<川は流れる>

Reiの好きなこと、ここだけの話

FMレコパル④

2008年11月14日 | ジュリーインタビュー
“冷静に自分を見つめる沢田研二へ・・・”


この本が出る頃、沢田研二は恒例の夏のツアーに入っている。沢田研二にとって重要な仕事のひとつだ。


「ツアーに出てしまうと、他の仕事はあまりしないから、それに熱中できます。特に去年からは、LPの曲を中心に構成したステージなんです。ですから今回も“G.S.I LOVE YOU”と“ストリッパー”の中の曲を中心に歌います。かつてのヒット曲は、もしアンコールがあったときに聴いてもらおうかと・・・。でもむつかしいですね。ヒット曲を聴きたいというお客さんも大勢いますし。でもそれだけやっていたのでは、いつまでたったも同じことになってしまうわけですから。コンサートっていうのは売れているころは子供のお客さんが増えるんです。でも、最近はやや減りぎみだった・・・。男の人が少し増えたかな。」


 夏のこのツアーと並んで沢田の大きな仕事のひとつに、年に一本の映画がある。今年は「魔界転生」

「あれは40日間だったかな、撮影期間が。楽しいですね。気分転換になりますし・・・。シングルレコードが年3枚のペースなら、スケジュール的には年一本の映画も出演できます。もうしレコードが売れて忙しくなったら、それはそれで気分の問題だからやってしまうということになるんだと思うんですがね。欲張りな僕のことだから・・。」


それにしても長いキャリアで、相変わらず第一線である。「渚のラブレター」が32枚目のシングルレコード。それが堂々のベストテン入りだ。こうなったら、あとは海外に出て世界のという地位を狙ってみるというのも、当然考えられないことではあるまい。もちろん今までにもトライは重ねているわけだけれど。


「中途半端にやったんじゃダメなんですね。やるなら、3ヶ月なら3ヶ月、ずっと現地に住んで、そこできちんとプロモーションもやるということでなければ、とてもダメでしょう。そしてそうしたところでうまくいくというという確立は決して高くないはずです。だいたい日本でやっているだけで、アップアップしているくらいですから。それに、日本でちゃんとやっていてしかも外国でもということでこそ、意味があるわけですから。そして、それはしょせんは賭けなんです。でも、今、日本を切り捨ててまでという勇気はないんですよね。」


ヘンな言い方になるかもしれないが、沢田研二は、会うたびに“大人”になっているという気がする。常識的に言うと、カドがとれたということになるのだろうが、それとも違う。それよりも自分を見つめる目が、年々冷静になり、シビアになってきているといったほうが近いだろう。フケたというのでもない。本人はテレながら“若くない”とは言うけれど、そんなことはない。むしろ年々、冷静な目を身につけてきているのだ。

つまり、沢田研二は、経験をきちんと自分の栄養にして生きている。実は沢田研二に期待するのは、そのポイントが一番大きい。

つまり彼がこれから先、長い人生を送っていくなかでの経験が、すべて彼自身のものになるだろうし、そうなったとき、沢田研二は、真に国民的な歌手になり得るはずである。沢田研二には、ゆったりと自分のペースで進んでいって欲しいし、こちらも、そのペースにあわせて、じっくり待っていようかと思う。



実はこのインタビューを転載しようと思ったのは、この伊藤さんの最後の文章を書きたかったからである。伊藤強さんは、見事にジュリーの本質を言い当てていると思う。今も元気でいらっしゃると思うが、ジュリーのドームに関心を寄せていただいてると思う。ジュリーはあなたの言うように国民的歌手になったでしょう?
ジュリーファンは誇らしいですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びの話題

2008年11月14日 | ジュリー
ドーム内の飲食禁止

これは、ぎりぎりまで悩むところですね。
持ち込み禁止ということは、中にあるってことなので、ペットボトルも缶ジュースも売ってあると思います。
飛行機と同じく、テロ対策と、何か違法の取引が行われるのを防止するためでしょう。
ただし、食べ物ですが、ジュリーの場合に限っては絶対食事がいるわけですね。
ドーム内にあるだけの飲食店ではまかないきれるはずもなく・・。
そこが、とっても悩むところ。普通のコンサートと違うんですもんね。
弁当1万個作ってもらうといいよねっ
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジュリーはもうすぐパストラルかぞ

