シモキタのtokyoboy

下北沢に居を構える初老オジのエクスサイズ、呑み歩き、美術館巡りなどの備忘録生活記録ブログ、含む膝蓋骨骨折リハビリ記録。

亀山社中記念館

2015-10-06 | 2015初秋長崎・有田

NHKの長崎特集か何かで、こちら亀山社中跡は随分坂を上る、と聞いていましたし、

長崎電鉄の1日乗車券背面にある地図で亀山社中の名を見付けた時は、

まだ夏の色濃い日、上がるのは大変だろうなあ、と思いつつ、

家人はその気、石畳の階段、正規?のルートではない、電鉄石大工町の停留場から、

登り始めて、先ずは地図に見える下の写真、若宮稲荷の鳥居を目指し、

そこから殆ど直登のように蛇行する墓地の中の石畳を上がって、その先に海援隊の旗を見ました!

 

 

 

 

この写真はその登攀?開始前”発見”した「上野撮影局」跡。

本記事最後の写真など良く知られる幕末、長崎で撮られた写真は概ねこちらで、のものだそう。

 

坂本龍馬(1835~1867)は、土佐国高知城下(現在の高知県高知市)に生まれ、江戸で剣術や砲術の修業の後、帰国して土佐勤王党に加盟しました。その後土佐を脱藩して幕臣・勝海舟の門人となり、勝塾や神戸海軍操練所に学びました。元治元年(1864)以降操練所が閉鎖されたため、脱藩者の龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され、鹿児島を経由して長崎にやってきます。 そして、慶応元年(1865)夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根(こぞね)家の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。


はよく知られるところ。

 

添付はこちらのパンフと、

150周年記念ということで頂いたハガキのスキャン。

龍馬、そしてそれ以外の車中の人間などはNHK「龍馬伝」その他で十分承知していますので、

基本的に展示でそれを確認する位。

むしろ、ここから見下ろせる長崎の町、とかそんな雰囲気を大汗の中楽しんだのが本音の話。

 

この2枚は往路。

帰路は記念館から来た道と逆に出て、

直ぐに右折の「龍馬通り」、全部石段ですが、

を中島川目掛けて下りました。

結果、上に添付のパンフレットにある2通りのルートを歩いたことになります。

 

最後に、冒頭紹介の番組でこのエリアのごみ回収のやり方を紹介していたんですが、

その現場目撃時の写真が見当たりまシェン…

⇒ 目撃は翌日、別記事にてご紹介。

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モネ展 (都美術館)

2015-10-06 | アート・文化

マルモッタン・モネ美術館には、印象派を代表する画家クロード・モネ(1840-1926)の、86歳で亡くなるまで手元に残したコレクションが所蔵されています。本展は、息子ミシェルから同美術館に遺贈されたこのモネ・コレクションを中心に、約90点をご紹介するものです。子供たちの成長を記録した作品や友人ルノワールによるモネ夫妻の肖像画、旅先の風景画、白内障を患いながらも描き続けた晩年の作品などを通して、モネの豊かな創作の世界に迫ります。


 

と読まなくたって、マルモッタンのコレクションが来日するなら訪問はmustですが、特にあの…

って、その「印象、日の出」は前期のみの出展!

ふむ、会期最初の訪問が必須なのね(9/19~10/19の1か月)…

 

での上野、前売券をきちんと準備し、

今回の企画展特別サイトで混雑状況をチェックしようと思ったらそんなツィッターも何もなく、

会期開け翌週末上野に行った際駄目元で寄ってみたら入場待ちは無いとのことで突入?を決めました。

 

ふむ、恐れていた程ではない混雑状況でしたが、皆さんここに至って?モネが誰か、とかパネルを読んでいるのを横目に鑑賞開始^^;

ふむふむ、と地下一階部分を眺め、

”目玉”の「印象」は1階にありました!

ここが左程混んでいなかったのはめっけもの、先ずは移動しつつにお最前列を一回周って、

その後は後方からじっくり拝見します。

 

そして、思わずキュレーターの方に質問したのは、”バックライトなんてまさか使っていませんよね?”、

その回答は”結構多くの人から今回のライティングが鮮やかなのを聞かれます。普通の照明だけれど、光の当たる焦点の調整可能なそれで、ぴったり画面に合わせてあるから”とのことでした。

 

個人的には今回の白眉は2階だったかと。

モネが晩年白内障を患ったのは知られるところですが、確かにその晩年期の作品をそれと意識して見たことは無い。

実際、今回の展示にも生前それらの作品が展覧会に出ることは無かった、と書かれてありましたが、ジヴェルニーの自宅の庭、なかんずく「薔薇の小道」と「日本の橋」の連作は見事でした。

殆ど抽象画の域に達し、かつ「印象」などの作品などのデリケートな色使いとは一線を画した鮮やかな色彩のそれは、

マルモッタンから来た作品群でしか見られませんものね

 

 

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環七、世田谷通り交差点から入ったところの庚申塚、富士講諸々

2015-10-06 | 富士/富士見/富士塚

今回の”発見”は世田谷通りと環七の交差点から1本世田谷通りを三茶の方に戻った脇道入ったところにある庚申塚。

方向的には東南、その交差点にあるピーコック駐車場から車で出て、シモキタの方に戻ろうとすると、この脇道を通ることとなり、

前から”何かある”とは知っていました。

この日はジョギングで通ってのご報告。

この小さな祠の中に庚申塔が2体。

そして写真裏側に以下のような富士講の記念碑とかも置かれている…

 

 

 

 

 

 

おそらく、ピーコックも入るマンション建設の際、その横マンション共有地に移設されたものと思われます。

お詣りしてから、中の庚申塔の1つを拝見すると、延宝8年の文字が刻まれています。

 1680年、芭蕉さんが深川の地で弟子たちと”ひねもすのたり”していた時代。

300余年、この地にいらっしゃる庚申塚です。

ll

 

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