風の記憶

the answer is blowin' in the wind

西遊佐小学校のチューリップ

2008-05-13 | 

Nikon D200  TAMRON SP90soft□□
山形県遊佐町上藤崎□□



チューリップの季節は過ぎましたが、遊佐町立西遊佐小学校の花壇に遅く咲いたチューリップです。

西遊佐小学校は私の母校です。何年か前から児童達が学校正面の花壇にチューリップを植えるのが恒例になっていて、私も毎年楽しみにして撮影させていただいていたのですが、今年は何かと忙しくて、チューリップのピークに撮影できませんでした。
先日、時間が出来たのでダメもとで学校の花壇に行ってみたら、ありました、ありました、綺麗なピンク色のチューリップ。花壇はすでに花も落ち、球根の堀上を待つばかりなのですが、何輪かはまるで今が盛りのような美しさで咲いていました。

チューリップを撮影するなら、専門家が植え育てたチューリップ園や公園などの方が見事な花が撮れるのですが、私はここの子供達が植えたチューリップが大好きです。
花の形や背丈は不揃いですが、その分ひとつひとつがとても個性的で、何だかとても楽しげに咲いているチューリップ。管理されて整然と均一に咲いたチューリップでは感じることの出来ない、ひとつひとつがそれぞれ生きている輝きに溢れているように思えるのです。

子供ひとりひとりがそれぞれ違うように、ここの花はどれひとつとして同じものはありません。そして咲く時期もまちまちで、いち早く咲く花もあれば、この花のようにみんな咲き終わった後にポツンと、まるで笑顔のように綺麗な花を咲かせるものもあります。

それはまるで、子供たちの成長そのものを見ているような学校のチューリップ。

どんな立派なチューリップ園の花よりも、ずっと素敵です。




西遊佐小学校ホームページ → ここ  (私もお手伝いさせていただいてます。)


私のホームページでも特集しています。ご覧下さい。→ ここ


平成16~平成19年に撮影したチューリップです。

















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おじいちゃんのカブづくり (そうえんしゃ・日本のえほん 12)
つちだ よしはる
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一本桜

2008-04-26 | 

Nikon D200 Nikkor ED70-300□□
山形県遊佐町当山□□





酒田市内から車で30分も走ると

こんな風景に出逢えます


これもまた庄内の素晴らしさの一つです


鳥海山麓の一本桜は

人知れず静かに春を咲かせます















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一本櫻百本
竹内 敏信
出版芸術社

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吹浦小学校の桜

2008-04-24 | 

Nikon D200  TAMRON 17-50□□
山形県遊佐町吹浦□□




遊佐町立吹浦小学校の旧校舎の桜です。
学校には必ずと言っていいほど桜が植えてありますが、この小学校の桜は校庭の真ん中に植えてあるのがとても素敵です。
当時としてはモダンなツートンカラーの校舎、そして校庭の真ん中に咲く桜。
どれだけ多くのこの地区の子供達が、この桜の花に迎えられ、桜の木と遊び育ち、そして桜に見送られて巣立っていったことでしょう。(私の母もその一人です。ここは母の母校でもあるのです。)

吹浦小学校は、現在はこの校舎が古くなって昨年別の場所に新築移転されましたが、願わくばこの校舎と桜の木を無くさないで、何らかのかたちで保存されることを切に願っています。
( 小野寺遊佐町長さん、よろしくお願いします。(^^)/ )

きっと、卒業生ひとりひとりの心の真ん中にこの桜は咲いています。
別れた同級生たちといつか再会できる場所として、あの日の自分に会える場所として、いつまでもここに桜が咲いていてほしいと願っていると思うのです。


さくら、さくら、いざ舞い上がれ

永遠にさんざめく光を浴びて

さらば友よ、またこの場所で会おう

さくら舞い散る道の上で


『 さくら 』より
詩 : 森山直太朗さん

 
























母が子供の頃は、校庭にはこの二本の他に数十本の桜が二列に植えてあり、子供達はその桜の花びらの絨毯の上でお弁当を食べたそうです。
なんと贅沢で素敵な風景ではありませんか。
そんな風景が最近どんどん無くなっていくような気がして、寂しい限りです。



