2011年9月5日
小繋駅 ==> 小鳥谷駅 ==> 一戸駅 ==> 二戸駅(約20.7Km)
今日は小繋から二戸まで歩く予定だ。
車で自宅を出たのが遅かったので小繋駅には10時50に着いてしまった。
駅前の駐車場に車を停めて歩き出す。
快晴で気温は27度と高いがさほど暑くは感じられいなく歩く旅には気持ちの良い日だ。
国道4号を北上する。
国道と東北本線は寄り添うように走っている。
すぐに小繋トンネルへとさしかかる、車でならこのトンネルを通るのだが歩きなので脇の歩行者用トンネルを歩く。
小繋トンネルは短いが歩道が無いのだ。通学する子供たちのためにこの歩行者用トンネルが作られたのだろう。
中はひんやりとしてとても涼しい。
しばらく歩くと今度は「笹目子トンネル」にさしかかる。
このトンネルの脇には旧道が通っているので少し遠回りになるがそちらを歩く。
道の両側から樹木がせりだしてきていて、ジャングル状態になっている。
笹目子トンネル」が出来るまでは崖に沿ったこのくねくねした狭い道路が「国道4号」だったのだ。
と、道の真ん中にカマキリがいるのを発見。
まったく車が通らないので道の中央でじっとしている。
10メートル先には餌を捕まえたカマキリもいた。
どちらもカメラを数センチまで近づけても微動だにしなかった。
国道4号線に戻り途中の産直所で昼休みとする。
ここは車で4号線を通るときは必ず立ち寄る店だった。
見ると小鳥谷祭りのポスターが貼ってある、もう秋祭りのシーズンになっている。
別の壁にはベンチャーズの公演のポスターもあった。
ベンチャーズがいまだに日本でツアーをしているというのも驚きである。
しかしチケット代金が5千円とは、ちょっと高いんじゃあないの?
今回も昼食はパンと缶コーヒーだけで済ます。
食べ終えるとすぐに歩き出す。
小鳥谷の町に入る。
この町もやっとバイパス道路が完成して町の中はぐんと静かになっていた。
まるで無人の町かと思うような静けさである。
午後1時に小鳥谷駅に到着、この駅も無人駅だ。
無人駅であってもきちんと清掃や管理がされているのは、「さすがはニッポン」と感心してしまう。
途中の踏切から小繋駅を振り返る。
ひたすら国道4号を北上する。
馬渕川沿いを歩くとまだ夏だというのに涼しい風が吹いてくる。
一戸町への入り口で東京から600キロの標識を見つけた。
去年から東北本線沿線沿いを歩き始めておおよそ250キロメートル歩いたことになる。
だが、東京から青森までは740キロもあるのだと思い出し「えーっ、あと500キロもあるのか・・」とめげてしまう。
日本の最南端から最北端まで日本縦断徒歩旅行を成し遂げた人が何人もいるのだ。
しかも彼らはわたしのように日にちをおいて気が向いた日だけ歩くというような旅ではなく、テント生活をしながら一ヶ月ものあいだ毎日歩き続けてたのである。
恐ろしいほどの精神力と体力である。
それを思うとわたしの旅の荷物はカメラだけだし、疲れたら電車に乗って自宅に帰ってしまうという旅なのだ。
彼らから見たらわたしのしていることは旅ではなくて「散歩」でしかないだろうなあ。
だからといって「無理をしないこと」が肝心である。
60年間まったくスポーツと縁が無かったわたしにとっては、この「散歩」でさえも苦行なのである。
おや「奥州街道」の標識がある。
だが矢印の先は”けものみち”のようで草に覆われていて道とはいえない状態だ。
隣には「百姓一揆結集の地」ともある。
その昔から東北地方は冷害、飢饉で苦しんできたのだ。
やっと一戸の町中へと入ってきた。駅近くの馬渕川に架かる「碧橋(みどりはし)」にはこのような銅像があった。
なんだか昭和40年代を思わせるポーズである。よく壊されもせずあるものだと変に感心してしまう。
一戸駅の構内は奥中山の長い坂を登るために蒸気機関車の増結などしたもの時代があるのでかなり広い。
だが、いまでは構内は雑草だけが元気に?生えている。
駅前も近郊へのバスの発着場にもなっているので町の規模のわりには広いほうだ。
ちゃんとキオスクもある。
待合室の中央にはストーブがある。夏の間もそのまま置いてあるのだ、あと1ヶ月もすればストーブで暖を取りたくなるほど冷え込んでくるのである。
お役所の建物という雰囲気の駅舎の写真を撮って、10分ほどベンチで休んでまた歩き出す。
午後2時15分である。
