風の記憶

the answer is blowin' in the wind

蓮華

2006-08-31 | 



お盆休みに妻と下の息子と3人で遊園地へ行ったときのことです。

私と息子がゲームに興じているうちに妻がどこかに行ってしまい見えなくなってしまいました。
二人で探したら、おみやげ物のコーナーの壁に絵画が飾ってあって、絵の好きな妻はそれを見ていました。

その場所は かなり大勢の観光客でガヤガヤしていて、本人も壁の絵に集中している様子でしたので、私の声は届かないんだろうなと思いながらも 3度ほど妻を呼びました。
案の定、妻は全く気づく気配もなく壁の絵に見入っていました。

ところがその時、側にいた息子が妻を呼んだのです。

「おかあさん。」

すると妻は、はっとしたように気がつき、すぐにこちらを振り向いたのです。

息子の声量が私よりも大きいということはなく、大勢のガヤガヤ声に掻き消されてしまうようなほどの呼び声だったのに、です。

母親って・・・スゴイな、と思った瞬間でした。



酒田に帰ると蓮の花が綺麗に咲いていました。




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日本の童謡・抒情歌集~母と子のこころを結ぶ愛唱歌コレクション~
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白百合の花が咲く頃

2006-08-02 | 



友人から「これ、とても良いよ、感動もの。」と言ってビデオテープを渡されました。
内容を聞いても「まあ、いいから見てみなよ。」とのこと・・・。

家に帰ってそのビデオテープを見てみると、盲目のテノール歌手がステージで独唱している場面がいきなり現れました。
視力を失った目を遠い天に向けるようにして、静かにそして力強く唄っていました。

その姿が、声が、心にまっすぐに響いてきて、独唱している彼から目と耳を離すことが出来ません。


  ・・・

  君と歩いた道  風が唄う野道

  白い百合の花咲く頃  君と歩いた道


   「新垣勉さん 白百合の花が咲く頃~ 」


心が震えました。

はじめて聴く歌だったのですが、彼の声には「祈り」がありました。人の心を揺り動かす響きがありました。その歌手のことも、歌のことも、全く知らなかったのですが、彼の歌う姿に ただ感動し落涙していました。

それから色々調べて知ったのですが、新垣勉さんは沖縄県出身の全盲のテノール歌手で、沖縄の心と、平和と命の大切さを歌い続けておられる方なのだそうです。
このとき唱われた「白百合の花が咲く頃」は、幼い頃から一緒に過ごし、いつか結ばれると信じていた恋人が、沖縄戦で戦死し北極星になってしまった・・・、という内容でした。

早々にCDを買って聴いています。
「今年は戦後60年という節目の年ですが、一方で戦争体験の風化も叫ばれています。戦争は確かに巨大な現象です。しかし、私たちにとって今、必要なことは、その時その場所で、泣き笑い愛し合い暮らしていた一人ひとりの人間が、戦争について何を想い何を感じ生きていたか、その心の内を知ること、想像することではないでしょうか。私は一人の歌い手として小さな存在ですが、音楽を通じてこのことを少しずつでも伝えていきたいと思っています。」
新垣さんの言葉です。



8月になりました。

今年も
また、終戦記念日がやってきます。





- 新垣勉 「命どぅ宝」 ~沖縄の心 平和への祈り -

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子育て論?

2006-07-20 | 



子どもたちは、こうして生き方を学びます。


批判ばかり受けて育った子は、非難ばかりします。

敵意に満ちた中で育った子は、だれとでも闘います。

ひやかしを受けて育った子は、はにかみ屋になります。

妬みを受けて育った子は、いつも悪いことをしているような気持ちになります。

心が寛大な人の中で育った子は、がまん強くなります。

励ましを受けて育った子は、自信を持ちます。

ほめられる中で育った子は、感謝することを知ります。

公明正大な中で育った子は、正義感を持ちます。

人に認めてもらえる中で育った子は、自分を大切にします。

仲間の愛の中で育った子は、世界に愛を見つけます。


- アメリカインディアンの教え -


子供は大人を映す鏡だ、とよく言われますが、「子供を育てる」と言うことは、実は、
自分自身を見つめ直すこと、なのかもしれません。


 

