十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

環境後進国

2020-01-26 05:00:00 | 投稿

令和元年126日付け「北海道新聞」夕刊の今日の話題欄に、以下の記事が載っていた。

 『全国で40度を超す「激暑」となり、札幌の最高気温は40.5度、熱中症などの死者15千人超。環境省作成の動画「2100年 未来の天気予報」だ。

温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」は、産業革命前の気温上昇をできれば、1.5度に抑えるのが目標。

動画は未達成の場合に予想される過酷な夏を描き、危機感を訴える。環境省ウェブサイトで視聴でき、DVDも学校などに貸し出している。もっとも、まず啓発されるべきは子供ではなく、政府ではないか。

世界の環境団体でつくる「気候行動ネットワーク」が、温暖化対策に後ろ向きな国に贈る「化石症」を、日本に授与したからだ。

 化石賞はスペインで始まった気候変動枠組み条約 第25回締約国会議(COP25)の開催中に毎日発表されるが、日本はブラジル、オーストラリアと共に最初に選ばれ「最悪」との評価。実は毎年のように授与される常連国で、環境後進国との見方が定着しつつある。

理由は石炭火力発電だ。温暖化ガスの排出が多いため廃止する先進国が相次ぐが、日本は新増設を続け、梶山弘志経済産業相は継続の意向を示した。ネットワークは、「地球を破壊し人々を危険にさらす。恥を知れ」と日本を酷評しつつ、COPに参加する小泉進次郎環境相に、「あなたの指導力が必要」とエールを送る。

米タイム誌「次世代の100人」に選ばれた小泉さんだが、最近は歯切れが悪い。COPで石炭火発削減を約束して経営者と戦ってこそ、次世代のリーダーにふさわしいのだが。』

 国立環境研究センター副センター長江守正多氏の話では、地球温暖化の阻止は難しいらしい。地球の平均気温が、1~4度上昇のケースを4種類に分けて説明していたが、いずれも地球が大変な事態になることに対して、警鐘を鳴らしていた。

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注) 国立環境研究センター

 国立環境研究所は前身となる「国立公害研究所」を1974年に発足以降、8つの研究分野を柱に、高い使命感と幅広い見識で国内外の環境政策に貢献してきました。高度経済成長期に問題となった公害から近年注視されている地球温暖化まで、いつの時代にも環境課題は存在しています。

また、2011年に発生した東日本大震災は、災害廃棄物の問題や、環境中に広がった放射性物質対策、被災地の地域環境の再生・創造など新たな課題を私たちに提起しました。国立環境研究所はこのような状況下で環境研究の中核を担い、研究をリードするという使命を果たすべく、広範な研究を推進し、環境課題解決のための情報を発信し続けています。

(出典:国立環境研究センターHPより)

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不合理の中の真理

2020-01-25 05:00:00 | 投稿

令和212日、NHKBSスペシャル「空海の宇宙を描く」を放映していた。この中で、四国遍路を訪ねる人が、「不合理の中の真理」の話をしていた。簡単に書くと、このような意味である。

 「現代は全て、オートメーションとかAI(人工頭脳)など、合理性が重んじられている。だが、人間にしか持っていないものがあるので、それを大切にしようではないか」ということである。それが「日本の文化」のひとつではないかと思った。

遍路は、お大師さんと二人連れで自然をありのままに見て、体と世界が一体となる。己を見つめ直し、人の機微にも触れる。人と自然の合一、すなわち「悉有仏性」である。

  

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注) 真理

真理は、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。 真実ともいう。

真理は、現実事実と異なり、妨害・障害としての虚偽誤謬を対義語としており、露わさ、明らかさ、隠れなさに重点がある。そのものありのままであり、あらわであり、その本質が覆われていない、という意義に関しては、哲学的には本質主義同一性とも関わりが深い。西欧哲学において真理論は、論理学認識論においてとりわけ主題化される。

真理論の歴史は、古代ギリシアに始まる。人間を尺度とする相対的なものの見方に反論する形で、永遠性・普遍性を有する真理の概念が生まれた。このような絶対性を内実とする真理概念独断主義を生み、これに対する防衛・反抗が懐疑主義を生んだ。そのどちらにも陥らず、確実な知識の基礎付けを求めて近代の認識論が始まり、その後、真理の担い手が思惟観念判断命題、「事物」等のいずれであるか、について議論がなされてきた。

