昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

トンデモは身近にありて、あらびっくり

2006-04-26 22:44:45 | Weblog
と学会、設立当初からのファンです。と学会関係の本も大抵揃えています。
(山本会長、皆神氏、植木氏、眠田氏がお気に入り)
ところで、先日、父の遺品を整理していたら、名刺入れの中に、異なものを発見しました。

『私説アルプスの少女ハイジその後』
 
 作家 阿部照雄

 ○○市××

 なぬ?『トンデモ本の世界S』他で紹介されていた、「波動を測定されるハイジ」を書いた、あの方ですか!
 
 ええと、想像するにですね、父は生前、広告美術業を営んでおりまして、講演会等の垂れ幕やステージ用の看板なんかを製作するということをしておりました。ので、作家・阿部照雄先生の出版記念パーティーか何かの、そういったブツの製作を依頼されていたのではないかと思われます。
 父が亡くなってしまった今となっては、真相は薮の中・・・残念。
 え?名刺があるなら、阿部センセイに電話して聞いてみたらって?
 でも、すげー電話かけづらくないすか?
 RRRRR...
 「(ガチャ)はい、阿部です」
 「突然すみません。トキと申します。あの、実は父の遺品に先生の名刺を見つけまして、先生と父はどのようなご縁があったのかと・・・」
 「ええ、それはかくかくしかじか。で、なぜそんなことに興味を?
 答えられます?そこのアナタ。あっしにゃあ無理です。ですんで、本件、薮の中でいいっす。
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分岐点

2006-04-26 21:32:08 | Weblog
前回にひきつづき、ライブドアブログの紹介です・・・gooさんスマン。偶然なのよ。
 こちらのブログ、最近知ったのですが、個人的に大変親近感を抱いております。
というのは、読書歴が、たいへん似通っているのです。(おそらく同年代とお見受けしました)

・「学研まんがひみつシリーズ」で理科・社会知識を蓄積
・「ゲームセンターあらし」にBASICを学ぶ
   ※私が小学校高学年の頃、世は低価格パソコンブームでした。その後ファミコンの登場で廃れますが・・・。
・「小山田いく」作品を愛読

 フラスコさんは、小山田作品の影響で天文部に入り(「星のローカス」でしょう)、全寮制高校にあこがれたり(「ぶるうピーター」ですね)され、ついには研究者・教員になられました。すばらしい!
「学研まんが」を暗記するくらい読んでいましたから、私もどちらかというと理系志向でした。コドモの頃は。
 小学校の卒業文集にも、学者になるとか書いた覚えがあります。
 中学以降も、廃刊まで「科学朝日」なんかを愛読していました。
 それで、フラスコさんは研究者となり、私は何を間違ったか、昼行灯をしている、という訳です。
 はて、何が違ったのか?というと、「算数」。
 私、算数、ダメなんです。テストでは絶対計算間違いをするんです。
 おかげで、中学以降の数学の成績はボロボロでした・・・。理屈はわかるんですけどね。答えがあわない。
 「計算なんて練習ですよ」って?ええわかってますとも、でも私、昼行灯なんです。好きなことしかしたくないんです。
 国語・理科・社会なんて、高校まで学研まんがの知識で乗り切りましたよ。(つまり、学研まんがに書いてあったことは、改めて覚える必要がなかった)
 学校も嫌いでしたし、勉強もきらいでした。高校進学すら渋っていたくらいです。
 ただ、面白いもので、理系人間だった私は、中学当時、宇宙論経由で哲学に興味を持ったのですね。結局これがきっかけで、理系から文系に転びました。
 それで、いろいろ悪あがきをした末に、大学では文学部に入り、哲学ならぬ宗教学を学んで、昼行灯に磨きをかけ、今に至る、というオチ。

 嗚呼、同じ読書歴にして、かたやあくがれの研究者、かたや昼行灯。
 あ、昼行灯なのは最初からか・・・じゃ、生まれたときじゃん、分岐点。
(´・ω・`)ショボーン

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ロッキータン(・∀・)イイ!

