昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

鬱の根本原因をあらためて考えてみた

2015-04-12 23:18:51 | Weblog
幼少時からふりかえると、要所要所で幸運が働いて、そんなに悪くない生活が得られていた様に思う。
努力が嫌いな性格だったが、そのつど最低限の努力はした。たとえば勉強。試験前だけやった。高校になると落第が怖いのでさらに準備をするようになった。
大学は一浪したが希望通りのところに入れた。それも苦手の数学がたまたま75%解けたためだ。これは偶然の僥倖。
今の仕事に就けたのも偶然。時間がなくて適当に埋めた入社試験がたまたま通った。
妻と出会い、今の家に住むことになったのも偶然。珍しいペットを飼うことになったのも偶然。
ここまで、全部「運命」で仕込まれているような気がしていたものだ。
これが暗転するのは、思いがけないペットの急死。その3ヶ月ほど前に、熊本出張の帰りの飛行機内で嫌な予感がしていた。
これまで順調だった生活が崩れるような。それが上記の形で起こった。
以後の生活はカオス。うまくいかないと感じる事が多くなった。
そして、腐りながら仕事をしていたが、何とか立ち直ろうとしてきた矢先、嬉しい事と辛いことが職場で同時に起こるようになった。
それがどうなったかは前回書いたとおり。以後、どうやら自分にとって職場は「何をどうやってもうまくいかない場所」「自分にかかわる人に不幸を生じさせる場所」という観念が固定してしまった。生き死にに関わるようなことすらあったのだ。
つまり今の自分は、過去のもろもろの経験から「職場が大嫌い」なのだ。これでは行きたくなるはずがない。鬱が治るはずもない。
役割を与えられてもこなせる気がしないから、昇進も望まない。しかし、同期に遅れている現状をスルー出来ているわけでもない。
10年以上前、難しい仕事でも「他の人ができているのだから自分もそれなりにはできるはず」と前向きに捉えられていた自分は、もう居ない。
今の前の職場で、そういう自分がすっかりすり切れてなくなってしまった。それより前は、たとえば休日を使って県内出張のシミュレーションのため自家用車でコースを走ったり、図書館で仕事の調べ物をしたりできていたのだ。そういうことは一切できなくなった。休日は休むだけ。寝るだけ。寝て悪夢を見るだけ。他の事が出来ない。だから疲れも取れない。
つまり、やりがいとか生き甲斐とか、そういったものの喪失が最も大きい。少なくとも今の仕事を続ける限り、それらを得られそうにない。かといって、私生活で夢を持てるようなこともない。
このように「甲斐がない」とか「夢が持てない」という精神状態自体が鬱の症状のような気もするが、どちらが原因でどちらが結果か、判然としない。
いずれ、今の状態が過去と違うということだけはわかる。ほっといてもある程度のやる気が出てくるのが正常な状態だ。そうならなくなって何年だろう。とくに去年からひどくなった。今の自分は残りかすである。





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