東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

20日目 松島駅ー仙台駅

2012年04月06日 | 東北本線 花泉駅~仙台駅


2011年6月6日(月)晴れ

松島駅 午前6時20分 - 塩釜駅 午前9時50分 約11.6Km

きょうは今回の目的駅の仙台駅まで歩く予定だ。

距離はおおよそ27キロで、いままで一日で歩いた距離としてはもっとも長い。
普段スポーツで鍛えている人とは違いカウチポテト生活をしているジイさんには少々長い距離のような気がするがやってみるしかない。
さいわい快晴である。
雨より快晴の方がもちろん嬉しいが、気温も上がるので熱中症にならないように気をつけなければならない。

午前5時過ぎに起きだしてコンビニでサンドイッチとカンコーヒー、サラダを買って朝食にする。
ここのコンビニの駐車場はかなり広い。大型トラックが何台も停まっている。どうやらトラックの運転手もここで仮眠をとっているようだ。

コンビニの店内は大震災の復旧作業に向かう作業員たちで込み合っていた。
車のナンバープレートを見ると関東、関西からの車が多い。



午前6時20分。朝食を終えてさっそく歩き出す。
まだ朝の6時すぎだというのに道路は車で渋滞している。自衛隊の車両が何台も被災地へと向かっていく。





有名な「五大堂」に立ち寄ってみた。



松島の風景を見ると「ほんとうに津波があったんだろうか?」と思いたくなるほど穏やかなものだった。



だが観光船乗り場付近の様子を見ると桟橋は壊れているし、防波堤や遊歩道は浸水している。



松島や塩釜付近では陸地が地震のため70センチ以上も沈下したという。

国道45号線を仙台方面へと向かって歩くのだが歩道が無い区間があるのだ。
しかも道路の幅が狭いところなのに交通量が多い。車をよけるようにしながら歩く。



利府町へと入る。
右手に陸前浜田駅が見えたがこれは「仙石線」の駅だから写真だけ撮って立ち寄らないことにする。
この区間は仙石線と東北本線が平行して走っている。
仙石線の列車は石の森章太郎の漫画「仮面ライダー」「サイボーグ009」などのキャラクターが描かれている、マンガッタンライナーというのだそうだ。

石巻市に近づくと津波被害の惨状がそこかしこに見えてくる。

ここは真新しい歩道が整備されていた。



並行する鉄道線路は路盤も信号機なども新しいし新しかったので、地震のあとに作り直したものだろう。

歩道を歩きながらふと下を見ると海中に「カーブミラー」が立っていた。



以前はあの部分に道路があったのだろうがカーブミラーを残したままで新たに高い位置に歩道を作ったものらしい。

漁港だったところは無残な姿のままだった。復旧はまだ先のことになりそうだ。





海から道路を越えて船が流されてきている、ここも鉄道線路の路盤は新しく作り直したもののようだ。

宅配のトラックやボートが物置などと手付かずのまま放置されていた。



道路標識も津波で曲がったままだ。



いよいよ塩釜市内に入る。



国道45線を歩いているだけでは津波の被害があったとは想像できないほどだが、一歩海側へ向かうと倉庫も住宅も壊れていてる、しかも地盤沈下のため道路に海水が上がってきている。

これは鉄道の高架の橋脚だが高さ2メートルほどのところに津波の跡が残っていた。



どこを見ても津波の泥の跡が残っている。



仙石線の東塩釜駅の前にはボートがひっくり返ったまま放置されていた。

塩釜の中心部に入る。
本塩釜駅近くの鉄道線路橋の路盤は津波でえぐられている。

道路の向こう側の店舗の壁に残された傷から一階部分は完全に水没したのだということがわかる。
観光船乗り場も壊れたままだった。観光施設のマリンゲート塩釜は一部で営業を再開していたようだが観光客が戻ってくるには1年はかかるのではないだろうか。

海岸から500メートルほどの町中でもまだこのように壊れた車が置き去りにされている。



仙石線の本塩釜駅を遠くに見ながら「東北本線の塩釜駅」を目指して歩く。

カンカン照りの快晴なので気温がぐんぐんと上がってきた。
塩釜の中心部では電気が復旧していないの区域があり信号機が作動していない。
交差点では警察官が交通整理をしていた。

塩竈神社付近を通る。
このあたりは津波の影響どころか地震の影響も顕著には見られない。
道路も普段と同じような状態なので、ここでは液状化も起こらなかったようだ。
まさに「あの津波さえこなければ・・」と思ってしまう。



