ACT(Assertive Community Treatment 包括的地域生活支援プログラム)とオープンダイアローグで知られる高木俊介先生から面白い文章が回ってきた。
ACT(Assertive Community Treatment 包括的地域生活支援プログラム)
https://www.comhbo.net/?page_id=1379
オープンダイアローグ
https://ja.wikipedia.org/wiki/オープン・ダイアローグ
高木先生がリンクを張った、北里大学精神科の宮岡等先生がNPO法人ノーチラス会で行った講演スライドによると、選ばないほうがいい医師として
”他はない特定の治療を推進する医師 ×よい治療ならすぐ広まる”
と書かれている。
それについて高木先生が答えておられる画像を添付した。
宮岡先生が公開している公演会スライド
https://blog-imgs-129-origin.fc2.com/m/i/y/miyaokakitasato/20200112213117bac.jpg
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宮岡先生のお考えすべてを否定しない。参考になるご意見もある。
しかし高木先生が疑問に思った点について、私も疑問に思った。
宮岡先生の定義した「他にはない特定の治療を推進する医師」に、私はよく治してもらっている。
宮岡先生にとって多分、高木先生は敵なのだろう。彼の敵はほかに大勢いる。もちろん、多量多剤を平気でやる医師や患者の主訴を聞かない医師は共通の敵である。そんな医師に私の心身を見せることはない。
宮岡先生にとっては、このブログで取り上げたほとんどすべての先生はやぶ医者である。
しかし私の体は、神田橋先生や藤川先生のおかげでずいぶんとよくなった。しかしそれら先生方は宮岡定義では推奨しない人たちである。
藤川先生のもとの流れの一つである溝口先生などの分子栄養学に基づき糖質制限をする精神科医たちも、そして内科専門医であり日本心身医学会に属する私の主治医も、宮岡先生によればアウトである。
もちろん、べてるの家をサポートしている川村敏明先生もまた、宮岡定義では完全アウトである。
では、なぜ上記の先生方の方法が広まらないか。私が思うに
・職人芸玄人芸で、他人がまねしようにもまねできない…神田橋先生、川村先生など
・方法論で、保険診療では収益を上げにくいというイメージ…神田橋先生、高木先生、河村先生など
・発想が突飛で、模倣に抵抗がある…神田橋先生、川村先生、藤川先生、溝口先生など
病院は、検査してなんぼ、入信させてなんぼ、薬出してなんぼ、である。治したらもうその患者からの上りは当面望めないシステムである。
施設は、利用してもらつてなんぼ。問題解決して施設外で暮らされては、その利用者からの上りは望めないのがこの国のシステムである。
宮岡基準は、すべての医師が患者を治そう、楽にしようという意思を持っていることを前提にしている。それは虫が良すぎると感じる。
私は神田橋先生(2016)のおっしゃる通り、特に精神科医は、治すことよりも「昆虫採集」に夢中になる医師が大変多いと感じている。そんな治療に関心のない医師に「治してもらいに行く」という行為をしても、治療側に関心のない行為は望めないと私は思う。
医者は大勢いる。精神病患者で精神科医療にも携われる小石川真美医師は主治医を十数人替えたと述べておられる(小石川2018)。患者側ニーズも、医師側の事情〈治療理論、経済的事情など〉も、時に応じて変遷する。だからその時にニーズに応じて受ける医療サービスを変えればいい。と私は思う。
参考文献
神田橋條治 2016 治療のための精神分析ノート 創元社
小石川真美 2018 大いなる誤解・親子が殺しあわないために 金剛出版