歩いていると靴の先がなにかにひっかかる感じがする。
見ると右足の靴の底が剥がれかかっているではないか。
剥がれかかった先の部分が地面にひっかかるのでかなり歩きにくいのだ。
今日はここまでにして一戸駅まで引き返えせば良かったが歩き続けた。
ホームセンターがあれば接着剤を買って応急処置ができるのだが、あいにくホームセンターは見当たらない。
コンビ二もとっくに通り過ぎてしまった。
右足だけをまるで行進するときのように大きく上げてつま先が地面をこすらないようにしながら歩くのだが、とても歩きにくくて疲れるのだった。
また、旧国道を歩く。
以前の国道4号線はこんなにも道幅が狭かったのかと思う。
この道幅だと普通車なら問題なくすれ違えるが大型車のすれ違いは無理そうだ。
やっと二戸市にたどり着いた。
男神岩と女神岩が正面に見えて歓迎してくれる。
とんがった形の岩が男神岩である。
遺跡の発掘をしている現場を横に見ながら駅を目指す。
やっと「二戸駅」が見えてきた。
午後4時になってしまった、今日は約5時間歩き続けたことになる。
一日で30Km歩くことが目標だが、あまり暑くない日の午前7時に歩き出して途中休憩をしながら午後7時まで歩くのであればなんとか出来そうである。
この駅も「いわて沼宮内駅」と同じようなつくりである。
最近の流行なのだろうが新しく作られる空港ビルも駅ビルもみんなデザインが同じように見えてしまう。
二階部分に切符売り場や改札があるのも同じような構造だし、一階部分がみやげ物店や地域の集会所などに使われるようなつくりになっている場合が多い。
たしかにエレベーターは設置されているが、客はいったん2階まで行き改札を通ったらまた地上階まで降りて列車に乗り込むことになるので、時間はかかるし荷物を持っての移動には不便である。
昔の駅舎のように地上階のまま改札を通るとそのままプラットフォームへ出られるという構造のほうが便利だったと思うのだが。
こちらは駅東口である、昔はこちら側だけに駅入り口があった。
一階にはFM放送局があり「放送中」だった。
階段を二階まで登ったら市民ホールみたいなところに出てしまいまごついてしまった。
小繋駅までの切符を買う。500円だった。かなり割高だなと思う。
赤字を出さないために運賃を高めに設定しなければやっていけないだろうが、運賃が高ければ利用者は減る。
利用者が減っても経費はそんなに減らせないから、いずれまた赤字になるのだ。
鉄道ファンとしては旧東北本線は残してもらいたいのだが、運賃が高いのと自家用車で移動するほうが便利だし安上がりなのでつらいところである。
小繋駅 ==> 小鳥谷駅 ==> 一戸駅 ==> 二戸駅(約20.7Km)
今日は小繋から二戸まで歩く予定だ。
車で自宅を出たのが遅かったので小繋駅には10時50に着いてしまった。
駅前の駐車場に車を停めて歩き出す。
快晴で気温は27度と高いがさほど暑くは感じられいなく歩く旅には気持ちの良い日だ。
国道4号を北上する。
国道と東北本線は寄り添うように走っている。
すぐに小繋トンネルへとさしかかる、車でならこのトンネルを通るのだが歩きなので脇の歩行者用トンネルを歩く。
小繋トンネルは短いが歩道が無いのだ。通学する子供たちのためにこの歩行者用トンネルが作られたのだろう。
中はひんやりとしてとても涼しい。
しばらく歩くと今度は「笹目子トンネル」にさしかかる。
このトンネルの脇には旧道が通っているので少し遠回りになるがそちらを歩く。
道の両側から樹木がせりだしてきていて、ジャングル状態になっている。
笹目子トンネル」が出来るまでは崖に沿ったこのくねくねした狭い道路が「国道4号」だったのだ。
と、道の真ん中にカマキリがいるのを発見。
まったく車が通らないので道の中央でじっとしている。
10メートル先には餌を捕まえたカマキリもいた。
どちらもカメラを数センチまで近づけても微動だにしなかった。
国道4号線に戻り途中の産直所で昼休みとする。
ここは車で4号線を通るときは必ず立ち寄る店だった。
見ると小鳥谷祭りのポスターが貼ってある、もう秋祭りのシーズンになっている。
別の壁にはベンチャーズの公演のポスターもあった。
ベンチャーズがいまだに日本でツアーをしているというのも驚きである。
しかしチケット代金が5千円とは、ちょっと高いんじゃあないの?
