NHKの長崎特集か何かで、こちら亀山社中跡は随分坂を上る、と聞いていましたし、
長崎電鉄の1日乗車券背面にある地図で亀山社中の名を見付けた時は、
まだ夏の色濃い日、上がるのは大変だろうなあ、と思いつつ、
家人はその気、石畳の階段、正規?のルートではない、電鉄石大工町の停留場から、
登り始めて、先ずは地図に見える下の写真、若宮稲荷の鳥居を目指し、
そこから殆ど直登のように蛇行する墓地の中の石畳を上がって、その先に海援隊の旗を見ました!
本記事最後の写真など良く知られる幕末、長崎で撮られた写真は概ねこちらで、のものだそう。
坂本龍馬(1835~1867)は、土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれ、江戸で剣術や砲術の修業の後、帰国して土佐勤王党に加盟しました。その後土佐を脱藩して幕臣・勝海舟の門人となり、勝塾や神戸海軍操練所に学びました。元治元年(1864)以降操練所が閉鎖されたため、脱藩者の龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され、鹿児島を経由して長崎にやってきます。 そして、慶応元年(1865)夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根(こぞね)家の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。
はよく知られるところ。
150周年記念ということで頂いたハガキのスキャン。
龍馬、そしてそれ以外の車中の人間などはNHK「龍馬伝」その他で十分承知していますので、
基本的に展示でそれを確認する位。
むしろ、ここから見下ろせる長崎の町、とかそんな雰囲気を大汗の中楽しんだのが本音の話。
帰路は記念館から来た道と逆に出て、
直ぐに右折の「龍馬通り」、全部石段ですが、
を中島川目掛けて下りました。
結果、上に添付のパンフレットにある2通りのルートを歩いたことになります。
最後に、冒頭紹介の番組でこのエリアのごみ回収のやり方を紹介していたんですが、
その現場目撃時の写真が見当たりまシェン…
⇒ 目撃は翌日、別記事にてご紹介。