東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

21日目 岩手川口駅ー御堂駅

2012年04月09日 | 東北本線 盛岡駅~八戸駅
21日目

2011年7月3日 岩手川口駅ー御堂駅 (約11.1Km)


さて6月になんとか仙台駅までたどりついた。

こんどは盛岡から北へのルートを歩くことにしよう。

北方面(鉄道でなら『下り』)は盛岡駅-岩手川口駅まで歩き終えている。
今日は岩手川口駅から御堂駅まで歩く予定だ。


去年の夏も暑かったが今年の夏もかなり暑い。

原発事故の影響で節電しているのでスーパーの店内も例年に比べるとさほど涼しく感じられない。
店内の照明もずいぶんと暗くなってしまったがこれでいいと思う。
いままではコンビニもスーパーもエアコンが効き過ぎだったのだ。
スーパーの店内から一歩出るとメガネが曇るほど店内を冷やしていた、照明も無駄に明るかった。
電気もガソリンも無限にあるかのように使っていたのは間違いだったのだ。

とはいえ暑い日に長距離を歩くのはしんどい。
日焼けするのもイヤなので曇りの日に歩くことにした。

自宅からは岩手川口駅までバイクで行って、駅前の駐輪場にバイクを停めて歩き出す。



前回来たときもそうだったが人影が見えない、しーんと静まりかえっている。
駅から200メートルほど歩くと旧国道4号線に出る。
いまは町を迂回するバイパス道路があるので交通量は極端に少なくなってしまった。

昔は大きな商家だっただろう家の前を通る。

川口中学校の脇には川口城跡の石碑が建っていた。



しばらく東北本線に沿って歩く。





鍛冶屋があった。



わたしが子供だったころは近所にも鍛冶屋があり鍬とかを作っていたのだが、今では鍛冶屋を探すのが難しくなってしまった。
ここも店頭に鍬や鋤が見えているから鍛冶屋だと分かるようなもので今はここでは作っていないのだろう。



沼宮内駅が見えてきた。
新幹線の停車駅でもあるので駅舎は大きく駅前も整備されている。
駅の看板を見てはじめてここが「いわて沼宮内駅」だと気がついた。
1955年に沼宮内町、川口村、御堂村、一方井村が合併して岩手町となったそうだが駅名は沼宮内のままだった。
新幹線の駅名をつけるときに旧沼宮内地区以外の人たちから不満が出たので「いわて沼宮内駅」にしたのだろうか。
どうせならシンプルに「いわて駅」にしたらよかったのに。

そういえば「花巻空港」もいつのまにか「いわて花巻空港」に名称が変わっていたっけ。

企業も市町村も合併によって社名や市町村名が長くなってしまうのは困りものである。

合併が続けば『東京朝日読売日経明治大正ハワイ・オピラニカ証券』とか『東京都南東京市西京都町東党境3丁目』などと舌を噛みそうな長ったらしい名前になってしまうかもしれない。
などとアホなことを考えながら歩いているうちに駅に着いてしまった。



駅前は人影が無くしんとしていたが、駅の中も静かだった。
立派な駅舎を作っても利用する人が少ないのは人口の少ない田舎町ではしかたないことである。
新幹線の開通を機会に地域の活性化をはかろうとするのはどの町でも同じだが、現実には新幹線建設にともなう負担が地域の経済を圧迫しているのではないだろうかと心配になる。



とは言っても駅を造らなければ過疎化がさらに進んでしまうだろう、むずかしいものだと思う。



今年(2011年)に平泉が世界遺産に登録されて岩手県の観光にはずみがつくはずだったが、東日本大震災の影響で足踏み状態の感じだ。

駅舎内に休憩所があったのでパンとバナナで昼食にする。
一休みしてまた歩き出す。

岩手町は古い民家や土蔵もありちょっとした古都の趣のある町なのだ。



町中にある柳橋の欄干に「盛岡より九里七丁」とあった。



反対側には「昭和二年十一月竣工」とある。よくこれを残していたものだと思う。

町中を抜けて国道4号線を歩く。



この時期の北東北はどこへ行っても花が咲いているので楽しい。



御堂駅すこし南側の距離表示板に東京より573.4Kmとあった。



そのすぐ脇の東北本線を見ると571Kmの表示がある。



国道と鉄道線路は近いところを走っているとはいえ東京からこれだけの距離があるのにその差は2Kmほどしかないことにちょっと驚いた。
東北本線は東京駅が起点で国道4号は日本橋が起点なのだがそれらは直線距離で600Mほどしか離れていない。
鉄道は鉄橋、トンネルなどでできるだけ直線に近いコースをとるはずだ。

だが道路は建設費のかかるトンネルは出来るだけ避けて山があれば迂回するようなコースになるだろう。

それなのに起点から600Kmちかくの距離があるというのにその差がたったの2Kmというのに驚いた。


御堂駅が見えてきた。ここは北緯40度の地点である。





御堂駅は無人駅だ。



時刻は午後2時20分、次の電車が来るまで約50分も待つことになった。



列車を待つ50分間、駅にはわたしのほか誰もいなかった。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする