『旧石器遺跡「捏造事件」』(岡村道雄著,山川出版社,2010)読了。
世間的には過去のことでしょうが、なにせ地元でのこと。いまだに県議会では定期的に質問する先生がいるくらいで、ここではまだ話題となることもあるのです。
私自身、地元という事は措くとしても、もともと、自然科学との学際ジャンルとして,先史考古学にも興味があり、科学朝日等の記事を愛読していました。
中島山の接合遺跡や、埋納遺構などの記事をよく覚えています。
一方,そこにも「出土石器の形式が同年代の外国産石器と異なる」という反対意見が掲載されていました。
人類学の馬場先生も、つじつまが合わないと批判していたように思います。
私自身,「なぜ宮城県でばかり多く見つかるのか」という疑問を持っていました。
本県が特段,原人の居住に有利だったとも、開発等が頻繁だとも,考古学研究が進んでいるとも思えませんでした。
(東北大考古学は文学部内に研究室があり,歴史学の一分野という位置づけであったことから,先史考古学に得意な印象がなかった)
大学在学中,歴史に造詣の深い院生の先輩に尋ねたことがあります。
「なぜ,宮城でばかり原人級の発掘が多いのでしょう?」
先輩は,
「発掘箇所が多いから」と答えました。
日本考古学の動態を俯瞰する立場にない私としては,「そんなものかな」という感想しか浮かびませんでした。
捏造報道は,当時勤務していた部署に,月曜日に出勤したときに知りました。
昼のニュースで取り上げられているのを聞き,「何があったの?」と一人言をつぶやいたところ,隣の女子職員が「日曜日にスクープがあったんだよ」と教えてくれました。
以前読んだ科学朝日の記事が脳裏を過りました。
批判記事の一つは、新しい時代の石器の特徴である事、石器制作時の剥片が出土しないといった点を指摘し、暗に「後代の石器を埋めた捏造ではないか」と示唆しているものでした。
当時は「そんなことが可能なのか」と疑問に思っていましたが、結果はそのとおり。
様々な思いが交錯したまま、報道を追っていた記憶があります。
昨今,特に医療報道で叩かれることの多い毎日新聞ですが,このときは良い仕事をしましたね。
日本考古学が半壊したといってもよいこの事件,前半では,著者自らが発掘に参加していた座散乱木,馬場壇Aの両遺跡において,当時最新の科学的手法を用い,詳細に研究が行われた旨が書かれています。
これをもって,捏造現場にいながらにしてそれを看破できなかった専門家の抗弁と取ることもできなくはありませんが,むしろ,ここまで力を尽くした「成果」が灰燼に帰した,その虚しさに慄然とします。
さて、捏造の動機ですが、功名心ももちろんあったでしょうが、もう少し幼稚な感情に根ざしているように思います。
捏造はごく初期から行われていましたが、人を騙す快感というより「ごっこ遊び」的な感じが見て取れます。
それで、思い出されるのは藤子F先生の「ニューイヤー星探訪記」です。
独特の起源神話を持つこの星の民族が、宇宙文明の始祖であるという学説を立証するために、ごく辺境にあるニューイヤー星を訪れた一行。
現在は石器時代の暮しをしている、人の良い原住民族の示唆により、かつて高度な文明が栄えていた事を示す数々の証拠が見つかるのですが、それは、素朴な原住民族が、学者の求める内容を与えてあげたいと、捏造したものでした。
F先生のブラックジョークが背筋を冷たくする、一級のショートショートです。
もちろん、実際にあった旧石器捏造は、そんな素朴な善意によるものではないでしょう。
ただ、私は、捏造者の意図が、学者や世間を欺き、優越感に浸るというものではなく、自らを「神の手」と思い、郷土に太古の人類が居住していたというロマンを実現したいという、空想と現実の区別のつかない、未熟な精神性によるものではないかと思うのです。
いまは静かに暮らしているという捏造者の近況は、雑誌等の記事になったこともあり、ネットで検索すると、確認出来ます。
凄惨なエピソードもあり、なんともいえない気持ちにさせられます。
ただ、捏造事件一般からすると、「一見、十分な学を持たず、捏造者たりえないと思われた者が実行者だった」というのは、割と類型的です。
一緒に発掘をしていた専門家たる著者には「見抜けなかった」ことの悔しさはあるでしょうけど、まあ、人なんて古今東西そんなものだということも、また、歴史が物語る真実ではあります。