現代論理学では真理の担い手は命題であるとされ、真と偽を合わせて真理値という。論理学で、「Pでないかのいずれかである」という形をした文はの内容に関係なく正しいので、これは「形式的真理」と呼ばれ、思惟と思惟自身の一致と定義される。

このような形式的な形相についてではなく、質料について真理が語られるときは「実体的真理」という。判断について真理が語られるときを「認識論的真理」といい、存在について真理が語られるときを「存在論的真理」という。現代の真理概念は様々な形で修正を受け、相対的な傾向を強めている。

論証する、つまり、言語による表現であることが真理に不可欠であり、哲学的にはロゴスとも関わりが深い。 東洋には不言真如という概念もある。

 人間を自由にするものとしての真理が説かれることもある。キリスト教では「真理はあなたたちを自由にする(ヨハネ8章32節 」と説かれている。仏教では、人間を苦しみから解放する真理をあらわす「」が説かれる。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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アイヌ先住権確認へ

2020-01-24 05:00:00 | 投稿

【浦幌】
十勝管内浦幌町の浦幌アイヌ協会(差間正樹会長)が、国と道を相手取り、現在は水産資源保護法などで規制されている十勝川下流域でのサケの捕獲について、アイヌ民族の先住権に基づいて規制が適用されないことを確認する訴訟を起こす方針であることが12日、関係者への取材で分かった。4月にも札幌地裁に提訴する。アイヌ民族による先住権の確認を求めた訴訟は初めて。

 先住権は、近代以降の植民地化政策などで不利益を被る以前から先住民族が有していた権利で、土地や水産資源などに対する権利、政治的な自決権などを指す。これらは2007年に採択された国連の先住民族権利宣言でも明記されている。
協会側関係者によると、訴訟では文献などを踏まえ、明治政府の同化政策が始まる以前までアイヌ民族は各コタン(集落)単位で漁業権や外交権などの権限を持ち、自治を行っていたと主張。かつて十勝川下流域で漁をしていた周辺のコタンの子孫らでつくる同協会は、同流域で自由にサケ漁をすることができる先住権があると訴える方針だ。
開拓使は明治以降、殖産のためとして河川でのサケ漁を事実上禁じた。その後、川でのサケ・マス漁は1951年制定の水産資源保護法で全面的に禁じられ、これに基づき道も64年、道内水面漁業調整規則を制定。86年からは許可申請を条件に例外的に特別採捕を認めているが、目的は伝統儀式の継承などに限られる。
昨年5月施行の、アイヌ民族を先住民族と初めて明記したアイヌ施策推進法には、先住権は憲法との整合性などを理由に盛り込まれなかった。
差間会長は取材に対し、「先住権についての論点を明確にし、議論を前に進めたい]としている。(斉藤千絵)

§

2020年1月13日 北海道新聞一面トップに、「アイヌ先住権確認へ提訴」と題して浦幌アイヌ協会の取り組みが斉藤千絵記者の署名記事として掲載された。昨年成立した「アイヌ新法」がいかに不完全であるか、当事者が異議をとなえ裁判を通じて議論されて行くことを注意深く見守りたい。

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十勝アイヌ

2020-01-23 05:00:00 | 投稿

帯広市百年記念館に常設されている吉田巌著「愛郷詩料」によれば、大正5年現在、十勝アイヌの人口は1,655人となっており、十勝の人口が当時、約7万人であったから少ない人数となっている。

 アイヌ民族は北海道樺太千島列島カムチャツカ半島南部に住んでいる先住民族でアイヌ語母語とするアイヌを指している。アイヌ民族がいつから北海道に住み始めたことについては諸説があり定かではないが、十四世紀前後から住み始めたという学説が有力だ。

西暦八百一年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷征討(えみしせいとう)を行なった史実もあるが、この頃の北海道(蝦夷)はあまり知られていなく、「エミシ」は現在の東北地方である陸奥国や出羽国などの広い範囲にいた人を指していた。従って江戸時代までは、東北地方にも和人と共にアイヌ民族が住んでおり、東北地方にはアイヌ語系の地名が多い。

私は青森県に住んでいたのであるが、青森県には「津軽アイヌ」や「下北アイヌ」などのアイヌコタンやアイヌ語系地名が残されている所があり、蝦夷征伐の史実が証明できる。

 さて十勝アイヌのことだが、音更郷土史研究会編集「音更の歴史に光を~収録集~」によれば、音更アイヌは、明治1619年にかけて上士幌町セタ地区周辺のアイヌ20戸が、音更町北6線~9線に強制移住させられている。 

