今朝のヨメの話にびっくりする。
自分は、自分のことを小市民だと思って
いて、小市民のように振る舞っているつもりでも、
例えば、子どもの弁当のおかずを入れる紙の
使い捨ての分が、ちょっと、お高いキャラものだったり
することで、その、お高いキャラものを買えない「家庭」
のほうは、卑屈になってしまう。
それとか、子どもの習い事の「数」で、その家の「所得」が
ランク付けされたり。
ただ、お高い「キャラもの」とか「習い事の数」は、シンボリックなもので、
別に、お高い「キャラもの」を持っているからだといって、所得が、必ずしも
高いわけではないのに、「精神的に」私のうちは、貧しいと思わされたりすると
いう弊害が生じる。吉本隆明さんの「関係の絶対性」の現代バージョンは、
こんな感じなのか、と、今朝思った。
だから、どうなんだ、といわれても、なにも答えはないが・・・。
「参照」して生きなくても、ONLY ONEだから、といわれても、
他人のことは気になるし、他人のことを気にするしか、やること「ない」と
いえばないなあ、とも思うが。