などということは10年近くずっと言い続けている。言い続けながら東日本大震災を経験してそれでもなお生き残っているというのがよく考えるとおかしい気がしてきた。
もっとも死ぬとしても誰のために死ぬのやら。自分のためか。確かに肉体的精神的に苦痛が半端ないので解放されたいが、死をもって解放されるという確証がない。それから、わりと自分が大事に想っている身近な存在がそのことによって迷惑を被ったり悲しんだりすると思うので、それは望まない。たとえば賃貸マンションの保証人は誰がなるのか。それ一つとっても困る人が出てくる。
とゆーことは、死んでも死ななくても、いずれ望まない結果なのである。ゆえに積極的に死を選んでいない。たぶん偶々。それが今の状態である。
もっとも死ぬとしても誰のために死ぬのやら。自分のためか。確かに肉体的精神的に苦痛が半端ないので解放されたいが、死をもって解放されるという確証がない。それから、わりと自分が大事に想っている身近な存在がそのことによって迷惑を被ったり悲しんだりすると思うので、それは望まない。たとえば賃貸マンションの保証人は誰がなるのか。それ一つとっても困る人が出てくる。
とゆーことは、死んでも死ななくても、いずれ望まない結果なのである。ゆえに積極的に死を選んでいない。たぶん偶々。それが今の状態である。