昨日の続きになるけれど
自分の当然のこと、普通のことは
他人とは違うことを認識しておくべきなのだろう。
外交的でいつも友達と一緒にいたい人、
誰かといなければ駄目な人は
選別して友達になれる人を選択するというより
ある程度誰でもいいけので都合がつく人がいい。
すると、人も必ず友達が必要だと思い
いつも1人で行動する人を心配する。
よっぽど気の合う人でないのなら1人の方が気楽でいい
という人の感覚がまるっきり彼らにはないので心配するのだ。
これと同じように全ての物事で
自分の中にない感覚を持った人を見ると
変わっている、信じられない、可哀想な人などと
勝手に定義づけるのだろう。
何をとっても外側を見て
人の幸せを図ることなんてできない。
自分のような物事を持っていない人を見て
可哀想な人とどうして言えるのだろうか?
実際、どちらが充実し幸せな人生であったかも分からないし
大体何も比べられないことで、その感覚はくだらない思考だ。