“日本のロックをメジャーにした!!”
スムーズな語り口。それも今は「渚のラブレター」が売れ行き好調であるせいかもしれない。「控えめにいこうと思います」なんて言い方はするけれど、「いつも売れている沢田研二でありたい」と、ふっと口をついて出てくるあたり、久しぶりに自信回復のきざしが見える。
「売れていないときは、ほんとにダメですね。酒も飲みに出ないわけですよ。ですから、当初は5月に出すものがもしダメだったら、根本的に考え直さなければならないと思っていましたね。まあ、ロックンロールですから、シンプルにいけるわけで、おかげさまで長い間歌ってこられたわけですから。キャリアに賭け、あとは情熱でやっていこうと思います。でも思い返してみると、「危険なふたり」という歌が、ぼくの方向を作ったように思います。それまでの作品が比較的格調高い雰囲気という具合できてたでしょう。それが少しづつパワーが落ちてきたわけですね。そこでどのような方向でいくべきなのかをと話し合いましてね。ともかくじめっとせずにカラッといこう、ということに決めまして。ですからその時は売れるならめちゃくちゃ売れるだろうし、そうでなければ全くダメじゃないかというふうに話し合ったことを覚えています。あの曲がなかったら、僕は今でもその時代時代に迎合したものだけしか歌っていられなかったのではないかと思います。「危険なふたり」のおかげでいろんなタイプのものができるようになった。それ以後、「勝手にしやがれ」から「カサブランカ・ダンディ」までは売れないことなど考えられなかったですね。」
たしかに「危険なふたり」は画期的な作品だった。戦後というより、日本で生まれた初めてのロックンロールのヒット曲だったという意味で。それまでは何といっても、ロックンロールはアメリカのものという印象である。それ以降、沢田研二も比較的抵抗なしにロックンロールを歌い、それが今の沢田研二につながるのだし、今度のアルバム「ストリッパー」にもつながったと考えていいはずだ。ダウンタウン・ファィティング・ヴギウギバンドも、横浜銀蠅も、あのヒットに負っていると言ってもいいくらいなのである。
もう少し続きます~。
スムーズな語り口。それも今は「渚のラブレター」が売れ行き好調であるせいかもしれない。「控えめにいこうと思います」なんて言い方はするけれど、「いつも売れている沢田研二でありたい」と、ふっと口をついて出てくるあたり、久しぶりに自信回復のきざしが見える。
「売れていないときは、ほんとにダメですね。酒も飲みに出ないわけですよ。ですから、当初は5月に出すものがもしダメだったら、根本的に考え直さなければならないと思っていましたね。まあ、ロックンロールですから、シンプルにいけるわけで、おかげさまで長い間歌ってこられたわけですから。キャリアに賭け、あとは情熱でやっていこうと思います。でも思い返してみると、「危険なふたり」という歌が、ぼくの方向を作ったように思います。それまでの作品が比較的格調高い雰囲気という具合できてたでしょう。それが少しづつパワーが落ちてきたわけですね。そこでどのような方向でいくべきなのかをと話し合いましてね。ともかくじめっとせずにカラッといこう、ということに決めまして。ですからその時は売れるならめちゃくちゃ売れるだろうし、そうでなければ全くダメじゃないかというふうに話し合ったことを覚えています。あの曲がなかったら、僕は今でもその時代時代に迎合したものだけしか歌っていられなかったのではないかと思います。「危険なふたり」のおかげでいろんなタイプのものができるようになった。それ以後、「勝手にしやがれ」から「カサブランカ・ダンディ」までは売れないことなど考えられなかったですね。」
たしかに「危険なふたり」は画期的な作品だった。戦後というより、日本で生まれた初めてのロックンロールのヒット曲だったという意味で。それまでは何といっても、ロックンロールはアメリカのものという印象である。それ以降、沢田研二も比較的抵抗なしにロックンロールを歌い、それが今の沢田研二につながるのだし、今度のアルバム「ストリッパー」にもつながったと考えていいはずだ。ダウンタウン・ファィティング・ヴギウギバンドも、横浜銀蠅も、あのヒットに負っていると言ってもいいくらいなのである。
もう少し続きます~。