地図左下の(新)吹浦小学校ではなくて、地図中央(『+』位置)が(旧)吹浦小学校です。↑








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一本桜―森田敏隆写真集
森田 敏隆
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前奏曲

2008-03-30 | 

Nikon F80  TAMRON SP90□□





春の庭に次々と芽吹きが始まりました


日に日に大きくなるその姿は

生命の息吹を見ているようで

心躍るものがあります


花が一斉に咲き乱れる

北国の春の前奏曲

新しい季節のオープニングです






※当ブログで紹介した本やDVDを集めてみました。
購入してみて素晴らしかったものや、
購入したいと思っているものなどを、
個人的な好みで集めています。
よろしかったらご利用下さい。








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冬の壁紙

2008-01-20 | 



本サイト
『P・M CLIP~風の記憶~』の壁紙コーナーに、冬の壁紙を5枚アップしました。

壁紙は全て無料で提供していますので、どうぞご利用下さ~い。(^o^)


click → 【風の記憶の壁紙】 (トップページ中央下の「Wall Paper」からお入り下さい。


注:
ダウンロードした際に使用許可などの連絡は頂かなくても、ご自由に使用していただいてかまいませんが、できればご感想などをメールや掲示板に頂ければとてもうれしいです。励みになります。
なお、著作権は放棄しておりません。写真の加工や二次配布は固くお断りいたします。もし商用等で使用する場合はメールでご連絡ください。






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暮色

2007-12-08 | 

Nikon F80  Nikkor ED70-300□□
山形県庄内町余目□□



昔ながらの庄内弁を聞く機会が少なくなってきたなぁ、と庄内に住んでいながら最近感じています。
市内から離れた周辺地区に行くと、お年寄りが話しているのを聞くことはありますが、それを除けば、いわゆる標準語に薄まったような遠慮がちな庄内弁ばかりになっているように思えるのです。
近年の急速な高速交通網の整備やインターネットの普及により、都市圏の情報がタイムリーに地方に届くようになり、共通言語としての標準語と地方の言葉を使い分けることの出来る人が増えることは良いことだとは思うのですが、何となく庄内の独自色まで薄まっているようで寂しいような気がするのです。


『ふるさとの 訛り懐かし停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く』

石川啄木の有名な短歌です。
望郷の念絶ちがたく、ふるさと岩手の方言を聞きにわざわざ上野駅(たぶん)に出かけて行ってしまう、と言う寂しさパワー全開の啄木らしい歌です。
この弱々しさがたまらなくステキです。

ここまでではありませんが、私も帰郷の際にふるさとに向かう列車の中で庄内弁を耳にしたときに、一瞬にして目の前に庄内平野や鳥海山や日本海に沈む夕日が現れた気がして、涙が滲んだことを覚えています。


『ふるさとの 訛り無くせし友といて モカコーヒーは かくまで苦し』

寺山修司はこのように歌いました。
青森から一緒に大都市へ出てきた友が、不器用な自分とは違いスマートに都会言葉を操る姿を、喫茶店でコーヒーを前にして「ふるさとをそんなに簡単に捨てられるのか?」と納得しがたい気持ちを抱きつつも、当時の洒落た飲み物だったモカ珈琲に象徴される大都会の魅力に抗しがたい自分がいるジレンマが感じられます。


例えば、都会で暮らす庄内人が帰郷したときに、月山や鳥海山を見て季節の郷土料理などを久しぶりに味わうことで、ふるさとを感じることは出来ます。でも、やはり一番懐かしく感じるのは、ふるさとの人々の言葉に触れたときではないでしょうか。
ふるさととは何か、と言うことを考えると、結局、それは物ではなく人なのではないかと思うのです。飾らないふるさとの言葉はそこで生まれ育った人間の感覚を呼び覚ますのだと思うのです。
ふるさとの人情や四季、風物、文化など全てを一瞬にして感じることが出来るのは、ふるさとの言葉です。

