四弘誓願
衆生無辺誓願度 (しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無数誓願断 (ぼんのうむしゅせいがんだん)
法門無尽誓願学 (ほうもんむじんせいがんがく)
仏道無上誓願成 (ぶつどうむじょうせいがんじょう)
2月15日はお涅槃でした。ひとりで涅槃会を勤めました。もし、 お釈迦様が世にお出まし無かりせば、私たちは仏教に出遇うことはありませんでした。仏教徒でしたら、今日の日は釈尊80年のご生涯に思いをいたしたいものです。
まずは四弘誓願を独唱?しました。これは仏教徒の誓いなんですが、私はお釈迦様のお誓い・発願だと思っております。形ばかり、お坊さんの資格のある私ごときには果てしなき道のりです。
ふつうはご法事などの最後にお唱えします。でも、私はこの願文と厳かな曲が好きなので一番最初にしました。特に今日は私ひとりなので音楽礼拝にしました。いつもは漢字ばかりのお経を読むのですが、今日は全てをお歌で歌いました。とても気分がやわらかく清々しいひと時でした。
たくさんの仏讃歌がありますが、お涅槃にはやはりこのお歌です。お涅槃に相応しく心に沁みて涙が頬を伝いました。
泥洹思慕 (ないおんしぼ)と読みます。
如月の夕間暮れ 木々に鳴る風 落ちて黒々と 物皆に悲しびはあふれたり
南無釈迦牟尼仏 みほとけよわれらまた この森に集いたり
こたびこそ涙なく経を誦しまいらせん ああ、かくて阿羅漢よ
三千年を経てぞなお みほとけは滅度なく 常しえに説きたもう
泥洹とはサンスクリット語のニルヴァーナ(nirvāṇa)の音写です。涅槃と同じ意味です。悟りを得た、知恵が完成した、煩悩が消え去った状態等を言いますが、一般にはお釈迦様の入滅(亡くなられたこと)を指します。
釈尊最後のご説法はあの「自灯明・法灯明」の教えでしたね。自らを灯明とし、自らをより処とし、他のものをより処としない。法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処としない。ということです。勿論、自らを支えているのは仏法である訳ですね。
仏縁に繋がる方々との交信に感謝申して今宵これにて。釈豊照こと 米沢豊穂