確か、400円弱のお刺身だけれども、
何気ない平日の食卓にならぶと、、、
うれしい・・・。
発泡酒2本を1本にしなさいといわれるが、
絶対に今年の夏は、無理だと思う。
庭のゴーヤで卵とじが、最近よく食卓に並ぶ。
夏バテに効くかな?と思いながら、いただく。
しかし、ゴーヤを食べても、今朝は、疲れ残りまくり・・・。とほほ。
確か、400円弱のお刺身だけれども、
何気ない平日の食卓にならぶと、、、
うれしい・・・。
発泡酒2本を1本にしなさいといわれるが、
絶対に今年の夏は、無理だと思う。
庭のゴーヤで卵とじが、最近よく食卓に並ぶ。
夏バテに効くかな?と思いながら、いただく。
しかし、ゴーヤを食べても、今朝は、疲れ残りまくり・・・。とほほ。
確か、400円弱のお刺身だけれども、
何気ない平日の食卓にならぶと、、、
うれしい・・・。
発泡酒2本を1本にしなさいといわれるが、
絶対に今年の夏は、無理だと思う。
庭のゴーヤで卵とじが、最近よく食卓に並ぶ。
夏バテに効くかな?と思いながら、いただく。
しかし、ゴーヤを食べても、今朝は、疲れ残りまくり・・・。とほほ。
ヒトに聞いた以上、
ブーメランのように、返ってきた言葉。
とりあえず、ていねいに、書きかけの1本を書いて、
ぼんやり次のテーマを考えよう、、、という夏休み+
心の洗濯をするために『遊びまくる』と答えておいた。
まあ、遊ぶように仕事して、仕事のように遊んで・・・・、、、+
やることだけは、キッチリと。
さあ、もうすぐである。
ダブルソーダを写真付きで、
有名人ブログから発見。
草野球したあとに、食べてましたなあ、○○さださん。
夏、、、、、、、、、、、、、、、、、、、何しようかな?
と考えるだけで、たぶん、いつもの夏。
海見ながら、ゆっくりクーラーのきいた部屋で読書。
そのあと、温泉→飲み会、、、が一番やりたいことかもしれない。
地域で生きるものとして
どぶ掃除に参加。
今年から、道具を新調したので、
さくさく掃除が進んだ気がする。
しかし、年をとるにつれて
どぶ掃除自体がツラくなる。
そう考えても、健康増進が重要であるし、
若い世代と共に暮らすことが重要だと思う。
つまり、どぶ掃除を、実質的にやってもらうということ。
まあ、出来る限り、頑張ろうとは思っているが・・・。
若鮎だと思うが、
小さい鮎を、冷えたなグラスビールとともに、
カウンターにて食すと、、、、、、し・あ・わ・せ。
しまラッキョウの天ぷら、をはじめていただいた。
たまらん、おいしさ。
季節野菜の天ぷらは、・・・・・。言葉になりません。
お支払総額・・・・・ちょっとビックリ・・・。
今朝、ヨメに報告すると、冷たい態度・・・。
子供たちが大きくなったら、夫婦で食べたいね、と
今日の夕食で伝えてみよう。
機嫌なおるだろうか?
このドリルのタイトルに完全に同意
しているので、朝5時半起床というルールにしている。
昨日、はじめてテストを次男が持って帰ってきて、
『文章読解問題』で、例えば、『( )を泳いでいるマグロ』という
問題を、『(世界中を泳いでいる)を泳いでいるマグロ』と解答している
ことを、親として、どのように受け止めて、理解を促していくか、について
ヨメと口論になる。
『泳いでいる』が重複しているというのを、線をひいて『視覚化』して教えようとしていたので、
それは違うのではないか?というと、ヨメとケンカになった。
私の個人的考えとしては、ただ単に、解法テクニックが身についてないだけにも
かかわらず、朝からわーーーーー、わーーーーー、と親にいわれて、
『視覚化した指導法』という親が、わかりやすくしようとする『意図』が分からないし、
『なんで、ぼくは、自信を持って答えているのに、親はわーーーー、わーーーー言うのだろう?』と
逆に混乱させてしまったのではないか?と考えた。
あとは、親から否定されることに、妙に怯えていることが問題ではないか?とも思うし、
親に視覚化した指導法を教えられても、のびのびと自分の考えを書くことが出来た
ことに、強いこだわりを持つ性格で、自分のやり方を貫く頑固な性格かもしれない、とも思う。
頑固な性格を尊重しながら、のびのびと自分の意見を言えるようにしてあげながら、
誤りは誤りと認められるような大人、、、、、、、、、、かなり、高望みなことであるし、
長いスパンで考えなければならない教育問題だと思う。
教育って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・深い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
パワポを作成しなければならず、
あがいていると、
スナップ写真のように開いているHPを画像として
とりこんで、トリミングすることを習得できた。ちょーーーーーー便利。
ただ、そうなると『教える』ことの本当の価値は、
なんだろうか?と思う。
教えているヒトの実際の『体験談』が
一番付加価値が高い気がする。
日曜日の夕方、近所で
カブト虫をとりにいこうと約束させられて、
長袖・長ズボンを着て出発。
子供たちに案内されるというのが、
不思議な気持ちで、次男には、『木をつかんで降りたらいいよ』と
アドバイスまで、いただく。
カブト虫がいる場所=蚊も大量にいる、ということを実感。
長男は、ボコボコに顔を蚊にかまれていた。
結局、15分ほどでコクワガタ1匹とカナブン3匹を発見したが、
虫かごを忘れていたので、コクワガタのみ手で持ち帰った。
たぶん、わたしは二度と行かないと思う。ヨメは、何度も連れて
行っているらしい・・・。
面談の意味合いを
考える朝。
面談は、そもそも必要なのだろうか?
面談って、何だろうか?
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、
わからない。
が、考え方をかえてもらう時間なのだろうか?
しかし、面談でヒトの意識は変わるだろうか?
意識を変えるのも自由だし、変えない自由もあるのではないか?