都会に出て行った人のノスタルジーのために、ふるさとは変わるべきではないと言っているのではありません。ここにはここの生活があり、新しい情報や異文化を取り込んでよりよいものを作り出していくべきとは思います
ただ、遠い昔からここに住む人々の生活の中から生まれ、連綿と使われ続けてきた私たちの言葉(庄内弁)が無くなってしまうということは、ここには独自の文化も無く単に人口の少ない地方の街、というだけのつまらない存在になってしまうのではないか、という気がするのです。

代表的な庄内弁に「もっけ」「めじょけね」「やばちぃ」「やしょめる」「しょす」などがありますが、その情感のふくよかさを一言で的確に表す標準語は無いのです。それは大都市には無い素晴らしい地方文化なのだと思うのです。


『・・・・。郷里の言葉も、日に日に変化したり、長い間には消滅したりする。ことにテレビの普及は、村の言葉を加速度的に変えつつあって、私が二十過ぎまで使っていた言葉のいくつかは、もはや時代遅れになっているのである。
しかし私は、自分の中にある郷里の言葉をそう簡単には捨てる気になれない。それらの言葉を手がかりに、私はものを感じたり考えたりし、つまりは世界を認識したのであり、言葉はそういうものとして、いまも私の中に生き残っているからである。』

- 藤沢周平 -






※庄内弁の「もっけ」を的確に解説したブログ → takさんの「今日の一撃」



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朝の光

2007-11-14 | 

Nikon D200  TAMRON SP90□□



            朝の光りに似た深いかなしみが

                          胸を満たして来た。




『蝉しぐれ』-藤沢周平-





小説「蝉しぐれ」の中の一節です。

主人公の文四郎とふく。お互い想いを寄せていた幼ない二人でしたが、ふくは江戸屋敷の奥に上がることになり、やがて藩主の側室となって懐妊。下級武士の文四郎にはもはや手の届かぬ存在となったふくでしたが、ある日そのふくが流産したと知らされます。お世継ぎの政争に巻き込まれたとも。

やりきれない思いを抱き、文四郎は友人と飲み屋で一晩飲み明かします。
翌朝、割れるような頭の痛みに目ざめた文四郎。
「ふくは流産し、自分はこんなところで酔いつぶれている。」そんな厭世的な思いの文四郎に朝の光りが降り注ぎました。
そして、その時の文四郎の心の様を、作家は上の一節のように書いたのです。
『朝の光りに似た深いかなしみが胸を満たして来た。』

この小説を読んだとき、私はこの一節に感動しました。
悲しみを胸に秘めているときに見る朝の光りは、眩しすぎて悲しみをよりいっそう深いものにしてしまうものです。それを藤沢さんは的確に表現してくれたと思ったからです。

ところが以前、NHKでこの小説をドラマ化したときに、その部分の表現をナレーションで次のように伝えたのです。
『朝の光りに似た淡いかなしみが胸を満たして来た。』

この部分に思い入れのある私は、ドラマを見ながら思わず「違う!」と叫んでしまいました。
微睡むような朝の光りは確かに淡いものだけど、このときの主人公の心の有り様はその光りを決して「淡い」とは感じなかったはずです。
ガッカリした私は、このドラマのホームページの掲示板に、ドラマだから原作を多少変えるのはあることだとは思うが、この部分の変更は如何か、と書き込みしたのです。

ところがところが、その書き込みを読んだ別の視聴者の方からの情報で、この小説の単行本での表現は「淡い」になっていて、文庫本の方では「深い」に変わっている、と言う事を知らされたのです。
単行本を増版する際や文庫本化する際に、作者が初版を加筆訂正するのはよくある事なのだそうで、私がこの小説に感動し、何度も読み返したのはまさにその文庫本の方なのです。

また違う方からの情報では、この名作「蝉しぐれ」の初出は山形新聞連載で昭和61年から(実際は秋田魁新報がその9日前に連載スタート)、単行本の初版が昭和63年、そして文庫本化が平成3年の刊行で、推察するに、藤沢さんもこの部分がどうも気に入らなくて、文庫本にするときに直したのではないか、と言うことでした。