今回も昼食はパンと缶コーヒーだけで済ます。
食べ終えるとすぐに歩き出す。
小鳥谷の町に入る。
この町もやっとバイパス道路が完成して町の中はぐんと静かになっていた。
まるで無人の町かと思うような静けさである。
午後1時に小鳥谷駅に到着、この駅も無人駅だ。
無人駅であってもきちんと清掃や管理がされているのは、「さすがはニッポン」と感心してしまう。
途中の踏切から小繋駅を振り返る。
ひたすら国道4号を北上する。
馬渕川沿いを歩くとまだ夏だというのに涼しい風が吹いてくる。
一戸町への入り口で東京から600キロの標識を見つけた。
去年から東北本線沿線沿いを歩き始めておおよそ250キロメートル歩いたことになる。
だが、東京から青森までは740キロもあるのだと思い出し「えーっ、あと500キロもあるのか・・」とめげてしまう。
日本の最南端から最北端まで日本縦断徒歩旅行を成し遂げた人が何人もいるのだ。
しかも彼らはわたしのように日にちをおいて気が向いた日だけ歩くというような旅ではなく、テント生活をしながら一ヶ月ものあいだ毎日歩き続けてたのである。
恐ろしいほどの精神力と体力である。
それを思うとわたしの旅の荷物はカメラだけだし、疲れたら電車に乗って自宅に帰ってしまうという旅なのだ。
彼らから見たらわたしのしていることは旅ではなくて「散歩」でしかないだろうなあ。
だからといって「無理をしないこと」が肝心である。
60年間まったくスポーツと縁が無かったわたしにとっては、この「散歩」でさえも苦行なのである。
おや「奥州街道」の標識がある。
だが矢印の先は”けものみち”のようで草に覆われていて道とはいえない状態だ。
隣には「百姓一揆結集の地」ともある。
その昔から東北地方は冷害、飢饉で苦しんできたのだ。
やっと一戸の町中へと入ってきた。駅近くの馬渕川に架かる「碧橋(みどりはし)」にはこのような銅像があった。
なんだか昭和40年代を思わせるポーズである。よく壊されもせずあるものだと変に感心してしまう。
一戸駅の構内は奥中山の長い坂を登るために蒸気機関車の増結などしたもの時代があるのでかなり広い。
だが、いまでは構内は雑草だけが元気に?生えている。
駅前も近郊へのバスの発着場にもなっているので町の規模のわりには広いほうだ。
ちゃんとキオスクもある。
待合室の中央にはストーブがある。夏の間もそのまま置いてあるのだ、あと1ヶ月もすればストーブで暖を取りたくなるほど冷え込んでくるのである。
お役所の建物という雰囲気の駅舎の写真を撮って、10分ほどベンチで休んでまた歩き出す。
午後2時15分である。
歩いていると靴の先がなにかにひっかかる感じがする。
見ると右足の靴の底が剥がれかかっているではないか。
剥がれかかった先の部分が地面にひっかかるのでかなり歩きにくいのだ。
今日はここまでにして一戸駅まで引き返えせば良かったが歩き続けた。
ホームセンターがあれば接着剤を買って応急処置ができるのだが、あいにくホームセンターは見当たらない。
コンビ二もとっくに通り過ぎてしまった。
右足だけをまるで行進するときのように大きく上げてつま先が地面をこすらないようにしながら歩くのだが、とても歩きにくくて疲れるのだった。
また、旧国道を歩く。
以前の国道4号線はこんなにも道幅が狭かったのかと思う。
この道幅だと普通車なら問題なくすれ違えるが大型車のすれ違いは無理そうだ。
やっと二戸市にたどり着いた。
男神岩と女神岩が正面に見えて歓迎してくれる。
とんがった形の岩が男神岩である。
遺跡の発掘をしている現場を横に見ながら駅を目指す。
やっと「二戸駅」が見えてきた。
午後4時になってしまった、今日は約5時間歩き続けたことになる。
一日で30Km歩くことが目標だが、あまり暑くない日の午前7時に歩き出して途中休憩をしながら午後7時まで歩くのであればなんとか出来そうである。
この駅も「いわて沼宮内駅」と同じようなつくりである。
最近の流行なのだろうが新しく作られる空港ビルも駅ビルもみんなデザインが同じように見えてしまう。
二階部分に切符売り場や改札があるのも同じような構造だし、一階部分がみやげ物店や地域の集会所などに使われるようなつくりになっている場合が多い。
たしかにエレベーターは設置されているが、客はいったん2階まで行き改札を通ったらまた地上階まで降りて列車に乗り込むことになるので、時間はかかるし荷物を持っての移動には不便である。
昔の駅舎のように地上階のまま改札を通るとそのままプラットフォームへ出られるという構造のほうが便利だったと思うのだが。
こちらは駅東口である、昔はこちら側だけに駅入り口があった。
一階にはFM放送局があり「放送中」だった。
階段を二階まで登ったら市民ホールみたいなところに出てしまいまごついてしまった。
小繋駅までの切符を買う。500円だった。かなり割高だなと思う。
赤字を出さないために運賃を高めに設定しなければやっていけないだろうが、運賃が高ければ利用者は減る。
利用者が減っても経費はそんなに減らせないから、いずれまた赤字になるのだ。
鉄道ファンとしては旧東北本線は残してもらいたいのだが、運賃が高いのと自家用車で移動するほうが便利だし安上がりなのでつらいところである。