昨日は郷土料理を食べた後、息子が小学校でお世話になった担任の先生と、介助員の先生(看護師)が来てくれました。
担任の先生とは10年ぶりの再会。
じーっと見つめ、声をかけてもらうと満足気な表情で思い出したようです。
だーいすきな先生でしたから。
重度で言葉を話せない息子を2カ月間ひたすら観察し、何をやれるかよりもどう感じているかを見つめていて、微細な息子の反応を感じ取ってくれた先生でした。
帰り際のバイバイを息子の手を取ってさせようとしたら、「そんなんせんでええ」
「トモ君、またな」とごく普通に声をかけ、キュッと体に力を入れる息子の様子を見て、「ほら、ちゃんとわかってるんや」と先生。
あー、大切なこと忘れてるよなー私・・・。
介助員の先生は小学生の子供さんを連れて来てくれ、息子が大好きな「かいけつゾロリ」を一緒に鑑賞。
息子とは初対面でも不思議がることがないのは、通学している学校にも重い障害をもつ友達がいるから。
息子もそうですが、大阪では重度障害があっても地域の学校が受け入れています。
障害の理解は、大人よりも子どもの方が柔軟に受け止めます。
理屈じゃないんですよね。だから「かわいそう」とは言わない。
障害=かわいそう は、大人の価値観なのかもしれません。
河内長野市は10年以上前から支援学級に、介助員として看護師を配置。その1人目が来て下さった方なのです。
障害があっても普通に暮らしたい。その第一歩は教育現場だと思います。