昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

休みを充実させることの困難

2016-01-11 22:47:56 | Weblog
正月3が日が終わり、5日間の仕事。年末年始の風邪が抜けず1日は病院に行き、向精神薬と併せて風邪薬を処方してもらい寝ていた。
翌日、胃がん検診。これが不味ない。バリウムを飲む。消化管が弱っているので、酷い症状に苦しむことになった。それで3連休はパー。
本当はやりたいこと色々あったのに、昼近くに起きて鳥の世話をして、妻の帰宅を待ち、昼食を摂り、苦しいのをごまかすため昼寝をして、風呂に入って寝る。
外出も試みたが、苦しくなって途中で戻って来た。
結果、趣味らしいことはしていない。唯一『荒木飛呂彦の漫画術』を読了したくらい。西部劇からの着想などの項目を見ていると、「あ、まんが道だ」と思う。藤子不二雄と同じである。「まんが道」はA先生だが、たとえばA先生が紹介した西部劇からのインスパイアカットは、F先生の大名作『のび太の宇宙開拓史』クライマックス、ギラーミンとのサシの勝負でも見て取れる。
余談だが、荒木先生本人は藤子先生からのインスパイアについて言及しているのを見た事がないが、少なからず影響しているのではと思わせることがある。A先生の作品に『小池さんの奇妙な生活』というのがある。これは『ジョジョの奇妙な冒険』の元ネタではないのか。また、『魔少年ビーティー』最終話「そばかすの不気味少年」のエピソード、家を次々に乗っ取りにくる不気味な家族群というのは、やはりA先生の短編に同様のお題がある。そこで敵に屈せず、努力と信念で勝利するからこそ、A先生のは大人漫画、『ビーティー』は少年漫画に分かれているのだろう。
自分も漫画家に憧れていた。道具一式は常に揃えていた。だが漫画、少なくともまともな漫画は、書いた事が無い。単なるメカのカットや、落書きのようなキャラが活躍する『宇宙家族カールビンソン』のキャラを剽窃したロボット戦闘物を2編ほど書いたのみ。高校時代には国語の教科書に載っていた古典の漫画化を試みたが、絵が稚拙で、やはりなえてしまい、4ページ程で挫折した。
自分は絶望的にペン画がヘタだ。いまの達者な漫画家先生などどうやって書いているのか及びもつかない。今年の年賀状も漫画ネタを考え、ペン入れまでしたカットがあったが、年末までに出せるまでに仕上がらず、あのような形になった。ペン使いでいうとF先生はかなりヘタで、A先生はやや野暮ったい。上手なのは赤塚不二夫先生で、キャラと完全に線が一致している。あれが理想だが、難しい。
画業を志していたことはあれど、いずれにせよ自分ではできることが限られており、挫折するしかなかったろう。

「本当はどう言う仕事が向いていたのだろうか」と考えることがある。他者のアシスタントをするような業務が、自分では意外に上手いと思っている。これは、父の仕事をサポートして来た経験から「この人が次にしてほしい事は何か」を察して行動する事が出来るからである。ただ、今の生業はそうではない。

頑張れない、頑張れないと言って嘆き、体調は段々下降し休みも動けない状態となり、苦労して職場に行き、できない仕事をして、苦しくて席を立ち、なんとか1日をやり過ごし、そうしてこの4日は終わるのだろう。大丈夫だろうか。なかなかに辛い。それだけで終わる人生に、実は喜びはない。