風の記憶

the answer is blowin' in the wind

風に吹かれて

2005-09-01 | 


~吉野弘さん「風に吹かれて」より~
祝婚歌

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい



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吉野さんは、庄内(酒田市)出身の詩人です。
私の母校の大先輩でもあります。(^^)



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稲川小学校

2005-08-13 | 

写真の学校は、山形県遊佐町立稲川小学校だった、校舎です。
今は、空き舎になってしまってます。
じゃあ、稲川小学校はどうなったかと言いうと、旧藤崎中学校跡地に移転新築されました。
(藤崎中学校は遊佐中学校に統合されたのです。)

今は学校ではない校舎。何だか不思議な光景です。
だって、どう見たって校舎なのに、もう校舎ではないのですから。

「学校」は特別な場所です。
人は人生の多感な時期の大半を「学校」で過ごします。学校は勉強を教わるだけの場所ではなく、人との関わりを学ぶ場所、人間同士がふれ合う場所でもありますから、様々な人々の色々な思いが宿っている場所です。
子供たちの思い、卒業生の思い、父母の思い、祖父母の思い、それに、赴任された先生方の思い、職員の方々の思い、また、その地域の人々が学校に寄せる思いも込められている大切な場所です。

そんな様々な「思い」が宿っているからでしょうか、今は空き舎になって誰もいないと分かっていても、校舎を見ていると何故か子供たちの声が聞こえてくるような気がするのです。

特に、この学校の卒業生とは中学校(藤崎中学校)で一緒で、今でも大切な友として交友があることもあり、彼等の子供だった頃の声が、校庭から、教室から、グラウンドから聞こえてくるようなのです。


俊勝くん、廉造くん、敏弘くん、裕之くん、茂くん、昭二くん、正宏くん、宏記くん、勇くん、慶二くん、・・・、それに、好さん、久美さん、ひろみさん、美樹さん、弥生さん、千賀子さん・・・、みんなみんな元気ですか。

あなたたちの稲川小学校は、鳥海山に抱かれたとても素晴らしい小学校でした。

 

コメント (2)
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ラジオ体操

2005-08-03 | 


夏は子供のラジオ体操に付き合って早起きをする。
ラジオ体操は近くの公園に子供たちを集めて、自治会子供会が主催する。
私の家はこの公園のすぐ近くなので、ラジオ係をかってでた。
ラジオ係が遅刻するわけには、いかない。(^^;)

そういえば私が子供の頃、近所の呉服屋のおじさんがその係だった。
呉服屋のおじさんは、眠そうな子供たち一人一人に声をかけ、とても世話上手で優しかった。
私はこのおじさんが、頼りがいがあってとても好きだった。

月日は流れ、今、この地区の子供たちにとっては、私があの時の呉服屋のおじさんなのだ。
そう思うと、ちょっとびっくりだ。あの呉服屋のおじさんは子供の自分にとっては完璧な大人として
私の中にあるのに、今の私はこの子供たちにとってどんな大人に映っているのだろう。

情けないことに、遅刻しそうになって走って公園にむかい、眠そうに体操をこなし、子供たちから
せかされて体操カードにシールを貼ってあげているこの自分が、とても呉服屋のおじさんのような
完璧な大人だとは思えない。

それでも、子供たちが 「ねえ、あと3日頑張ればジュースもらえるんだよね」 と瞳を輝かせて
ニコニコしているのを見ていると、精一杯完璧な大人を演じなくては、と思ったりする。
「そうそう、いいかぁ、休まずに頑張るんだぞぉ」

体操カードを確認して、ダッシュで帰っていく子供たち。
その後ろ姿を、自分の子供の時に重ね合わせ思いながら家に帰ると、庭にはあの頃と同じように
きれいな朝顔が、風に揺れていた。

コメント (2)
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花火大会

2005-07-30 | 

今、庄内では合歓の花があちらこちらで見られます。
合歓の花をアップで見ると花火のようです。水上スターマイン。(^o^)

今日は山形県遊佐町の吹浦という港町(私の母親の実家です)の花火大会でした。
子供の頃、この吹浦の花火大会がとっても楽しみで、必ず見に行ったものでした。
今のように華やかなものではなく、5分に1回上がるような小規模でシンプルな花火大会でしたが、親戚の家の屋根に登って、花火が上がるまで、西瓜を食べたり、とうもろこしや枝豆を食べたりしながら1発の花火が上がるのをみんなで待つ、その時間も楽しみだったように思います。

最近の花火は、そのころと比べるといろんな種類があり、次々に豪華なものが上がり、その度に「おー!!」と声をあげてしまうほど素晴らしいのですが、一番好きなのは、子供の頃に吹浦で見たヒューと上がってドーンと広がるシンプルなものなのです。(花火師さんや関係者の努力に敬意を表しつつも・・・(^^ゞ)

昔の夜は今よりもずっと暗くて、虫の声やカエルの声もずっと豊かで、蚊取り線香の香りがするそんな夏の夜を一瞬彩る一発の花火。
一つ一つの花火をとても大切に心に刻んだような気がするのです。

今年も、この吹浦の花火大会を皮切りに、庄内ではあちらこちらで花火大会が催されます。
子供達の心に残るような素敵な花火であることを祈るように、合歓の花は今年もきれいです。


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はじめは、ふるさとの小道から。

2005-07-25 | 


バタバタと忙しい毎日なのに、ブログをはじめてみました。(^^;ゞ

記念すべき最初のショットは、私の生まれ育った山形県遊佐町の田舎の小道です。
自宅のすぐ裏は田んぼで、日本の食卓を支える「お米のふるさと庄内平野」がぶわーっと
広がっております。って言っても、この写真はその庄内平野を背にして民家方面を撮影し
ていますのでその様子はさっぱり伝わりませんね・・・。(^^;)

久しぶりにこの道を息子を連れて歩いてみましたが、私が子供の頃とちっとも変わってい
ませんでした。♪子供の頃はこの道を駆けまくっていたなぁ。
もう少しうしろの方に西通川という川が流れていて、子供の頃はその川でざっこしめ(小
魚獲り)三昧でした。
あれから30数年の月日が流れ、今また自分の息子を連れてその道を散歩してみました。
何にもない唯の田舎道ですが、何故か子供は楽しそうに奇声を上げて駆けていきました。
子供に退屈なんて無いんでしょうね。

しばらくすると彼は急に立ち止まり、何を考えてかこちらをじっと見つめはじめました。
その姿を見た瞬間、何か懐かしい風に吹かれたような気がしてカメラを向けました。
その光景は私を駆け足で、あの日、あの時・・・に連れて行ってくれたようです。

夏草の青々とした風もふるさとの薫りのひとつです。
その時は気づかなくても身体はしっかりと記憶しているものです。遠く離れていても、あ
る日突然、風に吹かれるとまるで何かに呼ばれているように、心が揺れるのです。

また夏が、始まりました。

 

コメント (3)
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