2006-04-26 21:14:31 | Weblog
えー宣伝です。こちらのブログをごらんください。
ご存知のかたもおられるでしょうが、宮城県で自然保護員をされている武田さんが、ニホンカモシカの赤ちゃん「ロッキー」を救護し、野生に返すまでの2年間を追った日本テレビ系列『ドキュメント'05 ロッキーへの手紙』(制作:ミヤギテレビ)という番組があります。
そこで、武田さんの献身的な保護活動が、全国に知られるところとなりました。
(先日(4月20日)には、「奇跡体験!アンビリバボー」でも取り上げられていました。)
私もこの番組で武田さんのことを知り、感動した一人です。

でも、それじゃダメだったんです。ええ。

わたくし、前の職場は、こういうことと縁の深いところでした。なのに、このハナシぜんぜん知らなかった・・・orz

とにかく、赤ちゃんロッキーの可愛さにやられます。興味のある方は本も出ていますので、ぜひお買い求めください。
なお、宮城県にはは野生鳥獣の救護施設がないそうで、武田さんはNPOを立ち上げ、民間主導で建設に向けてがんばっておられます。

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ドラえもん

2006-04-26 21:03:53 | Weblog
声優陣が交代したのは、もう1年も前のことになるが、とても気に入っている。
なぜって、絵ですよ、絵。原作に近くなったじゃないですか。
TV放映が始まったのが、私が小1のときですから、かれこれ30年くらいになるわけですが、当時から「絵が原作と違う!」のが、とても不満だったのです。
放送開始時の業界レベルではそれもやむなしですが、その後、スキルが上がってくるにつれ、もう忸怩たる思いでおりました。しかも、キャラクター物はもうアニメの絵のほうがスタンダードになってる始末。納得できませなんだ。
 それが、物議を醸した声優交代に伴い、やってくれたじゃないですか。ストーリーもちゃんと原作テイストを再現しているし。
(関係ないけど、BJもよくやってますよね。線の太さまで再現してる作画監督さんまで居たりするし)
 藤子F先生をSFの師と仰ぐ私としては、たいへん満足しております。
 しかし、TVから入ったヒトたち(例:うちの奥さん)には、新生ドラはすこぶる評判が悪い・・・。その大半が声についての違和感ですが。
 私的には、声なんてどうでもいいっす。もともとコロコロコミックで読んでたわけだし。
 ところで、なぜ映画版では、さらに絵柄を変えているんですかね?マーケティングなのかなぁ。

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終末医療に思う。

2006-04-26 00:31:55 | Weblog
 朝日新聞で、終末医療のあり方を特集していた。要は「人工呼吸器をいつどうやって外すか」あるいは「ずっと外さないのか」ってことで、外す自由を認めよから、外す時点で本人の意思が分からないなら最大限生かしてやれまで色々。
 どうするべきかなんて、分からないが、いい機会なので父の思い出を書いておく。
 昨年末、父を亡くした。亡くなる直前の父は、人工呼吸器は付けていなかったが、酸素吸入器と脈拍モニタを付けていた。
 その日、真夜中に病院から呼び出しがあった。父は、ベッドのマットレスを2枚並べたうえに、奇妙に傾いた格好で寝かされていた。目は見開き、視線は宙をさまよっていた。涙がゼリー状に固まっているように見えた。呼吸に伴い、胸が不自然なくらい上下していた。必死で、息をしているようにも、機械で無理に動かされているようにも見えた。
 「夕方までは体動がひどく、ベッドから落ちそうだったのでこうするしかなかった」と看護師から説明があった。
 兄が、冷たくなった父の手を握り話しかけた。「反応があるよ。」と促され、私も握った。たしかに、握り返してきた、2度、3度。そして、見開いたままの目線が、たまにこちらを向いた。そしてまた、宙を舞った。私と兄は、父から教わったこと、父が頑張ってきたこと、自分たちが到らなかったこと、さまざまな事を語り続けた。
 父の手や目の反応は、しだいに少なくなっていった。言葉もどれほど理解しているかは、もう、わからなかった。
 父は肝不全の末期だった。腹水がひどくなり救急車で運ばれた。「安定するか急変するかは分からない。肝機能の回復は見込めないので、腎臓がまずだめになり、尿毒症で意識混濁となり死に到る。一週間持たないかもしれないし、3ヶ月持つかもしれない」主治医にそう説明された。最初の2週間は、利尿剤で腹水も抜けつつあった。退院の手続きを始めるとも言われた。一人暮らしはさせられないが、私も兄も同居はできない。それで、病院付けのソーシャルワーカーに、転院先を当たってもらったが、色よい返事はなかったようだ。正直、対応に困っていたが、その後、病院からは、退院についての連絡が来なくなった。そのまま、一週間ほど過ぎた。
 ある朝、父から電話があった。バス停でバスを待っているときだった。「同室の患者から、肝臓移植を勧められた。血液型があうのはお前だが、兄から厚生労働省へ頼んで手配してはもらえないか」と。
 入院当初、主治医から「アルコール性肝不全は生活習慣病で本人の責任が大きい。生体肝移植ができる設備、資源は限られており、生活習慣病の患者に資源を回すことは道義上できない」という説明があった。正直なところ、移植リスクを負うことも同意しかねた。色々問題があり、決して
うまくは行っていない親子だ。「そんなに簡単じゃないよ。兄貴もそこまでの力はない」と簡単に答えた。「そうか・・・」と、父は力なくつぶやいた。バスが来たので、その時はそれで電話を切った。後に、兄にこの電話のことをメールした。「様子がおかしい」とも。兄からは「夢でも見ていたのかも。死にたくないのでしょう」との返事が来た。
 翌日、主治医に接見を求められた。「芳しくない」との話だった。しばらくして看護師から「個室に移った。おむつと清浄綿を準備してほしい」と電話があった。買い物をして、病室を訪れると、指先に点滴を刺した父が、震える手で携帯電話を操作していた。「短縮ダイヤルで、兄に電話する方法を忘れてしまった」と言った。「こうすればいい」と教えたが、父はちゃんと覚えられない。ボタンもうまく押せない。「手順をこれに書いてくれ」と、メモ帳を渡された。言われたとおり書いたが、そのとおりの操作はやはり出来なかった。「俺も耄碌したのかな」父がつぶやいた。すでに末期の症状が出ていた、膝が自然に曲がってしまい、寝巻きがはだけてしまう。何度も直したが、同じだった。
 1時間もそうしていただろうか。「そろそろ帰るね。また来るよ」というと「いいよ。じゃあ」と言って父は背を向け横になった。そんな時だけは、受け答えがしっかりしている。弱味は見せたくないのだろうな、と思った。そして、結果的にそれが、最後に父と交わした言葉になった。病院から呼び出しがあったのは、その2日後のことだ。