2008年11月14日 | ジュリー
いよいよ、16日はパストラルかぞです。

今回追加公演ということで、大きく間があいてしまいました。
もう、ドームの練習に入ってるんですよね。
その練習中の良いアクセントになりますね、きっと。
あの衣装はもう見納めなんでしょうね。さみしー。
ドームの衣装は、全部新調でしょうね。
それこそ誰も話題にしないけど、あっっ!!!ちゅうお衣装に違いありません。
タケジ先生にとっても一世一代ですもん。
痩せたジュリーの魅力を最大限に活かしてくれる衣装をお願いします。
私はいつも言ってますが、ひらひらふあ~が好きです。
赤のひらひらをお願いしたい。
ああ、そうだったらいいな。

ところで九州に住む身としては、「かぞ」?ってどこ、と思いました。
漢字にすれば加須、これも又不思議、かぞって読むんですねー知らんかった。
日本の地名はむつかしー><。
埼玉県加須市ですね。関東。今回関東圧倒的に多かったような気もしますが、気のせい?
いや~、九州も多かったんでした。他の地方の皆様、すみません・・・。
おかげで九州だけで3箇所も行くことができて、今年は超超素晴らしい年でした。
ラストの出水ももう5日後に迫っています。
ジュリーを初めて見る方が大勢来るんでしょうね、もう反応がすごい楽しみです。ファンクラブ席は前方ですが、ジュリーと一緒に地元の人を立て、ビビットな反応で応援したいと思ってます。^^v
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FMレコパル③

2008年11月13日 | ジュリーインタビュー
“多重録音でデモ・テープ作り”


「おかげさまで「渚のラブレター」は好調なのですが、今は、昔の売れていた頃の感じを取り戻そうとしているんです。ここで気をゆるめちゃいかんと思ってね。ほんとにしばらく売れてなかったでしょう。だからヒットチャートが上がってきて、今は“もちこたえられたな”って感じてるところなんですよ。自作だということは、むしろ偶然なんですよね。でも必死でした。テレビCMにも使ってもらったし。テレビ番組には、カラオケでも出るという意気込みだったですよ。むしろ自作でダメだったら、ダメージが大きいですしね。それに自作というものは自分で評価できないものなんです。今回の僕の作品も候補作の一つとして、名前を伏せて会議にエントリーして最終的に採用されたんですよ。阿久悠さん、大野克夫さんにも書いていただいていたころでも、これでいくというのではなくて、4~5曲は候補があって、その中から選んでいたんです。ぼく自身、作曲も以前からしこしことはやっていますよ。特に最近は、レコーディングのたびに作品を提出しているんです。でもいいところでB面、あとは落選というわけでして・・・。レコードになったのは、それでも40~50曲はあります。LPでは藤圭子さんもあったし、ザ・ピーナッツ、内田裕也さんもありました。他人に書くといいものができるんですね。次も内田裕也さんのLPに書かせてもらうことになって、楽しみです。ぼくも最近は自宅に4チャンネルの多重録音のできる機械を買い込んでやっているんで、おもしろいさかりなんです。いろいろな音を重ねてデモ・テープぐらいまでですけれどね。もともと機械に強くないから、あまり好きではなかったんですが、いまはおもしろい。今度のLPでも3日間、部屋にこもりきりで6曲作りまして、3曲当選です。」


ジュリーがデモテープ作り!?
是非とも聴いてみたいですねっ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天草

2008年11月13日 |  ブログ
15日土曜日に研修旅行で天草に行きます。
天草はどんなところかというとー、と説明すると長くなるので、このHPをご覧ください。^^ヾ

