コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

涙枯れるまで・・・。再びGrief careをと思うこの頃。

2020-02-03 | life

以前はチョーハードの中にも、このようなプログラムもお引き受けしていた。もう老境の私だが、老骨を労わりつつ、ほんのちょっぴりでも世のお役に立てたらと思うこの頃のこと。

午後から、福井市内のクリニックを定期受診した。3ヶ月に一度の検査受診だが、もう20年にもなる。Drは勿論、ナースさん達も皆笑顔のいい人ばかりである。予約制ではないので時には待ち時間が長引くこともあるが、開業医さんとしては概ね妥当な時間である。

診察を終え、会計も済ませて帰ろうとしたら、後から「米沢先生」と呼ばれた。振り向くとひとりのご婦人が「勤労婦人センターでお習いしたSですが・・・」と。咄嗟に思い出せなかった。勤婦センターを辞してからやがて20年にもなる。受講生の方々は数えきれない程であった。如何に記憶力のいい(?)私でも。このクリニックへ来るのも、当時ここにお勤めの方が受講生であったからである。その方も退職して久しい。

ところで、彼女は「昨年、実家の父が亡くなりました。婦人センターで米沢先生の講座を半年間受講させて頂きました。その時、先生は『親には一度でも多くお顔を見せてあげて下さい。訃報を聞いて走るのではありません』と仰いました。私はずっとそのお言葉が胸にありましたが、長年、仕事や子育てに追われて、なかなか実家の両親を訪ねませんでした。もっと父の顔を身に行けばよかったと思って・・・」と目を潤ませていた。

実はクリニックで私はずっとマスクをかけていたので、彼女は私には気が付かなかったのだが、会計から私の名前を呼ばれたことと、私が職員の方と一言二言の会話を聞いて気が付いたそうだ。
思えば、長らく福井市勤労婦人センターの常任講師として「親子家族学」を講じ、或いはカウンセリングもさせて頂いた。確かに講座の中でそのような発言はした。しかしながら、彼女は嫁がれた身である。そう頻繁には実家へ行くことは出来ないのが、こちら北陸の片田舎の封建的な実態でもある。

話しているうちに講座の同期生の方のお名前や、修了式の後の懇親会などの話題も出てきて、記憶の糸が繋がった。私は「そのことが気にかかっておられたのですね。亡くなられてから、あれこれと思い出されることが多くありますね・・・。」と。私だって亡き母にもっと優しくすればよかったと悔やむこの頃である。自分の身にも重ね合せながらであった。

彼女は「先生、今から相談室へお帰りでしょうか?」と尋ねた。実は長年、このクリニックから近いところに相談室「コミュニケルーム」をもっていたが、引き払ってもう20年近くにもなる。彼女は、もし私が相談室に戻るのなら「帰りにお寄りしたい」とのことだった。
もう相談室は無いことを伝えると、「あの頃、週1回、婦人センターに行くことが私の心の安定剤でした・・・」と。私は「また皆様とあれこれ語り合える機会を持てるといいですね。」と応じた。婦人センターの講座も終了後何年も自主サークルを続けていたグループも幾つかあったが、それも殆どが終わった。本当に「時は過ぎて行く」のを実感する。

帰り際に彼女は「先生のお顔を拝見しただけで涙が溢れてきて、御免なさい・・・」と。私は「涙はいっぱい流せばいいんですよ。涙が枯れるまで。」と応えると彼女の涙のお顔が一瞬輝いた。「有難うございました。ここでお目に掛かれましたのは仏さまのお導きだった思います。」と言ってくれた。【少し離れたところでの会話であったが、もしかして周囲の人には私が女性を泣かせているように見えたかしら?なーんちゃって。まさか・・・。】
<閑話休題>
しかしながら、私にはもう新しく研究会や学習会をやるパワーはない。だが、一つだけやりたいと思っていることがある。それは、先ほどのSさんのように、身近な方を亡くされて、なかなか悲しみの癒えない方々のための語らいの場を作りたい。思い切り涙を流せる場であっていい。。「グリーフ(悲嘆)ケア」を大事にするが、必ずしも私がお一人、お一人にカウンセリング出来る訳ではないが、安心できる場で、ご参加の方々が自分の思いを自由に語り合える時と場所である。私が同席することで予期せぬ展開もフォローできると思っている。
また「心理学だ、カウンセリングだ、文学だ、はたまた仏教だ。」などと言わずに、語り合いの場であり、時には啄木も藤村も、或いは歎異抄あれこれも話題になればよい。
Old ParrならぬOld yo-サンの最後のお役にたてる場になるかとも思っている。実はこのような場はカウンセリングでは「グループエンカウンター」と呼び、長年に亘り実践してきたが、それよりも、ずっと小さい規模で、もっと、もっと「心のふれあい」に迫るものにしたいと思う。
会場も〇〇センターとか△△会館などと大仰な所ではなく、古民家辺りだといいと思う。

昨年、ある方とさる茶店でデート?した。そのお店の奥に、そのような感じのお部屋があった。昔の日本の家の一室を思わせるものだった。ママさんが「私もカウンセリングのお話には関心があるし、どうぞ使って下さい。」とのことであった。コーヒー代ぐらいで参加できるようにしたいと思っている。