 父はいま、明らかに命を終えようとしている。兄弟で考えた末、母を呼んだ。数年前から別居状態にあったが、入院してからも会わせなかった。最期も兄弟のみで看取るつもりだったが、この時間なら、会いたくない親戚や知人も来ないだろう。本当は、意思の疎通が出来るときに会わせたかったが、どうせ喧嘩になってしまう。父にとっては、言いたいことが言えない状態での再会になってしまった。可哀相だが、仕方がない。
 母は泣いた。「こんな風にさせたくなかったから言っていたのに」と言って、父の額をなぜた。私も、とうとう泣いた。どうしようもないことが、どうしようもなく悲しかった。兄は、このときはまだ泣かなかった(理由はあるが書かない)。「もう眠ったら。頑張っても苦しいだけだよ」と母が言った。父は、決して、まばたきすらしようとはしなかった。「目を閉じたら最期だ」と、強い意志で開けられたままであるようだ。そう母は言った。私には、父が瞼を、閉じないのか、閉じられないのか、それすら、分からなかった。
 夜が明けた。窓の外は、はじめての本格的な雪だった。公園の池には、白鳥がいる。時折、風が強くなった。冬の荒天は、暖かい日差しと冷たい風、雪。病院の中はうそのように暖かい。父にはおそらく、もう、この景色が見えていない。
 8時間ほど、そうして病室で過ごした。そういえば、家族4人がそろうのは何年ぶりだろう。
 父は、しばらく動いていない。ときおり、うなるような声を出しているが、その言葉は、此岸には届かない。それをどうすることも、もはや、出来なかった。
 ふと、父と関係ない話題を母としていたら、父の目が、数時間ぶりにこちらを向いているのに気がついた。
 「ああ、ごめんごめん、関係ない話してて」そう言って、父の額に手を当てた。ほどなくして、父が、ようやく目を閉じた。やっと眠れるようになったのか、と思った瞬間、宿直医と看護師がなだれ込んできた。瞳孔や脈拍を確認し、吸引機で口の中を吸った。一瞬、父が、眉をしかめて苦しそうな表情をした。看護師が抱えていた父の頭を下ろし、再度口中を吸引した。父の顔はもう、動かなかった。
 
 母の言葉が真実ならば、父は最後まで死に抵抗していたのだろう。こちらに目線を向けたのは、お別れの挨拶だったのか、助けを求めていたのか、わからない。もし、人工呼吸器で生命維持をしている状態だったら、どうしただろうか。息子たちだけなら、きっと外してくれと言っていただろう。母なら、外さない選択をしたであろう。本人の意思は・・・?わからない。わからないが、きっと、母が正解なのだと思う。

 そんなことぐらいしか、言えない。死については、一般化ができない。その時、その時で、個々の死に様があり、周囲のヒトがいるだけだ。そして皆で迷い、悩み、苦しみ、後悔するしかないのだ。そうしなくて済むとすれば、それは、ただ幸運なだけなのだ。
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