藤沢作品の名作中の名作「蝉しぐれ」
今は亡き藤沢さんにどのような心境の変化があったかは興味の尽きないところです。
どなたかここら辺のことを知っている方がおられましたら是非教えていただきたいと思うのです。



ところで、話しは少し違うのですが、藤沢周平さんの小説の話しをすると、時代小説はどうも読む気がしないなぁ、とか、今更チョンマゲの時代の物語も無いだろう、とか言う方(それは、かつての私でもあるのですが)が多いのですが、藤沢小説はそのように思っている方にこそ読んでいただきたい作品でもあります。

美しい情景描写、愛情あふれる人間描写、そして端正で詩情豊かな文章の美しさ。
藤沢小説を読んでいると何故だか懐かしい思いにかられます。それは、現代の日本人がなくしてしまった日本人の心を見ているからなのかもしれません。藤沢さんが時代小説というジャンルを選択した理由のひとつがそこにあるようにも思うのです。

経済優先主義、合理主義、儲け主義、そして「勝ち組負け組」という情も品も無い日本語があたり前のように受け入れられてしまう今の日本。『心』や『精神』といったものを大切にする日本人の心情は、あの時代と言わずとも、つい最近まで私たちが持っていた美しい日本人の心ではなかったのでしょうか。


『(小説冒頭の章の自然描写を指し)この自然描写の形をよく見られよ。これは、単なる描写ではない。日本人の心の裡にある自然の形を描いたものなのだ。日本的な、人間の内部が抱く自然というものなのだ。私が評論家面をして小利口ぶっていえば、これこそが「風土記」以来の、日本人の自然に対する感受性なのである。』(文芸評論家-秋山駿-)


藤沢小説の代表作のひとつ『蝉しぐれ』は、多くの日本人に読んでいただきたい名作です。


小説

蝉しぐれ
藤沢 周平
文芸春秋

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映画
蝉しぐれ プレミアム・エディション

ジェネオン エンタテインメント

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TV

蝉しぐれ

NHKエンタープライズ

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故郷の風に

2007-08-21 | 

山形県鶴岡市東栄□□
NikonD200+TAMRON 17-50□□


8月のはじめに娘が帰郷した。
今年の春に大学に行き、5月の連休に3日ほど帰ってきたので、およそ3ヶ月ぶりの帰郷と言うことになる。
しかし、5月の連休の時とは少し様子が違っていて、しきりに故郷を懐かしがっている。
5月の時はそうでもなかったのに、今回はやけに懐かしいというのだ。自分でも何故だか分からないらしい。

何が一番懐かしい?の問いに、彼女は間髪入れずに「田んぼ」と言った。
「鳥海山のトンネルをくぐって、吹浦駅を出たところで見渡す限りきれいな緑色の田んぼを見たら、何故だか涙が出ちゃって・・・。」

意外な応えだった。
こちらにいるときは、そういった地域の自然や風景の事にはあまり興味がないようだったからだ。
しかし、これは私にも経験がある。
自分も学生の頃、仙台から急行「月山」に乗り帰郷したときに、狩川駅を過ぎたあたりから広がる一面の田んぼの風景に感涙したことは、今でも忘れられない。

思わぬところで娘と同じ思いを共有して、何だかくすぐったい気持ちになってしまった。
時代が変わっても人の心は変わらないものだなと、あらためて思う。

先日、そんな話しを母にしたところ、自分にも憶えがあるとしきりに嬉しがり、自分が上京したときの事や、はじめての帰郷の話しを聞かせてくれた。
母は青春時代を神奈川県の横浜で過ごしている。

中学を卒業した母は、吹浦駅から汽車に乗って上京した。その時、母親(つまり私の祖母)が駅まで見送りに付いてきてくれたのだが、父親(祖父)はきてはくれなかった。母の父親は職人で無口で厳しい人だった。母が家を出るときに「行ってきます。」と言ったときも「ああ」と素っ気ない言葉を返しただけで仕事をしていたのだった。
駅に汽車が入り、少女だった母は乗り込んだ。発車のベルが鳴り、母親が心配そうにあれこれと言うのだが、これからはじまる新しい生活に対する期待と不安の方が別れの寂しさに勝ったのか、大好きな母親との別れにも不思議と涙は出なかった。
汽車はゆっくりとフォームを離れ、徐々に速度を上げ、吹浦の町を出ようとしていた。