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  注)アイヌ文化

アイヌ文化とは、アイヌ13世紀鎌倉時代後半)ごろから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。現在では、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日本においては日常生活は表面的には和人と大きく変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中、アイヌとしての意識は、その血筋の人々の間では少なからず健在である。アイヌとしての生き方はアイヌプリとして尊重されている。アイヌ独特の文様(アイヌ文様)や口承文芸ユーカラ)は、北海道遺産として選定されている。

アイヌ文化という語には二つの意味がある。ひとつは文化人類学的な視点から民族集団であるアイヌ民族の保持する文化様式を指す用法であり、この場合は現代のアイヌが保持あるいは創造している文化と、彼らの祖先が保持していた文化の両方が含まれる。もうひとつは考古学的な視点から、北海道や東北地方北部の先住民が擦文文化期を脱した後に生み出した文化様式を指す用法である。

擦文文化期の終わりに全く別の民族が北海道に進入してアイヌ文化を形成したわけではないということである。これは、和人12世紀まで平安文化を保持し、13世紀から鎌倉文化と呼ばれる時期に移行した状況に近い。すなわち担い手は同じであるが、文化様式が変化したということである。

ここで問題となるのは、「アイヌ文化」という語が「ある民族集団の文化」と「歴史上のある時期に存在した文化様式」のいずれも意味するという状況のわかりにくさである。アイヌは現在も民族集団として存在しているが、現代のアイヌはチセに住み漁労採集生活を送っているわけではないから、考古学的な意味でのアイヌ文化を保持しているとは言えない。しかし現代のアイヌは考古学的な意味でのアイヌ文化を担った人々の末裔であり、現代のアイヌの保持する文化様式もまたアイヌ文化と呼ばれる資格を持つのである。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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アイヌ文化を学ぶ大切さ

2020-01-22 05:00:00 | 投稿

令和214日付け「北海道新聞」朝刊の社説に、以下の記事が載っていたのでその抜粋を書いてみたい。

 『先住民族のアイヌ民族とあとから移り住んだ和人が数多く暮らす北海道は、日本における多文化共生社会の先進地となり得る。北海道や千島列島、樺太(サハリン)で生まれ、育まれたアイヌ文化が根付き、和人と多くの接点を持っているからだ。

国連の先住民族の権利に関する宣言は、「先住民族の知識、文化および伝統的慣行の尊重は、持続可能で衡平な発展と環境の適切な管理に寄与する」としている。

こうした理念を日本が国際社会の一員として実現する上で、北海道は重要な役割を果たすだろう。

 昨年5月施行のアイヌ施策推進法は、アイヌ民族を法律で初めて先住民族と位置づけた。 ことし4月には、アイヌ文化復興拠点「民族共生空間(ウポポイ)が胆振管内白老町に開設される。これを機に多文化共生社会づくりの機運を高め、北海道の豊かな未来に向けて歩みを進めたい。 (中略)

 厳しくも豊かな北海道の自然に根差し、悠久の時を刻んできたアイヌ民族の文化や歴史に学ぶことが北海道の真の姿を知る上で欠かせない。

言語復興が欠かせぬ

「わが国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的には等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない」。

 衆参両院は2008年「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を全会一致で採択した。それを基盤に設置が決まったウポポイは、「(おおぜいで)歌うこと」というアイヌ語だ。「存続の危機にあるアイヌ文化を復興・発展させる拠点」であり、「先住民族の尊厳を尊重し、差別のない多様で豊かな文化を持つ活力ある社会を築くための象徴」と位置づけられる。 

「力を入れるのは言語の復興だ。施設の展示解説や案内板はアイヌ語を第1言語として表記し、音声ガイドにもアイヌ語を採用するという。明治以降の政府の同化政策でアイヌ語は衰退し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅の危機にあると認定している。この150年の間に失われた言語を少しずつ取り戻したい。 (中略)

 道内では昨年、サケの捕獲を先住民族の権利だとするアイヌ民族と、許可のない捕獲は法律違反だとする道が対立する事例が論議を呼んだ。アイヌ民族の権利回復はまだまだ遅れている。

 国連宣言は、文明や文化の多様性や豊かさが「人類の共同遺産を成す」とうたっている。国民一人一人が理解を深め、多文化共生への取り組みを前進させなければならない。』

 「十勝の活性化を考える会」会長

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