天草


ジュリーファンのみなさんには「天草四郎」が馴染みが深いですよね。
それならばここはいかがでしょう。

天草四郎メモリアルホール

実は私もまだここには入ったことはないのですが、瞑想の部屋というのがあって、とてもリラックスできるそうです。是非、日曜に寄って帰ろうと思ってます。

天草の楽しみは何と言っても料理です。海の幸。

九州ではNO.1だと思ってます。
おいしいものは、伊勢海老、鯛、うに、たこ、まあとにかくたくさん、です。そして驚くことに、天草の旅館の料理はどこに行っても、絶対食べきれない量がでるのです。
それこそ、居酒屋にいって舟盛り頼んでも、ほんのちょっとの刺身で上げ底ですが、天草はハンパないです。
たぶん一人前が、居酒屋舟盛りの3倍くらいじゃないでしょうか。
そのうえに車エビの踊り食いだとか、たこのまるごとのステーキだとか、いろんな海鮮が山盛りのエビチリだとか、伊勢海老の刺身、あわび、うに、・・・・。
どっから手をつけいていいかわからないほどです。

それからおいしいお土産は「三角のみかん」ぽんかんも有名です。
天草に行ったら、何をおみやげに買って行ったらいいのか迷って迷って困ります。

もし誰かが、熊本へきて、案内しようと思うなら、まず最初は阿蘇で、それから天草の順かなあ。
あとは「五木の子守唄」で有名な五家荘ですね。
日本一の吊り橋もありますしねっ。^^

来年ジュリー熊本ライブに参加される方は、天草観光も計画されてはいかがですか^^v
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FMレコパル②

2008年11月12日 | ジュリーインタビュー
“日本のロックをメジャーにした!!”


スムーズな語り口。それも今は「渚のラブレター」が売れ行き好調であるせいかもしれない。「控えめにいこうと思います」なんて言い方はするけれど、「いつも売れている沢田研二でありたい」と、ふっと口をついて出てくるあたり、久しぶりに自信回復のきざしが見える。


「売れていないときは、ほんとにダメですね。酒も飲みに出ないわけですよ。ですから、当初は5月に出すものがもしダメだったら、根本的に考え直さなければならないと思っていましたね。まあ、ロックンロールですから、シンプルにいけるわけで、おかげさまで長い間歌ってこられたわけですから。キャリアに賭け、あとは情熱でやっていこうと思います。でも思い返してみると、「危険なふたり」という歌が、ぼくの方向を作ったように思います。それまでの作品が比較的格調高い雰囲気という具合できてたでしょう。それが少しづつパワーが落ちてきたわけですね。そこでどのような方向でいくべきなのかをと話し合いましてね。ともかくじめっとせずにカラッといこう、ということに決めまして。ですからその時は売れるならめちゃくちゃ売れるだろうし、そうでなければ全くダメじゃないかというふうに話し合ったことを覚えています。あの曲がなかったら、僕は今でもその時代時代に迎合したものだけしか歌っていられなかったのではないかと思います。「危険なふたり」のおかげでいろんなタイプのものができるようになった。それ以後、「勝手にしやがれ」から「カサブランカ・ダンディ」までは売れないことなど考えられなかったですね。」



たしかに「危険なふたり」は画期的な作品だった。戦後というより、日本で生まれた初めてのロックンロールのヒット曲だったという意味で。それまでは何といっても、ロックンロールはアメリカのものという印象である。それ以降、沢田研二も比較的抵抗なしにロックンロールを歌い、それが今の沢田研二につながるのだし、今度のアルバム「ストリッパー」にもつながったと考えていいはずだ。ダウンタウン・ファィティング・ヴギウギバンドも、横浜銀蠅も、あのヒットに負っていると言ってもいいくらいなのである。


もう少し続きます~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きな体育館、ドームなどは。

2008年11月12日 | ジュリー
先日コメント欄でも書きましたが、ドーム内は飲食物持込禁止になっています。
皆様ご注意くださいね。


京セラドーム注意事項

一番下の赤字をごらんください。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キターキターキター!≧▽≦

2008年11月12日 | ジュリー
「何を騒いでいるのかしら?」
「いやね、頼んでたACT大全集がきたんすよ。」
「あら、あなた、普段大口たたいてるのに、持ってなかったの?」
「あ、いや、その何ですね、買おうとは思ってたんすけど・・」
「まあ、言い訳がましいわね。ジュリーファンは名乗れませんことよ。」
「ムキッ!そうですかね、だって高いんですよこれ。」
「ボーナスが出る予定なんでそれを見越して買いましたー^0^」
「自分へのクリスマスプレゼントでーす。」
「まあまあ、かわいそうにねー買ってくれる殿方いなかったんですね。」
「むきっ!いいんです、私は男性には頼らないで生きてくんですっ。」
「まあ、とにかく良かったわね、早く、私に回してよ、それで許してあげます。」
「ひえー、とぁー、持ってないんかい!!」