その時である、汽車の窓から見える自分の家を何気なく見た母は、びっくりした。
家の屋根に人が一人立って手を振っているのが見えたのだ。

父親であった。

無口で派手なことが嫌いで素朴で物静かな父親が、今まで見たこともないような大きな身振りで、娘に見えるようにと一生懸命に手を振っていたのだ。

少女だった母は、母親と別れるときにさえ涙を見せなかったのに、父親のその姿を見た瞬間、涙がボロボロと、ビックリするほどボロボロと溢れ出て、大声で泣いたのだった。
季節は早春で、田んぼにはまだ雪が残っていた。

その後、お盆になるとすぐに帰ってきた。
あの時、大泣きで別れた故郷の灰色の田んぼの風景は、見事なほどに青々と輝き、まるで大草原のようになっていた。
見慣れたはずの故郷の風景に、少女の母はまた泣いた。

上京の時、見送ってくれた母親の姿、不器用だけど一生懸命に自分を勇気づけようとしてくれた父親の姿、そして、はじめて帰郷したときに見た、緑色に輝く故郷のきれいな平野の風景。
それらは知る人も居ない余所の土地で、少女が生活するのにどんなに心の支えになったことであろうと思う。

田んぼの風景は庄内だけのものではない。多かれ少なかれ日本中何処にでもある風景だ。
しかし、自分の故郷を象徴する風景は特別に懐かしいものだ。それは、自分の故郷の風景の中に、自分を愛してくれた人が居ることを、知らず知らずに感じるからではないだろうか。
自分を愛し育んでくれた人々、そしてその人たちが作り守ってきた故郷の風景。

遠く故郷を離れて暮らすとき、自分を意識の奥底から支えていてくれたものが、ここにあるのだと感じるからこそ、その青田は何処の風景よりも懐かしく輝いているのだと思う。




~ 風の名前 ~ 日本には 2,145 の風の名前がある。あなただけの風がきっと見つかる。

風の名前
高橋 順子,佐藤 秀明
小学館

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私的写真論?

2007-07-21 | 

「土門拳記念館」と「拳湖」
山形県酒田市飯森山


このブログの本サイト『P・M CLIP~風の記憶~』を始めて6年になろうとしています。
サイトを立ち上げるにあたって、こっそりと端の方に私的な写真論みたいなものを書いています。

------------------------------------------------------------

写真は「記憶」ではないか、と感じています。
人は皆、何かに感じてシャッターを押します。
被写体を見て、カメラを構え、構図を考え、シャッターを切ります。
そのどの段階においても自分の中の何かがそれを決定させるのです。
自分にその写真を撮ることを決定させるもの。
それは究極的には「記憶」ではないのでしょうか。?

私の心の中には様々な記憶のかけらたちが彷徨っています。
それらは、自分が意識しているものもあれば、全く不意に突然顔をのぞかせ自分自身を愕然とさせるものもしばしばあります。
自分の奥底に積もった記憶のかけらたちが、レンズを通し入ってくる光に一瞬またたき、自分にシャッターを切らせるのではないか、と感じています。
何故この景色が気になったのだろう?何故この写真を撮ってしまったのだろう?
そんな事を感じるときが、ありませんか。?

------------------------------------------------------------

今読むとアマチュアのくせに偉そうな書き方で恥ずかしいのですが、この拙い文章の主旨については今でも変わらずそう感じています。と言うか、ますますそんな感じがしています。

写真を撮るとき、カメラを構えた人がどのような性格で、どのような考え方をし、どのような人生経験をしてきたか。何が好きで、何が嫌いで、何に関心があり、何に心を動かすのか。そういったものの全てが根底にあり、その上である対象に反応し、その対象を切り撮る。たとえ同じ対象物であっても撮られた写真は人によって微妙に違うのです。
つまりは、写真はまさにその人の「生き様」が現れるものなのだと思うのです。

