無意識のうちに誰かを傷つけてしまったり
ヒドイと相手が思うことを言ってしまっていることもある。
人それぞれ気を遣う部分も違えば、
傷つくポイントも違ったりする。
だから、誰もが心地よく思うことを
言ってあげられないと思う。
受け取り手によって見方や感じ方が違うのだから
仕方がないことでもある。
それでも悪意を持ってわざとそうするのとは違う。
でも、この世の中には大きな事件を起こさなくても
悪意を持って行動する人も多いし
それに従ってしまう人も多い。
集団の中のいじめもそう・・・
悪意を持って行動し、
その時は自分の思い通りになったとしても
人生のどこかで必ず落ちるときがくるけど。
よく、「あんな人ばかりどうしていい思いをするのだろう?」
と思ったりすることがあると思う。
どんどん成功したり、
うまく人生が動いているようにみえたりするから。
「いつか痛い思いをする」と誰かが言っても
そんなの信じられないくらい
上手くいっているのしか見えなかったり・・・
因果応報・・・?
私はそういった人から離れてしまうし
興味もないので状況がどうかなんてどうでもいいから
その後どうなっているのかもわからないけれど
やはり、因果応報ってあるような気がする。
何年か後、もしかしたら何十年か後
人生が空回りしていく人を多く見るから・・・
弱いことで何もしないのも
悪意を持って何もしないのも
どちらのエネルギーも偏りすぎているし
悪に取り込まれたエネルギーで同じ悪になる。
誰か一人に向けているように見えても
それはもっと多くの人にも影響しているのだから
発した元へと戻ってくるものがあるのも
当然といえば当然のことだ。
いつもいいエネルギーを発することはできなくても
悪意のあるエネルギーを発すること
発し続けることはやめるべきだ。
自分の発するエネルギーにも波及効果があるのだと
いうことも忘れてはいけない。
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