世間的には過去のことでしょうが、なにせ地元でのこと。いまだに県議会では定期的に質問する先生がいるくらいで、ここではまだ話題となることもあるのです。
私自身、地元という事は措くとしても、もともと、自然科学との学際ジャンルとして,先史考古学にも興味があり、科学朝日等の記事を愛読していました。
中島山の接合遺跡や、埋納遺構などの記事をよく覚えています。
一方,そこにも「出土石器の形式が同年代の外国産石器と異なる」という反対意見が掲載されていました。
人類学の馬場先生も、つじつまが合わないと批判していたように思います。
私自身,「なぜ宮城県でばかり多く見つかるのか」という疑問を持っていました。
本県が特段,原人の居住に有利だったとも、開発等が頻繁だとも,考古学研究が進んでいるとも思えませんでした。
(東北大考古学は文学部内に研究室があり,歴史学の一分野という位置づけであったことから,先史考古学に得意な印象がなかった)
大学在学中,歴史に造詣の深い院生の先輩に尋ねたことがあります。
「なぜ,宮城でばかり原人級の発掘が多いのでしょう?」
先輩は,
「発掘箇所が多いから」と答えました。
日本考古学の動態を俯瞰する立場にない私としては,「そんなものかな」という感想しか浮かびませんでした。
捏造報道は,当時勤務していた部署に,月曜日に出勤したときに知りました。
昼のニュースで取り上げられているのを聞き,「何があったの?」と一人言をつぶやいたところ,隣の女子職員が「日曜日にスクープがあったんだよ」と教えてくれました。
以前読んだ科学朝日の記事が脳裏を過りました。
批判記事の一つは、新しい時代の石器の特徴である事、石器制作時の剥片が出土しないといった点を指摘し、暗に「後代の石器を埋めた捏造ではないか」と示唆しているものでした。
当時は「そんなことが可能なのか」と疑問に思っていましたが、結果はそのとおり。
様々な思いが交錯したまま、報道を追っていた記憶があります。
昨今,特に医療報道で叩かれることの多い毎日新聞ですが,このときは良い仕事をしましたね。
日本考古学が半壊したといってもよいこの事件,前半では,著者自らが発掘に参加していた座散乱木,馬場壇Aの両遺跡において,当時最新の科学的手法を用い,詳細に研究が行われた旨が書かれています。
これをもって,捏造現場にいながらにしてそれを看破できなかった専門家の抗弁と取ることもできなくはありませんが,むしろ,ここまで力を尽くした「成果」が灰燼に帰した,その虚しさに慄然とします。
さて、捏造の動機ですが、功名心ももちろんあったでしょうが、もう少し幼稚な感情に根ざしているように思います。
捏造はごく初期から行われていましたが、人を騙す快感というより「ごっこ遊び」的な感じが見て取れます。
それで、思い出されるのは藤子F先生の「ニューイヤー星探訪記」です。
独特の起源神話を持つこの星の民族が、宇宙文明の始祖であるという学説を立証するために、ごく辺境にあるニューイヤー星を訪れた一行。
現在は石器時代の暮しをしている、人の良い原住民族の示唆により、かつて高度な文明が栄えていた事を示す数々の証拠が見つかるのですが、それは、素朴な原住民族が、学者の求める内容を与えてあげたいと、捏造したものでした。
F先生のブラックジョークが背筋を冷たくする、一級のショートショートです。
もちろん、実際にあった旧石器捏造は、そんな素朴な善意によるものではないでしょう。
ただ、私は、捏造者の意図が、学者や世間を欺き、優越感に浸るというものではなく、自らを「神の手」と思い、郷土に太古の人類が居住していたというロマンを実現したいという、空想と現実の区別のつかない、未熟な精神性によるものではないかと思うのです。
いまは静かに暮らしているという捏造者の近況は、雑誌等の記事になったこともあり、ネットで検索すると、確認出来ます。
凄惨なエピソードもあり、なんともいえない気持ちにさせられます。
ただ、捏造事件一般からすると、「一見、十分な学を持たず、捏造者たりえないと思われた者が実行者だった」というのは、割と類型的です。
一緒に発掘をしていた専門家たる著者には「見抜けなかった」ことの悔しさはあるでしょうけど、まあ、人なんて古今東西そんなものだということも、また、歴史が物語る真実ではあります。
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