読了。
フッサールの弟子のハイデガーについて。
客観というのに、振り回されるのも、
違うというのが現象学のメインテーマかな。
結局、人間の欲求に応じた主観で、それに応じた
とりあえずの客観らしきものは、所詮、土台がゆるい
ということかな。
ただ、主観→客観の効果を否定しているわけでなく、
それが、自分発の欲望と、どのようにつながってるかという
一生懸命な積み上げが大事だろうな。
実証結果が普遍化されなくても、やった本人が何か楽しめたり、
気づきを得たり、その後の行動や考えが変わることもあるだろうし。
まずは自分の評価が大事。それに勝るものなしかな。
デカルトとか、サルトルとか構造主義に駆逐されたと
考えるのは安直すぎで、二人がどんな個人的欲望から出発
したかによりそうとおもしろいし、今日まで名が残っているのは、
かなり、皆が納得するような欲望だったんだろうな、と。
フッサールの弟子のハイデガーについて。
客観というのに、振り回されるのも、
違うというのが現象学のメインテーマかな。
結局、人間の欲求に応じた主観で、それに応じた
とりあえずの客観らしきものは、所詮、土台がゆるい
ということかな。
ただ、主観→客観の効果を否定しているわけでなく、
それが、自分発の欲望と、どのようにつながってるかという
一生懸命な積み上げが大事だろうな。
実証結果が普遍化されなくても、やった本人が何か楽しめたり、
気づきを得たり、その後の行動や考えが変わることもあるだろうし。
まずは自分の評価が大事。それに勝るものなしかな。
デカルトとか、サルトルとか構造主義に駆逐されたと
考えるのは安直すぎで、二人がどんな個人的欲望から出発
したかによりそうとおもしろいし、今日まで名が残っているのは、
かなり、皆が納得するような欲望だったんだろうな、と。