(お店の入り口付近。ママさんや内部はまだ秘密のアッコちゃんに。どなたか今度お茶しませんか。)
今日は、以前から心の中で温めていることを言語化してみた。クリニックでSさんに出会ったことが一層その思いを強くした。
やはりその土台としてNPO創設の心に今一度思いを致し実現したいと思う。ひとり去り、ふたり去りとメンバーも少なくなった。ご一緒にして下さる方を切望している。このブログ左上部の「メールを送る」からでも、お電話でも、お手紙でも歓迎です。それではつづきはまた。





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6 コメント

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おはようございます♪ (のり)
2020-02-04 09:10:18
yoーサン、(とお呼びしてもよろしいでしょうか)
グリーフケアをもとにした集いの開設のお話しを聞かせて頂き嬉しいです!! 近ければ隠れ家的な素敵なカフェのその会の会員になりたいものです!! これまでのキャリアを活かした活動が地元の方の灯台となりますよう、心からお祈りしております。

いつも私のブログを応援して下さり有難うございます!!
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のり様 (yo-サン)
2020-02-04 13:06:36
いつも貴ブログを楽しみに拝見致しております。
また、素敵な絵に感じ入ります。絵心の無い私にはとても羨ましい限りです。さて、
長年、カウンセリングの中で来談者の方から、喪失の哀しみを聴くこともありました。
しかし、1度や2度のカウンセリングでは、お心が癒えるものではありません。なので、
このような語り合い、聴き合いのグループがよいかと思っております。 

「yo-サン」で大歓迎です。yo-サンさんでは屋上屋ですからね。(w)  実はこの「yo-サン」
呼称は今は昔、スナックのママさんが私に対する呼びかけでした。拙著にも「スナックの
ママはカウンセラー」なんて章があります。(w) 周囲の人は皆我が師ですねぇ。
それではまた。失礼致しました。
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いいアイデアですね (ゆり)
2020-02-04 19:20:12
こんばんは(*^^*)

>「あの頃、週1回、婦人センターに行くことが私の心の安定剤でした・・・」

yo-さん(なんて気楽にお名前およびしてスミマセン)は本当に色々な方の生きていく支えになられてこられたのですね。
そういう生き方って素晴らしいと思います。憧れます。

ですが、高齢になられると、どうしても無理はきかないし、個別の時間がかかるカウンセリングはご自分の体を痛めてしまいがちです。
(カウンセリングする方もされる方もしたことはないので、多分です)。

でも、こうした、くだけた感じのものは周りの方々も肩がこらずにいいのでは?

心理学だ、カウンセリングだ、文学だ、はたまた仏教だ。なんて、混じればなお素敵です°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

それに、スナックのママさんって!会社帰りのオジサマ方をずいぶん救ってるんではないでしょうか。
相手を否定せずに愚痴を聞いてあげて!
(といっても、一度も私は行ったことはないのですし、夫もないみたいですので、たぶん)。

yo-さんの人生ってこれからも輝き続ける感じですね°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
上のお店もとても素敵な感じです!!
残念ながら、私は遠すぎて!ダメですが応援致します♡
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ゆりひめ様 (yo-サン)
2020-02-04 21:33:28
メッセージども・どもです。
いつも含蓄のある貴ブログ心待ちにして拝読。
時にはユーモアあり、ペーソスあり、文章も長すぎず短すぎず、ほどよく決めてさすがです。

スナックは未体験でしたか。ぜひ一度、福井の夜を先達しなくちゃね。昔はカラオケなんて
スナックでないと歌えなかったです。Old Parrなどキープして。
♪ボクが初めて君を見たのは 白いとびらの 小さなスナック  1人ぼっちのうしろ姿の 君の
うなじがやけに細くていじらしかったよ♪
なんてパープル・シャドウズが歌ってました。昭和も遠く・・・。

さて、私の最後の、世のお役にたてることはそれぐらいかと存じております。もしかしたら
私自身へのGrief careなのかも知れませぬね。スナック「ささゆり」なんていいかも。
ぜひyo-サンとお呼び下さいマシ。カウンターの向こうに、ゆりママがいて・・・。
失礼致しました。つい饒舌に。どうぞご寛容に。
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「分かち合い」 (kei)
2020-02-04 22:06:33
同じような辛い体験をされている方々が寄って語り合うことで、少しずつでも心の痛みや喪失感が和らいでいく、
という場があることはテレビなどから聞き知ってはおりますが、
それぞれの思いを上手に導いてくださる方がいらっしゃるのでしょうね。
そうした方々に静かに寄り添われて…。
yo-サンの思いが実現できるといいですね。
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keiさま (yo-サン)
2020-02-04 23:00:08
メッセージ恐縮至極です。
実際はかなりパワーが要るんです。グループカウンセリングとも違って、私の存在はファシリテーター
なんですが、ごくごくふつうに振舞いながら、参加者の言動を的確に把握していないと、単なるダべリ
ングに堕してしまいます。ですが、これまでグループエンカウンターを何度もやってきましたので、その
マイクロ版かと思っています。さてさて、雀百まで何とやら・・・のyo-サンですねぇ。

記事冒頭の案内は実は、本願寺派のお坊さんたち対象に、福井別院でさせて頂いたものです。
ビハーラ活動には、このようなカウンセリング・マインドは必要不可欠ですね。又つづきを記したいと
思っています。末筆になりましたが、いつも交信(心)を感謝申しております。


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