子供が育つ魔法の言葉

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壁紙、できました

2006-07-13 | 




本サイト『P・M CLIP~風の記憶~』の壁紙コーナーを一新しました。

庄内地方で撮影した四季の草花や風景を↑こんな感じで壁紙にしています。

とりあえず、「春」と「夏」をアップしていますが「秋」と「冬」は順次適時にアップしていこうと思っています。


無料で提供していますので、どうぞご利用下さ~い。(^o^)


click → 【風の記憶の壁紙】 (トップページ中央下の「Wall Paper」からお入り下さい。


注:
ダウンロードした際に使用許可などの連絡は頂かなくても、ご自由に使用していただいてかまいませんが、できればご感想などをメールや掲示板に頂ければとてもうれしいです。励みになります。(これでも作成には結構手間暇を要しておりますので・・・)
なお、著作権は放棄しておりません。写真の加工や二次配布は固くお断りいたします。もし商用等で使用する場合は有料となりますのでメールでご連絡ください。



便利なパソコンソフト

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祈り

2006-05-19 | 



親になってはじめて知ることがあります

それは

子は可愛いものではなく

切ないものだということ


しあわせになって欲しい、と

ただ ただ 一心に

願い続ける日々を送ること


そして

その願い続けた歳月のことを

「しあわせ」と呼ぶのかもしれません。





 

こどもの祈り
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インディアンからの手紙

2006-04-20 | 


前回に引き続き、インディアンの言葉です。

父は空、母は大地~インディアンからの手紙~」という素晴らしい詩絵本に出会いました。

この本は、1854年にアメリカ政府との3年におよぶ戦いの末、土地の買取と居留地を与えられることを承諾せざるを得なかったインディアンの部族の首長「シアトル首長」が、土地への強い思いを演説した時の言葉を書き留めたテキストをオリジナルとしており、そのオリジナルテキストが長い年月を経て人々の間に伝えられたものを翻訳したものです。
この翻訳テキストは、シアトル首長の演説を書き留めたオリジナルテキストとは違う部分もあるのですが、その原文が人々の心を打ち、それに触発された人々の心の中から生まれた言葉として、シアトル首長の言葉の精神を汚すものではないとのことから、現在に語り継がれているのだそうです。

「ワシントンの大首長へ そして 未来に生きる すべての兄弟たちへ」と呼びかけ、
「はるかな空は 涙をぬぐい、きょうは 美しく晴れた。・・・」と始まるシアトル首長の言葉。それは一言一言が本当に結晶のように美しいのです。
大地への思い、草原のこと、川のこと、動物や虫たちのこと、風や光や水や空気がいかに人が生きるために大切なものか、人間のエゴや驕りに警告を与え、未来の子供たちのために祈る真実の言葉がとても心に響きます。
寮 美千子さんが訳されたネイティブアメリカンの魂の言葉とともに、篠崎正喜さんの感動的なまでに雄大で美しい絵が一緒になって心を揺さぶります。
いつまでもずっと大切にしたい詩絵本です。



水面を駆けぬける風の音や 雨が洗い清めた空の匂い
松の香りに染まったやわらかい闇のほうが どんなにかいいだろう
ヨタカのさみしげな鳴き声や
夜の池のほとりのカエルのおしゃべりを聞くことができなかったら
人生にはいったいどんな意味があるというのだろう

--------------

あらゆるものがつながっている
わたしたちが この命の織り物を織ったのではない
わたしたちは そのなかの一本の糸にすぎないのだ

--------------

だから 白い人よ どうか この大地と空気を
神聖なままに しておいてほしい
草原の花々が甘く染めた
風の香りを かぐ場所として

--------------

あなたの子どものそのまた子どもたちのために
この大地を守りつづけ
わたしたちが愛したように 愛してほしい

いつまでも

どうか

いつまでも



□全文はこちら↓をごらんください□
「父は空、母は大地~インディアンからの手紙~」
寮 美千子(翻訳)、篠崎正喜(絵)、出版社: パロル舎


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いのちとは

2006-04-19 | 


「インディアンの言葉」という本に感動しています。

ここに収められている言葉は、19世紀の中頃に白人によるアメリカの「西部開拓」という侵略を受けたインディアンたちが残した言葉なのですが、とても心に響きます。
開拓者たちにとって土地は投資の対象でしかなく、エネルギーと資源を絞り出すための物質としか見ないことに憤りを感じるインディアンたち。彼等にとっては自然は宇宙そのもの、人間にとって一番大切な倫理の源泉だと考えられていました。ですから、土地を売り買いしたり、全体の一部しか見ない理屈や計算によって操作したり支配したりする西欧的なものの考え方をどうしても認めることが出来なかったのです。

白人による迫害、追放、隔離により消滅寸前にまで追い込まれたインディアンたちが、自分たちの数万年の歴史で育て上げた精神文明の全尊厳をかけて語った言葉の断片、それは日本人がかつて大切にしていたことと多く重なるような気がするのです。
すべてのものには神が宿っているということ、あらゆるものが繋がっているということ、土と水と日の光に感謝し慎ましく生きること・・・。
私たちが無くしてしまったとても大切なことを、この本の言葉たちは教えてくれているようです。