どうもうまい具合に言い表せないのですが、私が密かに尊敬している郷里の先輩であるtakさんのブログの7月17日のエントリー『「写真論」の入り口』にとても適切に写真の本質について書かれた文章がありました。

takさん曰く、
>写真とは「どのような状況に出会うか」ということである。
>「出会う」ということは「選択」でもある。選び取らなければ出会っていないことになるからだ。
>その人が何を選択したかということは、その人がどのような人生を生きたかということと同じであり、だから写真はその人の人生を現す。

是非、全文ご一読下さい。→ " tak-shonai's Today's Crack 2 "



今回エントリーした写真、これはHPを始めるずっと以前に撮った写真なのですが、今でも何か印象に残っている写真です。
この写真をある人に見せたら、その人が言いました。
「伊藤さんらしいね。」

自分の写真のことはなかなか客観的に見れないものです。でも、写真を始めたばかりの頃の写真でも、そこはかとなく撮った私という人間が現れているのでしょうね。
そう思うと、写真を公開しているのが何だか恥ずかしい気がします・・・。(^^;



この写真の少女と湖の向こう側に立っている建物は「土門拳記念館」です。
土門拳氏はリアリズムを確立した写真界の巨星。その全作品を生まれ故郷の山形県酒田市に贈り、酒田市はこの「土門拳記念館」を建ててそれに応えました。
日本で最初の写真専門美術館(個人のものとしては世界で唯一)です。



- 土門拳の伝えたかった日本 -

土門拳の伝えたかった日本
毎日新聞社,毎日新聞=,土門拳記念館
毎日新聞社

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ひっそりと・・・

2007-05-10 | 



仕送りの箱

先日、夜中にゴソゴソと音がするので、なんだろうと思い、音のする居間の方に行ってみた。そこには妻が居て、何やら段ボールに詰め物をしている様子であった。

「何しているの?」と聞いたところ、
「ちょっと早いけど、あの娘の夏服を少しずつ送ってあげようと思って箱に詰めているんだけど、隙間があるからお菓子でも詰めてあげようと思って・・・。」
弘前で生活する娘に仕送りの箱を作っているのであった。

酒田よりも北の方なのだからまだ早いのでは?とも思ったが、そこは母親のこと、いろいろと先々のことを細かく心配しているのだ。

箱の中を覗いてみると、服など見えないほどお菓子が詰まっている。
苦笑いしながらそのお菓子をよく見てみると、娘の好物だったものばかりである。
何処ででも買えそうなお菓子なのだから、生活費を多めに振り込んで自分の好きなものを買わせる方が合理的に思えるのだが、それでは味気ない。

妻が準備している仕送りの箱の中を見ていたら、自分の学生時代のことを思い出した。
当時私は仙台の下宿で生活していた。そのとき母親から毎月のように段ボール箱が送られてきた。箱の中は半分が衣料で半分は菓子類であった。
入っているお菓子は、私が子供の頃に好物だったものばかりだった。
『きなこねじり』や『金平糖』 『もろこし』 『ベビースターラーメン』 『酢コンブ』 『ココナッツサブレ』、それに酒田米菓の『オランダせんべい』・・・。
それは大人になるにしたがって食べなくなったもので、当時としてもいったい何処で売っているのか?というようなお菓子ばかりであった。きっと息子のことを思いあちらこちら探し回ったに違いない。

しかし、当時はそんな母親の気持ちを思い量るほど余裕のない若者の私は、嬉しいと言うよりも何だか気恥ずかしさが先にたち、素直にありがとうとは言ったことは無かった。
もうこんなお菓子食べないのに、と思いつつ、でも、食べればやはり懐かしく美味しかった。そして何よりも、貧乏学生であったためお菓子など買えない時があり、実は助かったのだ。


夜中にゴソゴソと詰め物をしている妻の姿を見ていると、当時の私への仕送りも母親がこんな風にしてあれこれと子供のことを思い、心配してせっせと仕送ってくれていたのだなと、しみじみと思う。
あの時の箱にはお菓子だけではなく、胃薬も入っていた。私は幼い頃から胃弱なのだ。
そして、妻が準備している箱の中には風邪薬が入っている。娘はすぐ風邪をひく。

