「私、発達障害です。配慮してください。」
的なことを言う当事者の方々と何人も接してきました。
「で、何を配慮するの。」
と問いかけてみると
「わからない」
という。
某出版社の社長が同じことを発言していた支援者に同じ問いかけをしたら、その支援者は泣き出した。とのこと。
本人や支援者がわからない配慮をしろって言われても、ただ面倒くさいのがやってきたと、敬遠するのはまったく人間的な行動なのでは。
あるいはこういうことも。
某AS者が障害者職業センターの指導で「自分取説」を作成。それを就労移行支援事業所で生かそうとした。
その就労移行経営者の臨床心理士は手渡された取説をその場でエアメールで返事(渡された取説を投げつけ)し「この通りにしろというの!!」と怒りのコメントを付けた、とのこと。
だって、専門家でさえ訳が分からないもの。
なにをもって発達障害と呼ぶの。
配慮って何。うっとおしいのを我慢しろってこと。
私は一言でお答えできます。
「変人枠を目指せ」
この一言に尽きます。
今までの人生で、自分の特性のことを話しても精神保健の専門家でさえ、精神科医でさえ、理解してくれない人はハナからダメでした。
精神保健のなんの知識もない、ただの製造現場の上司が、私という人間を最大限に活用しようとして、おかげで仕事を続けることができました。。
相手の知識は関係ないのでしょう。ただキーパーソンが「いい人」であると生存率は飛躍的に高まるのでは。
それから、自分が診断を受けてたくさん調べて、傾向と対策を練ること。
もちろん「脳機能障害」だから社交技術には限界はあると思う。環境に左右されやすいという意味で人生はロシアンルーレットかもしれない。
それでも身体的なアプローチで、体調を整えやすくしたりすることはできるのです。
あとは「時間と距離」かな。
ショックから立ち直るにはそれなりの「時間」がかかる。
苦手な人とは仲良くするスキルもいるけれど適当に「距離」を取るしかない。