いのちとは何か

それは、夜を照らす蛍のきらめき

凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息

草の上に落ちつかない姿を映しながら

日没とともに消えていく、ちっぽけな影


~「インディアンの言葉」より~


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あなたに会えて

2006-04-12 | 




あなたに あえて

ほんとうに

よかった


うれしくて

うれしくて


ことばに

できない





詩:小田和正さん
「言葉にできない」より

- 風のようにうたが流れていた -

明治安田生命CM「あなたに会えて」

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雲雀の歌に

2006-04-10 | 



春の草花が次々と芽生え、うらうらとした良い天気が続くと、
どこからともなく春の歌声が聞こえてきます。

ピチクリパチクリピチピチュピチピチ・・・。

雲雀(ヒバリ)の鳴き声は、まさに春の喜びそのものです。

その歌声は驚くほど息が長く、いつまでもいつまでも途切れることを知りません。
それはまるで永遠に続く喜びを歌っているようなのです。
散歩の途中で突然の歌声に振り返ると、ヒバリは一直線に太陽に向かって舞い上がって行きます。そしてそのシルエットを目で追っていくと必ず光の中に入って行き、思わず目を細めてしまうのです。

長い冬に、忘れていた太陽のまぶしさをヒバリが思い出させてくれる瞬間、それは目の奥がツーンと痛くなるほど強烈に春を感じてしまう瞬間でもあります。


ところで、ヒバリといえば昔話でこんな話を思い出します。

『ヒバリはお日様にお金を貸していて、「ヒイチブ(日一歩)」と言いながらお日様のもとに舞い上がり、「ツキニシュ(月二朱)」と利息を確認して降りてくる。』のだそうです。

何か世知辛いようなお話ですが、そんなことを聞かされると確かにそう聞こえるような・・・。
でも、ヒバリを眺めてそんな想像をはたらかせる ゆとりは現代人には無さそうですので、世知辛いのはやはり現代人の方でしょうか。自然とじっくりとつき合えた良い時代のお話です。


子供の頃、友だちと春野でひとしきり遊んだ後は、ハアハア息を弾ませて土手道に寝ころびました。まだ少し冷たさが残る春風が汗を拭ってくれて、呼吸も徐々に整ってくる頃、目を閉じ深呼吸すると、土と草の良い香りがしました。
心地良い疲れが全身を覆い、春の日だまりの中で広い空と大きな雲をただ眺めていました。

好奇心に溢れ、やりたいことがいっぱいあって、無限の時の中にいた少年の頃・・・。
ヒバリの歌声は、そんな何気ない夢のような日の情景を心に甦らせてくれる魔法の呪文のようです。

今年もまた、ヒバリが忙しくさえずる春野に つくしがひょっこり顔を出し、
いよいよ春は本番を迎えます。






雲の名前

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やさしい場所

2006-03-27 | 

酒田市内を流れる新井田川から眺める鳥海山です。
一緒に川沿いにただ歩いているだけで楽しかった時期でした。



あの やさしかった場所は 今でも

変わらずに 僕を待ってくれていますか?




- ここにしか咲かない花 -
by コブクロ
小渕健太郎さん:作詞




- ここにしか咲かない花 - by コブクロ


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一期一会

2006-03-04 | 


人は生涯の中で、出会う人間がきまっているそうです。

両親や兄弟姉妹から始まって、学校の同級生、先輩後輩や先生、
会社の同僚や上司、取引先の人、公園で挨拶を交わした人、落とし物を拾ってくれた人・・・。

初めてあったのに何故か懐かしい感じがする人もいれば、
何度も会っているのに印象が薄い人もいます。
何度も何度も話し合っているのにすれ違ってしまう人もいれば、
何も話をしていないのに分かり合える人もいます。

深い縁、浅い縁、近い縁、遠い縁・・・。

いったい人は生涯の中で何人の人と出会うのでしょうか。

今日出会えた笑顔とはまた出会うことが出来るのでしょうか。

そして、すべては運命(さだめ)られているのでしょうか。

そんなことを思うとき、浮かんでくる言葉があります。


「一期一会」

一生に一度限り、これが最後かも知れない、と心深く出会うこと。

案外、そんな心の持ち様が幸せになれる道なのかも知れません。

人生は、出会いと別れなのですから・・・。






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一期一会
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失敗!

