有難し 四半世紀を超えてなお 花届きたり我が誕生日

年明けて、相変わらずの日々が過ぎてゆく。
今年も誕生日にお花が届いた。例年同じお花屋さんが届けてくれる。もう四半世紀を超えて頂く。
1年や2年は出来ても、このように長く続けて下さるのは並みのことではない。
このお花の贈り主には誠に有難く忝い。近年は相まみえることも無いが、しっかりとご自身の人生を歩んでおられると思っている。
長年、沢山の人達の人生に関わらせて頂いてきたが、その殆どは忘れてしまった。私は忘れても、カウンセリングや相談に乗った人たちは、辛く苦しかった日のことを思い出す時、きっと私のことも脳裏を過るのではと思っている。カウンセラーなんてそれでいいのだと思う。
昔、母がよく冗談に言っていた。
「あなたは村の石橋、人を渡して自分は落ちる」などと。
なるほど、村はずれの小川に架かる小さな石橋。でもその橋がないと皆が困る。
毎日、人々は橋を渡る。いつか、岸の根元が崩れて石橋も落ちる。また新しく橋は出来るだろうが・・・。
ふと、拙い歌が・・・。
世の人を渡し渡らせ己が身は遂には落ちる村の石橋
例年のことながら正月は、行く当てもなく来る人もない。読書三昧、ひたすら本を読んで暮らした。

我が蔵書ながら近年は(イヤイヤ昔から)ツンドク(積読)だった。本が読める余命を思うとき、この調子では自分の本さえ読み残してしまいそうである。敢えて、あまり面白くない書(専門書の類)から優先して読んだ。元々、本は「借りるより買う派」だったが、それがいけない。「いつでも読める」なんて思ってしまう。「いつでも」なんて時は無いものである。
今は昔、私の勉強会の方3人にある本をお貸しした。順に回し読みをお願いした。かなり大部の(と言ってもロマンチックな)ものであったが最初の方は3日で読了して次の方へ。次の方も3日で3番目の方へ回した。ところが、その後1週間経っても本は戻って来なかった。まあ、来月の例会にでも持参されるのだろうと思っていた。
案の定、返却は翌月の例会日。最後の方は3週間ほど手元にあった。各々に感想を聞いてみたが、初めの2人は読後感を印象深く語った。3番目の方は具体的な感想は言わなかった。多分、「私は最後だからまだまだ時間がある」なんて思っているうちに日にちが過ぎてしまったのだろう。或いは多用で読書する時間をとれなかったのかもしれない。
閑話休題
実は今、私は亡き母の部屋でやすんでいる。母が生前、何を思い、如何に考えていたかを偲ぶためでもある。母の蔵書も多いが、多分読み残したものもあるだろう。代わりに私が受け継いで読みたいと思い始めている。本箱には整然と収められている。

やはり一番多いのが短歌関連のもの。母の歌はアララギ系だったので茂吉の歌集や歌論が多い。長年、茂吉記念館の「齋藤茂吉追慕歌集」にも投稿していた。私はとても母の短歌の足元にも及ばない。それら以外にも仏教書(私とは少し傾向が異なり読み易い書である)がこれまたどっさりとある。


そのような母の本箱の中段に3冊ばかりの本が横積みになっていた。よく見ると上の2冊は亡き弟の翻訳書と論考である。下の1冊は「レイテの挽歌」であった。私の弟はまだ大学の現役教授のままに逝った。
母の弟(私の叔父)は過ぐる太平洋戦争でレイテ島で玉砕した。母にとっては2人は逆縁であった。きっと心の中には無念の気持ちがあったのだろうと思うと涙が滲む。
書きはじめると思いは尽きないが、やがて日付が変わる。今宵はこれにて。


年明けて、相変わらずの日々が過ぎてゆく。
今年も誕生日にお花が届いた。例年同じお花屋さんが届けてくれる。もう四半世紀を超えて頂く。
1年や2年は出来ても、このように長く続けて下さるのは並みのことではない。
このお花の贈り主には誠に有難く忝い。近年は相まみえることも無いが、しっかりとご自身の人生を歩んでおられると思っている。
長年、沢山の人達の人生に関わらせて頂いてきたが、その殆どは忘れてしまった。私は忘れても、カウンセリングや相談に乗った人たちは、辛く苦しかった日のことを思い出す時、きっと私のことも脳裏を過るのではと思っている。カウンセラーなんてそれでいいのだと思う。
昔、母がよく冗談に言っていた。
「あなたは村の石橋、人を渡して自分は落ちる」などと。
なるほど、村はずれの小川に架かる小さな石橋。でもその橋がないと皆が困る。
毎日、人々は橋を渡る。いつか、岸の根元が崩れて石橋も落ちる。また新しく橋は出来るだろうが・・・。
ふと、拙い歌が・・・。
世の人を渡し渡らせ己が身は遂には落ちる村の石橋
例年のことながら正月は、行く当てもなく来る人もない。読書三昧、ひたすら本を読んで暮らした。

我が蔵書ながら近年は(イヤイヤ昔から)ツンドク(積読)だった。本が読める余命を思うとき、この調子では自分の本さえ読み残してしまいそうである。敢えて、あまり面白くない書(専門書の類)から優先して読んだ。元々、本は「借りるより買う派」だったが、それがいけない。「いつでも読める」なんて思ってしまう。「いつでも」なんて時は無いものである。
今は昔、私の勉強会の方3人にある本をお貸しした。順に回し読みをお願いした。かなり大部の(と言ってもロマンチックな)ものであったが最初の方は3日で読了して次の方へ。次の方も3日で3番目の方へ回した。ところが、その後1週間経っても本は戻って来なかった。まあ、来月の例会にでも持参されるのだろうと思っていた。
案の定、返却は翌月の例会日。最後の方は3週間ほど手元にあった。各々に感想を聞いてみたが、初めの2人は読後感を印象深く語った。3番目の方は具体的な感想は言わなかった。多分、「私は最後だからまだまだ時間がある」なんて思っているうちに日にちが過ぎてしまったのだろう。或いは多用で読書する時間をとれなかったのかもしれない。
閑話休題
実は今、私は亡き母の部屋でやすんでいる。母が生前、何を思い、如何に考えていたかを偲ぶためでもある。母の蔵書も多いが、多分読み残したものもあるだろう。代わりに私が受け継いで読みたいと思い始めている。本箱には整然と収められている。

やはり一番多いのが短歌関連のもの。母の歌はアララギ系だったので茂吉の歌集や歌論が多い。長年、茂吉記念館の「齋藤茂吉追慕歌集」にも投稿していた。私はとても母の短歌の足元にも及ばない。それら以外にも仏教書(私とは少し傾向が異なり読み易い書である)がこれまたどっさりとある。


そのような母の本箱の中段に3冊ばかりの本が横積みになっていた。よく見ると上の2冊は亡き弟の翻訳書と論考である。下の1冊は「レイテの挽歌」であった。私の弟はまだ大学の現役教授のままに逝った。
母の弟(私の叔父)は過ぐる太平洋戦争でレイテ島で玉砕した。母にとっては2人は逆縁であった。きっと心の中には無念の気持ちがあったのだろうと思うと涙が滲む。
書きはじめると思いは尽きないが、やがて日付が変わる。今宵はこれにて。