長崎港を一望に。大きな客船が停泊中だ。あの船は何処から来て、何処に向かうのだろう。南山手の丘のグラ―バー園に来た。
生憎、旧グラバー邸は耐震工事中で入れない。しばし園内を散策。
あさ明けて船より鳴れる太笛のこだまは長し並みよろふ山
茂吉の代表的な歌の一首。私は茂吉のような歌にはどうも敷居が高い。いやいや全く力が及ばない。しかし、茂吉は好きだ。どことなく暁烏敏師にも似たようなところが・・・。私の亡き母の歌は茂吉のアララギの流れだった。
旧グラバー邸の周囲を囲むように、臨時に設けられた金属の足場のような通路から見学できる。下の石を敷き詰めた小径を眺めると、おや1カ所、何かが見える・・・?わかるかしら。(恋してる人にはすぐに見えますよ。)yo-サンなぞ、一発で。(w)今どき流行りのパワースポットだって。
やはらかな春の陽光を浴びて、坂道を街へ下りる。
瀟洒なお家が。おや、気持ち良さそうにネコちゃんがお昼寝。私にもこんなひと時がほしい・・・。
街に出て、長崎港へ。海からの風は少し冷たい。温かな珈琲でも。
おや、帆船かしら?この船は何をする船だろうか。
とても美味しいと有名な珈琲店のテラスで、海を見ながら戴く一杯は格別。カップには龍馬さんのお顔が浮かぶ。
半分ぐらい飲んでも、お顔はまだ崩れずに。楽しくて美味しいひと時。
ゆっくりと街を歩く。
街中を流れる小川のせせらぎ。思わず
わくら葉を今日も浮かべて 街の谷 川は流れる
ささやかな望み破れて 悲しみに染まる瞳に 黄昏の水の眩しさ・・・♪
を口遊む。(古いねぇ。yo-サン、美樹さんの隠れファンでした。)
シスターになると言ひ来て去りし君五十年(いそとせ)を経て今は何処(いずこ)に
今は昔、恩師に頼まれて束の間の、夜学の高校の代用教員(啄木流に)をした。文芸部の顧問をもさせられた。部員の一人に、信州から集団就職で来て、昼は紡績で働いている女生徒がいた。彼女は就職の翌年の入学なので、大方の同級生より1年の年長であった。
いつも物静かで、何処か寂しげであったが、部の「ともしび」という文集の編集委員もしていた。自らもツルゲーネフの「初恋を読んで」という感想文を書いたことがあった。
夜学なので4年制であったが、4年の後半には、部へもあまり顔を出さなくなった。私は基本的には週3、4日ほど、現代国語を担当する講師なので、担任もなく、生徒の詳しいことなどはあまり知らなかった。彼女も実家のことや、仕事のこと、卒業後の進路など色々とあるのだろうと思っていた。
卒業が近づいた2月の中頃のある日、珍しく彼女が部にやってきた。そして徐に「先生、文芸部で先生から啄木のことを教えて頂いたことが心に残っています。私は、卒業したらシスターになります。長い間お世話になりました。」と言い残して去った。「えっ、シスターに!?」と私は言ったが、彼女は微笑んで頷いただけであった。
部員と言っても小人数だし、部としての卒業生を送る何かをしなかったと思う。卒業式が終り、生徒たちが教室に戻る時、彼女は私の所に来て、「夜学に来て先生と会えたことが、とてもよかったです。」と一言残して、後はもう振り向かずに仲間の所に小走りに駆けて行った。
私も、その年で講師を退任した。新年度に恩師は校長になられた。私も身辺色々とあって、彼女のことは忘れていた。一度、彼女の後輩の生徒が訪ねて来て、彼女の話題に及んだが、「長崎の修道院に行ったとか・・・」程度しか知らなかった。
まあ、一人の教え子のことなので、その後は詮索することもなく、やがて半世紀にもなる。僅かに、彼女の出身地は北佐久とだけは記憶に。たぶん、藤村の「歌哀し佐久の草笛」の印象からだろう。
もし、彼女が健在なら、今は、このシスターぐらいではないだろうか。なんて、ふと・・・。旅は色々なことを蘇らせる。yo-サンの長崎の旅はもう少しつづくようだ。
オシャレなお飲み物ですね。
龍馬さんを飲んでしまうのがもったいない♡
ハートはすぐ見つけましたよ(*^^*)
実際に行った時もすぐに見つけました。
う~~ん・・・恋は人でもなくもできますからね♪
シスター・・・ご本人では??なんて考えましたが・・・
旅って過去が走馬灯のように思い浮かんでくるものですよね。
過去の自分と現在の自分との対話・・・
旅の醍醐味ですね°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
>龍馬さんを飲んでしまうのがもったいない♡
ホント。そうんなんです。註文して若干時間を要しますが、見事な出来栄え
でした。これもユニークな発想と、絵心・センスですね。
勿論、珈琲も美味しかったです。
♡模様、すぐに発見でしたか。さ・す・が!!
麗しき・ゆり様。立てば芍薬、歩けば牡丹、歩く姿は百合の花ですから。
命短し恋せよ乙女 なんてね。人生、恋無きて何とする。
いつまでも見果てぬ夢追い人のyo-サンです。
末筆ながら、シスターは偶然。長崎の街ですから。教え子のお顔はもう朧なんで
すが。昔の彼女は鮮明ですが。もし、逢えてもお互い老いたる人どうし。
ならば、逢わぬが、いや逢えぬが花。全てが美しいままかと。それではまた。
どうも有難うございました。
こんな旅をゆったりしてみたいですね。
夜学の若い教師は乙女にどんな思い出を残したのでしょうか・・・
仲宗根美樹さん私もファンでした(*^^*)
そして、「旅は色々なことを蘇らせる」。
「シスターになる」という言葉は印象深く残りそうです。
働きながら学び、先生の授業や文芸部でのお話を通して
心の糧を得られていたのではないでしょうか。
啄木の歌にもきっとたっぷりと言葉を添えられたのでは(笑) 生きること、学んだのかなあ…なんて。
そうした講師としてお勤めの時期もおありだったのですね。
こんな言葉を残してくれた教え子、かけがえのない一時期ですね。
ひろさんのように、素敵なスケッチが出来ますと旅ももっと楽しいかと。
絵を描かれている方の傍らで、時々描き具合を拝見するのも好きです。
ほんとうに、のんびり・ゆっくりと旅をしたいものですね。少しでも元気で
自分の足で歩けるうちに、行きたいところ、会いたい人に会いに行く。
背から、老いが足早に追いかけて来ますからね。18切符での旅を楽しみに
していますよ。
えっと・・・
その若い教師は、教科書そっちのけで、いつも、啄木だ、藤村だと。
でも皆、目はキラキラでしたよ。厳しい時代でしたが心は豊だったかなと。
それではまた。どうも有難うございました。
貴ブログを拝読しながら、私の知らなかった沢山のことを、この老骨に
接ぎ木させて頂いております。
何分にも日常が、よろずのこと みなもって そらごとたわごと を地で
行っております。そんな私に旅は格好の非日常なんです。人生の旅路も、
もう、そうは長くはないと思います。なので、1日、1日が愛おしくてな
りませぬ。
しかしながら、教えることは学ぶこと でもありますねぇ・・・。
それでは、またの京だよりを楽しみにしております。どうも有難うございました。