あの時、母が送ってくれた仕送りの箱、そして今、妻が作っている娘への仕送りの箱。
時代は違うが、そこには子供への同じ思いが詰まっているのだと思う。


時代がどんなに変わっても、変わらないものがある。


それは、子供への思いをひっそりと箱に詰めるような、親の愛だ。







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~思い出に残る食事~誰にでも残っている思い出の食事をたっぷり集めました。
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卒業

2007-03-01 | 


今日、3月1日は娘の高校卒業式でした。

雪もなく、春のような陽射しに包まれ、風は冷たかったけれど、その分、鳥海山が綺麗に見える、
卒業するにはとても良い日でした。

卒業式に出席してきました。
卒業生、在校生、みんなで合唱する校歌が素晴らしかったなぁ。

酒田東高等学校の校歌は、とても美しい校歌だと思うのです。(takさんのサイト参照→ ここ


ところで、その酒田東なんですが、3年前から新校舎の建築を開始して先月ついに完成、現在はその新校舎に移っているのです。
しかしこの工事、私の娘が入学したときから始まり、卒業の1ヶ月前に完成。つまり彼女たちの学年は、3年間ずっと工事の音を聞きながら勉強し、新校舎が出来上がったときは卒業・・・。何かとても損な学年のように思えますね。(^^;)

でも、ものは考えようだとも思うのです。
多くの先輩達の思いが宿った旧校舎での最後の卒業生、と言う名誉ある肩書きと、新校舎での最初の卒業生、という記念すべき肩書きの両方を手にした学年となったわけですし、それに雑音にめげずに勉強してきたことは、劣悪な環境への耐性を鍛えられたわけで、これは将来人生においてとても有効な財産になる・・・、きっと・・・、ね。(-_-;A ムリクリ前向きな意味を探している自分が寂しい・・・。

まあ、人生、何が災いし、何が幸いするかは分からないものですから。

とにかく、3月1日は多くの高校で卒業式が行われたようです。みなさん卒業おめでとう、です。


おまけ
酒田東出身者のために、新校舎(上)と旧校舎(下)の写真を掲載します。♪
 ↓
【新校舎】


【旧校舎】



ちなみに、新校舎は旧校舎のすぐ背後に建築されていて、旧校舎は正面の古代杉もろとももうじき撤去されるそうです。ちょっと、もったいないよな気もしますね。


~旅立ちの日に~


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雪原の夕暮れ

2007-01-18 | 

山形県遊佐町白井新田□□


渡せなかった花束


些細な出来事なのだけども、今でも忘れられないでいる事がある。

13年前、当時5歳の娘はピアノを習っていた。
妻の希望で市内の某ピアノ教室に通っていたが、そこのピアノ教室は年に1度、市内の大きな文化センターのホールを借り切っての生徒の発表会があった。
発表する生徒は幼年から中高生まで80名ほどで、とても豪華な生花が生けられた大きなステージ中央のグランドピアノで演奏する本格的なものであった。
幼年の部の発表は、会の前半に組まれており、我が娘の出番は確かその5~6番目だったと思う。発表会の始まったばかりの緊張感が会場にはあり、初めての発表会を経験する幼い娘には少し荷が重すぎるような気がした。
演奏を終えた生徒たちは、椅子から立ってピアノの傍らできちんとお辞儀をする。すると、その子の両親や兄弟や祖父母たちがすかさずステージ下にかけより花束を渡すのが恒例のようであった。

いよいよ、娘の演奏である。
たかが幼児のピアノ演奏だ、と思ってもそこは自分の子供のことである、心臓が高鳴り手が震えた。間違わないで無事終わってくれ、とそれだけを願う。
たどたどしい演奏もとりあえずミス無く無事終了した。
そして、椅子から立ってきちんとお辞儀をした、
その時である、
「しまった。」と思った。
なんと、私も妻も娘にあげる花束を用意していなかったのである。

