週五日記

ボチボチがんばります

よせやぃ&大衆教育社会のゆくえ

2011-05-09 08:53:12 | Weblog

『よせやぃ』読了。

啄木さんの二つの歌の解説。

『空き家でタバコをのむ』というニュアンスの歌。

つらいことがあって、(つらいことが何か分からない)

タバコをのむという行為は、大きな雲をつかむような

歌よりも『自意識』が存在しているということ。

 

自意識が存在しているかどうか、こそ文学の本質なのでは

ないか?とのこと。

 

そう考えると、医療福祉には、かなり公益性の高いことで、

『自意識』がはさめない。が、今後は、いかに医療従事者が

『自意識』を公益性の高い『医療福祉』と接合していくか、が課題というニュアンスで、

『ほーーーーーーー』とナットクしてしまった。

 

『大衆教育社会のゆくえ』は終章手前まで。

能力の高低=世帯の収入の高低だと、

能力に応じて教育をしようとして、

能力別に教室をわけると、それが『能力別』に

分けただけでなく、

『世帯の収入の高低』でわけることになってしまい、

我が国では『能力別』あるいは『習熟度別』に教室を

分けることが、なかなか出来ないとのこと。

『ホーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』っとナットク

してしまった。

あと、『能力別』といってしまう時の『能力』のものさしが

正しいの?という問題や、

『能力別』というキャップをかけることによる『機会の不平等』

の問題も出てくる。

 

『能力別』の是非は、けっこう複雑、且つ広範囲に及ぶ問題で、

日本人の特徴にも関連する問題だろうな。

 

 

コメント
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