<川は流れる>

Reiの好きなこと、ここだけの話

FMレコパル②

2008年11月12日 | ジュリーインタビュー
“日本のロックをメジャーにした!!”


スムーズな語り口。それも今は「渚のラブレター」が売れ行き好調であるせいかもしれない。「控えめにいこうと思います」なんて言い方はするけれど、「いつも売れている沢田研二でありたい」と、ふっと口をついて出てくるあたり、久しぶりに自信回復のきざしが見える。


「売れていないときは、ほんとにダメですね。酒も飲みに出ないわけですよ。ですから、当初は5月に出すものがもしダメだったら、根本的に考え直さなければならないと思っていましたね。まあ、ロックンロールですから、シンプルにいけるわけで、おかげさまで長い間歌ってこられたわけですから。キャリアに賭け、あとは情熱でやっていこうと思います。でも思い返してみると、「危険なふたり」という歌が、ぼくの方向を作ったように思います。それまでの作品が比較的格調高い雰囲気という具合できてたでしょう。それが少しづつパワーが落ちてきたわけですね。そこでどのような方向でいくべきなのかをと話し合いましてね。ともかくじめっとせずにカラッといこう、ということに決めまして。ですからその時は売れるならめちゃくちゃ売れるだろうし、そうでなければ全くダメじゃないかというふうに話し合ったことを覚えています。あの曲がなかったら、僕は今でもその時代時代に迎合したものだけしか歌っていられなかったのではないかと思います。「危険なふたり」のおかげでいろんなタイプのものができるようになった。それ以後、「勝手にしやがれ」から「カサブランカ・ダンディ」までは売れないことなど考えられなかったですね。」



たしかに「危険なふたり」は画期的な作品だった。戦後というより、日本で生まれた初めてのロックンロールのヒット曲だったという意味で。それまでは何といっても、ロックンロールはアメリカのものという印象である。それ以降、沢田研二も比較的抵抗なしにロックンロールを歌い、それが今の沢田研二につながるのだし、今度のアルバム「ストリッパー」にもつながったと考えていいはずだ。ダウンタウン・ファィティング・ヴギウギバンドも、横浜銀蠅も、あのヒットに負っていると言ってもいいくらいなのである。


もう少し続きます~。
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大きな体育館、ドームなどは。

2008年11月12日 | ジュリー
先日コメント欄でも書きましたが、ドーム内は飲食物持込禁止になっています。
皆様ご注意くださいね。


京セラドーム注意事項

一番下の赤字をごらんください。
コメント (1)
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キターキターキター!≧▽≦

2008年11月12日 | ジュリー
「何を騒いでいるのかしら?」
「いやね、頼んでたACT大全集がきたんすよ。」
「あら、あなた、普段大口たたいてるのに、持ってなかったの?」
「あ、いや、その何ですね、買おうとは思ってたんすけど・・」
「まあ、言い訳がましいわね。ジュリーファンは名乗れませんことよ。」
「ムキッ!そうですかね、だって高いんですよこれ。」
「ボーナスが出る予定なんでそれを見越して買いましたー^0^」
「自分へのクリスマスプレゼントでーす。」
「まあまあ、かわいそうにねー買ってくれる殿方いなかったんですね。」
「むきっ!いいんです、私は男性には頼らないで生きてくんですっ。」
「まあ、とにかく良かったわね、早く、私に回してよ、それで許してあげます。」
「ひえー、とぁー、持ってないんかい!!」

二人の私の会話でした!

コメント (4)
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