娘はきちんとお辞儀をした後、もらえるはずの花束を待っているように暫しその場に佇み、チラリチラリと周囲を窺っている。そして、やがて諦めたように舞台袖にとぼとぼと歩いて退場した。
心が痛かった。
発表終了後、そのことを娘に詫びたがそこは幼児のことで、別に何とも思っていない様子であった。ほっとした。

月日は流れ、今その失敗談を娘に聞いてみると、案の定まったく憶えていないと言う。そして妻は、記憶はしているがそんなこともあったわね、程度だ。あの時も大騒ぎにならなかった事であり、つまりはその程度の出来事なのだ。

しかし、何故か私はその些細な出来事をいつまでも忘れられない。あの時、それほどの重大事でもなく、心に深く刻んだ憶えもないのに、よくその場面の夢を見るのだ。

あの日ステージ上でもらえるはずの花束を、自分だけもらえない事に戸惑っている娘の姿。
少しだけ不思議そうに小首を傾げ、そして諦めたようにとぼとぼと寂しそうに袖に消えた娘の姿。
その姿は、忘れたと思っていてもある日突然に私の目の前に現れる。そしてその寂しそうな姿は、何故か時が経てば経つほど私を切なくさせるのだ。

子は、日に日に大きくなってゆく。
親は、子の成長の過程で起きた些細な出来事までを無意識にたくさん心に刻むのだろう。そしてそれらは決して無くなったりはせず、記憶の断片のように心の中を彷徨い、やがて子が大きくなり巣立っていっても、親はそんな切なく温かい思い出たちと共に生きて行くのだろう。
5歳の娘、10歳の時の娘、17歳の想い出、それぞれがそれぞれに今も私の心の中で生きているのだ。

あの日、渡せなかった花束。それは、子が忘れ去ろうとも、誰が憶えていなくても、今も私の心の中を彷徨っている。


その後、毎年同じ時期に発表会があり、ステージ上の娘に忘れずに花束を渡したはずであるが、それは何故かほとんど記憶にはないんだよな~・・・。



愛の花束―身近な小さなことに誠実に、親切に

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秋の暮れ

2006-11-14 | 





この道や 行く人なしに 秋の暮れ



松尾芭蕉






- 芭蕉を知る -


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- 秋の夕暮れ reincarnate -

カメラ

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秋の壁紙

2006-09-10 | 


9月に入りましたが、日中の陽射しはまだまだ厳しくて汗ばんでしまいます。

それでも一雨ごとに秋の気配が強まり、虫たちの鳴き声も日に日に秋色を濃くしているように感じます。

野辺にはススキの穂が銀色に光りはじめ、オミナエシや萩や葛、花壇には撫子や桔梗の紫が揺れはじめました。

秋がやってきました。



と言うことで、
本サイト『P・M CLIP~風の記憶~』の壁紙コーナーに、秋の壁紙を10枚アップしました。

壁紙は全て無料で提供していますので、どうぞご利用下さ~い。(^o^)


click → 【風の記憶の壁紙】 (トップページ中央下の「Wall Paper」からお入り下さい。


注:
ダウンロードした際に使用許可などの連絡は頂かなくても、ご自由に使用していただいてかまいませんが、できればご感想などをメールや掲示板に頂ければとてもうれしいです。励みになります。
なお、著作権は放棄しておりません。写真の加工や二次配布は固くお断りいたします。もし商用等で使用する場合はメールでご連絡ください。



-野に咲く花のように-

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歳月

2006-09-07 | 



「時」は過ぎ去ってゆくもの

ときに早く、ときにはゆっくりと

だけど確実に時は過ぎてゆく


しかし

「歳月」は積み重なってゆくもの

温かく、悲しく、切なく、愛おしく

歳月は心の中に静かに積み重なってゆく


心の中に積み重ねた歳月は

決して無くなったりはしない

そして

過ぎてゆく「時」が

その積み重ねた「歳月」を

やさしい思い出に変えてくれる


過ぎ去った時は二度と帰っては来ない

だけれども

重ねた歳月はいつも

ここにある





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「時の流れに」~ポール・サイモン~

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