婆ちゃんねる

「まぁ、いっかぁ」
良いかげんな一日を綴った
のうてんきなうらら日誌です
 

いもうと

2014年03月26日 01時10分05秒 | 日々くらし
私は四人姉妹です。

二番目の妹が今朝亡くなりました。

子供のころからとても明るい文学少女でした。

短大のころには『青い麦』と言う詩のサークルに入っていました。

その妹がうつ病になったのは30歳のころからでしょうか。

それからは薬漬けの毎日でした。

乳癌も患い、術後10年経過。

ここ数年は重度のうつ状態による自殺未遂もなくなって穏やかに過ごしていました。

3月に入ってから、12キロダイエットできたと写メしてきました。

喜んでいる割にはその表情は妙でした。

黄疸がでていたのです。

翌日、病院で「余命半年」と宣告されました。

肝臓に管が通されて胆汁を出すという手術を受けました。

まずそれをしないと治療ができないのだと。

肝臓が固くなっていて、一回ではうまくいかず、翌日にもう一度管を通しなおしました。

しかし、すぐに外れるのだそうです。

それから3日後には余命は1週間になりました。

酸素マスクをして管と点滴につながれた妹は、それを取り外すようになりました。

両手には大きな手袋がかぶされて、腕にしっかりととめられていました。

妹は意識もはっきりとしていて、

一人一人にその名前を呼んで

「はずして」

と訴えるのです。

余命半年といわれたその日から、何も食べていないそうです。

「おなかがすいた。メロンが食べたい」

というのです。

夫である義弟にたずねると

「窒息するから食べさせてはいけないと医師に止められている」

と言うのです。

もう死ぬというのにどうして?

妹は怒っているような表情でした。

口を真一文字に閉じて悔しそうに見えました。

そして、

医者の言葉通り7日目の今朝亡くなりました。

穏やかな表情でした。

3月6日に膵臓癌と宣告され、わずか20日の命でした。

浄土真宗ではなくなったその日にもうあの世へ旅立つのだそうですね。

あの世には大好きだった祖母が待っています。

父もいます。

叔父たちも。

みんなが暖かく妹を迎えてくれていることでしょう。

せめてもの救いは長い闘病生活がなかったこと。

苦しむ時間も少なかったこと。

   安らかに、妹よ。