塩竈神社へも寄ってみたかったが暑さと、あの石段を登るのかと思いあっさりとあきらめる。



塩釜神社付近の裏道には小さな祠もあり木陰の涼しい風とともに疲れた身体を癒してくれる。



午前9時50分、やっと塩釜駅に到着。





駅前に自転車が溢れているのは都会の駅の証拠である。






塩釜駅 午前10時 - 国府多賀城駅 午前10時25分 約2.0Km

塩釜駅から国府多賀城駅までは住宅地のなかの道を歩くことになる。
家が重なり合い鉄道線路が見えなくなってしまう、とうとう道に迷ってしまった。
とおりすがりのおばあさんに道を尋ね、なんとか駅にたどり着く。



国府多賀城駅は住宅地に新しく建てられた駅という雰囲気でモダンな造りの駅舎だった。
駅に隣接して「東北歴史博物館」があるのだが見学はパスする。
そのうちゆっくり見に来よう。



国府多賀城駅 午前10時30分 - 陸前山王駅 午前10時50分 約1.6Km

国府多賀城駅を過ぎてすこし行くと瓦礫置き場があった、ものすごい量である。



どうやらここは市の公園だったところのようだが、いまでは震災の瓦礫が小山のように積み上げられている。



鉄道はいまだに一部区間が不通のままだ。線路がすっかり錆びついている。



新興住宅地と田んぼが交互に現れる道を歩く。

陸前山王駅 午前10時50分- 岩切駅 午前11時25分 約2.4Km

塩釜駅からこの岩切駅まで6キロほどしかないのだが松島駅から塩釜駅までの約11.6キロが長かったのと、暑さのせいでだんだん歩く力が無くなってきた。

気がつくとトボトボと歩いている。もう4時間半も休憩なしで歩き続けているのだから疲れるのは当然である。
私は物事を始めると休まずに一気にやってしまうという性格なのだ。
本を読むときでも読み始めると一気に最後まで読むというようなことをする。
そのため夜を徹して読み、気がついたら朝になっていた。などということが何度もある。

だがこれでは身体がもたない。岩切駅に着いたらひとやすみしよう。

やっと岩切駅に到着した。



この駅には改札の前に客が休めるようにベンチがあった。
これはとてもありがたい、さっそくひとやすみすることにした。
となりのコンビニでコーヒーとワッフルを買ってベンチで食べながらしばらく休む。

靴を脱いで足を投げ出して座っていると、隣にいた女性が白い目で見る。だが少しでも足の疲労を回復させたいのだ。

ここでは30分休憩をして、また歩き出す。

岩切駅 午前11時50分 -(昼食)- 東仙台駅 午後1時50分 4.7Km

岩切駅を出発してしばらく行くとまた道に迷ってしまった。
市街地だと線路が住宅やビルに隠れてしまうし、方向感覚を失いがちになるのだ。
なんども地図を見ながら現在位置を確認する。

屋根瓦の壊れた家、壁の剥がれ落ちた家はあちこちで見かけた。



途中で昼食タイム、味噌タンメン780円なり。ここで昼食休憩を40分。
歩いていてまたもや駅の方角が分からなくなり、人に聞きながらなんとか東仙台駅にたどりつく。



東仙台駅 午後2時 - 仙台駅 午後3時10分 約4.5Km

東仙台駅を出てから仙台駅に着くまでもけっこう大変だった。
仙台は過去に何度も訪れているので土地勘はあるつもりだったが、車で走るのと歩くのでは大違いだった。
仙台市内の詳細な地図とコンパスを持ってくるんだったと痛感した。



だが間違いなく仙台の中心に向かって歩いているのだ。
日差しはますます強くなってくるし道は分からないしだが、なんとか駅の方向を示す看板を発見。



おやここも地震で破壊されたのかと一瞬思ったが、これは道路拡張工事だった。
遠くに見える高層ビル「おお! 大都会だ」



午後3時15分 やっと仙台駅に到着。



駅の大時計にカメラを向けてシャッターを押す。



温度計を見るときょうの最高気温27.6度とある、6月としては暑いほうだろう。

これで今回は岩手県境から仙台駅までを歩きとおしたわけである。
仙台駅から東京駅までの距離は350キロほどだ、次回はこの区間を2-3回に分けて歩こうと思う。

さて電車で松島駅まで戻ってあとは自宅へ帰るだけだ。
だがその前に汗を流してさっぱりしたい。

国道45号線を北上すると道の駅に併設されている「ふたごの湯」の看板を発見。さっそく汗を流す。



疲れも消え、盛岡へ向かって車を走らせる。







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