二人の私の会話でした!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1981年「FMレコパル」

2008年11月11日 | ジュリーインタビュー
1981年のインタビューだが、以前にアップした「Player」と同じ時期で、ロンドンレコーディングの話しから始まっていたので、はしょろうかと思って読んでいたら、思いのほか、興味深いインタビューだったので全文転載決定(笑)

インタビュアー 伊藤 強 (音楽評論家)


“ねらい打ちのロンドン録音!!”


 沢田研二がロンドン録音のアルバム『ストリッパー』を完成した。全体に軽いロックンロールだ。
 何故イギリス録音なのだろう?

「外国録音は4回めです。ほかにドイツ、フランスでシングルをだすためにやりましたけれど、アメリカが全然ないですねぇ。ぼくの場合、ウエストコースとふうじゃないし、さりとてニューヨークまで行くことはないだろうという感じがあって・・・。ロンドンはビートルズの国だからというのかな、けっしてカラッとしていない。どこか屈折している感じが好きなんですねぇ。」

「外国で録音することの意味を考えますと、本当は向こうで出すためだと思うんです。だからぼくもここしばらくは行ってなかったのですよ。ただ、今度ロンドンに行ったのは、ぼくが「ストレイキャッツ」や「ロックパイロット」などのグループが好きで、この2組のLPジャケットを見ていたら、両方とも同じ「エデン・スタジオ」で、ミキサーも同じ「アルド・ポッカ」という人がやっている。これはおもしろいと思いましてね。同じスタジオ、同じミキサーでやるのなら、また気分が変わるかもしれないと考えて、スケジュールを調べてもらったら、スタジオもミキサーもOK。こうなったら行かなきゃしょうがないと。ですから、当初から狙いはロンドン・ロカビリーふうというようにはっきりしていた。これがよかったんだと思うんです。」

「バンドも日本でやっているメンバーです。外国のミュージシャンにしますと、日本に帰ってきてから、それをコピーすることになるわけでしょう、それなら最初からみんなで行ってね・・・。たまにはカブれてこようかということだったんです。
確かにミキサーによって違うんですね。今回の収穫でした。しかもねらって行ったでしょう?こちらで指名させてもらったわけで、おしきせのコーディネーションでなかったことが良かったんでしょうね。日本ではいつも吉野金次さんに最後のトラック・ダウンはお願いしているんですけれど、もうこの人とも長くてね。「許されない愛」のあとに出た「あなただけでいい」以来ですよ。こっちが何か注文出しても、“いや、ぼくはずっと沢田君を見てるのだからこれでいいんだ”と言われてね。説得力があるんですよ、これが。」

「ミキサーという人たちはおもしろいんですよね。日本ではまだ少ないけれど、外国ではものすごく専門化していて、たとえば今度のアルド・ポッカなんて人は、自分はロックンロールしかやっていないっていうんです。だから途中でブラスを入れたいんだけどと言ったら、自信がないなあ、大丈夫かなあ、って言うんですよ。それとミキサーはそれぞれに自分で開発した機械の組み合わせを持っているんでしょうね。そのノウハウは他人には教えない。吉野さんなんかも一応録音が終わってからトラック・ダウンにかかると、サアこれからがこっちの出番だって顔をしますもんね。いずれにしても、今回は、やや凝った感じのロックンロールをやることで、日本のロックンロールが見えてくるかもしれないと思っていたんですよね。まずは、うまくいったんじゃないかな。」


明日に続きます~。^^
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嘘!嘘だ・・・・・><。

2008年11月10日 |  ブログ
大好きなデイヴ平尾さんが逝ってしまった!
あの歌声、明るい性格、ジュリーの友達だったデイヴ。
ゴールデンカップスの頃から大好きなシンガーだった。
いつも素敵な歌声だった。
「悪魔のようなあいつ」でも良ちゃんのよき友だった。
なんで逝っちゃうんだ・・
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする