食に比べて、この辺りは目立った星がほとんど無い。まるで波静かな海を航海する船を見ているような気がした。地球の自転とともに空の星たちは東から西へと動いてゆく。その流れに逆らうように、女神は星々の間を東へと移動する。衣の裾が陰り始めておよそ1時間後、月はどっぷりと地球の濃い影に身を落とした。
濃い影と言っても地球の大気による吸収と屈折で、太陽の赤い光だけは回り込むために真っ暗ではない。赤銅色に身を染めて空に浮かぶ月。それは、明るく輝く月とは全く違う、怪しげな光景だ。