2006-02-24 | 

やってしまいました・・・。

先日、久しぶりに青空が見えて良い夕焼けが期待できそうだったので、鳥海山の麓の地区(山形県遊佐町藤井地区)に撮影に出かけました。ここからは庄内平野が見渡せて日本海に沈む夕日も楽しめる、私のお気に入りの場所なのです。

本格的な夕焼けまではまだ時間があるので、山里の雪の風景を撮影していたのですが、フィルム1本を撮り終えて次のフィルムに交換しようとしたその時でした。
なんとフィルムの巻き戻しボタンを押すのを忘れて、巻き戻ししないままカメラの裏ぶたを開けてしまったのです。
しかも、そんな初歩的な間違いをすることなんか、まったく意識していないものですから、ご丁寧にそのフィルムを引き出してしまったのです。
写真を撮り始めてからだいぶ長いのですが、こんな失敗は初めてです。(涙)
あまりのことに暫し呆然!!
あわてて戻しましたが、あとの祭りです。
現像に出したら、3分の2が真っ白(フィルム的には透明)でした・・・。

↑この写真の下部分が白と赤で燃えるようになっているのは、その時の痕跡です。

↓この写真は、外部露光してしまい真っ白なのと、大丈夫だったものの中間にあった写真です。
これはこれで面白いかも・・・、と思いアップしてみました。(やけくそ)




この事件のすぐその後、打ちひしがれて帰る途中の西の空は、この写真の色のような素晴らしい夕焼けが雲を染めておりました。(悔涙)



ぼくたちの失敗

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母の味

2006-01-25 | 


自宅から車で20分と近いせいもあり、実家にちょくちょく寄っては野菜を分けてもらったりする。
そんな時、母はいつも夕飯を食べていくように勧めるのだが、自宅で食事の準備をしているので食べる機会はほとんど無い。
そんなこともあり、久しぶりに夕飯を実家で食べるとなると、母は私に何を食べさせようかと大思案となる。
とは言っても、特別な料理が出るわけでもなく、卵入りの野菜炒めだったり、おでんだったり、焼き魚だったりするのだが、気づくとその料理はほとんどが私が子供の頃に好きだった料理なのである。
そしてこれがやはり妙に美味い。

世の中は、グルメブームとか言う風潮で、やれ厳選素材だの、至高の味だの、何処其処の何々が最高だのと、とかくやかましい。
母親が作ってくれる料理は、高級素材でも無ければ、究極の味でもない。イタメシでも無いしフカヒレなんか出てはこない。しかしその味は、そんな浮かれた風潮の高級料理と見事に対峙してひけをとらないほど力強く、暖かく、そして美味しい。

母は、ただ子供の喜ぶ顔のために、そして子供の栄養が偏らないように嫌いなものを食べさせるための工夫をし、家計を考えたりして料理を作ってくれたのだ。
この日のおでんの大根も、わざわざ雪の畑を掘り起こして悴む手で採ってきてくれたものであった。
幾つになっても子は子で、親は親なのだと思う。
そして、そんなふうにして私はこの母に育てられてきたのだと思う。

それを思うとき、

切ないほどの美味しさが、母の味にはある。



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おすすめbook100冊
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風の記憶

2005-10-16 | 


ただ、風を感じただけで、
何か懐かしい気持ちになったことはありませんか。

ただ、風に吹かれただけなのに、
何故か満ち足りた気分になったことはないでしょうか。
今、自分がここにこうして存在し、生きている、
そんなあたりまえのことが何か嬉しくて懐かしくて。
そんな気持ちになったことが、ありませんか。


私たち日本人は古来から、
風に自然の息吹を感じ、
風に季節を感じてきました。

稲穂を渡る風に豊かな秋を感じ、
身を刺す冷たい風に冬の存在を知り、
雪を融かす温かな風に春の訪れをよろこび、
そして、風鈴の音色に夏を感じる。

今、現代人はそんな風の言葉を
感じる余裕もなく生きています。
そんな私たちでも、ある日風に吹かれた瞬間、
何か心を揺り動かされるようなことが
よくあります。

それは「風の記憶」ではないでしょうか。

私たちの体の中に、
風に対する豊かな感性が遙か遠い昔から
確かに受け継がれている、そう思うのです。

 

 

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やさしい風

2005-10-13 | 


誰かに愛されているとき、

人はその愛に気づかない。

そしてその愛に気づいたとき、

愛してくれた人はもう、いない。

だけれども、

愛されていたという事実を知るとき、

人はしあわせに包まれる。

そして少しだけ後悔をする。

(ありがとう、と伝えたかった)


人は、

そのとき後悔したから、

(ありがとう、を言うために)


また誰かを愛するんだ。



やさしさは、受け継ぐものだから・・・。


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