私は通算13年間、福祉の支援職でした。
もともと自分が変わっていることには自覚があり、40を過ぎてから障害者認定を受け、また障害児を持つ女性と事実婚していて、当事者・当事者家族の立場でした。
福祉支援職と当事者・当事者家族の立場は、重ならないものでした。
当事者目線は福祉の職場から嫌がられました。特に精神保健福祉は、今でもピアワーカーなど、プロの人たちからは嫌われてますね。
福祉支援所の人たちは、障害者が自分とは何の関係もないと信じ込んでいる人が多く、自分事として全く受け入れたくない。
障害者なんて自分の仲間にしたくない。という姿勢の医療福祉支援者が圧倒的多数だと感じています。
自分の利用している事業所も、障害者は職員NG。
自分のところで拒否している存在を、他の会社に営業して売り込むという、不思議なお仕事です。
私は利用者して、私をあまり構わないところ、わりと好きにさせてくれる事業所を、あえて選択しています。
自分が理解されているとは思えませんが、邪魔をしないのならそれでいい。家以外の場所があればそれでいい。という思いです。
現時点で、私に対する専門的障害配慮や指導がなされているとは、私は感じていませんが、割り切ろうとしています。
私は、福祉職にとっては食えない利用者です。
私はあえて、注文の多い気難しい利用者・家族でいたいと思います。自分と家族の人権を守るために。
その代わり、あまり手間のかからない人間でいたいとも思います。支援者に私の人生には踏み込んできてほしくありません。
自分でできることはやって、良い環境が福祉であるのであれば、利用していきます。
福祉の世界で一番問題なのは、今も昔も、職員による利用者への暴力です。
今はしっかり施設内虐待として否定される傾向にありますが、それでも時々報道されます。相模原市での障害者虐殺が元施設職員によって行われたことは記憶に新しいことです。
時がたつごとに福祉の処遇が乱暴になってきていて、私がそれに耐えられなくなっているのを感じます。そんな処遇、受けたくないし、家族には受けてほしくない。
職員としては楽したいだけです。勉強もせず利用者にマウント取って本人意思なんて無視して、楽に管理できるようにしたいだけのことが非常に多いです。
楽をすることが決して悪いわけではありませんが、乱暴に処遇する必要はないと思うのですが、利用者にマウントを取らないと職員として資質がないと判断されることがよくあるようで、利用者にマウントしたからない私。職員がマウントを取りに行く光景が耐えられない私には「支援者失格」のレッテルが張られていると感じます。
もしかしたらそれは、別の意味で福祉職としての資質に欠ける私が、思っているだけかもしれない。
優れた福祉実践がいろいろ報告されますが、他に活かされることはほぼありません。
私が障害当事者として自分に対してやってきた自分助けの方法は、役に立つどころか、その当事者性は支援職を続けていくには毒でした。
周りの支援を見ていると、私は自分たち当事者の意向が尊重されないと思ったり、
あるいは福祉を利用している当事者たちが、自分を工夫することよりも誰かを攻撃して自己達成感を味わっているのを見ると、傷つくばかりです。
福祉職として居場所がないのであれば、他を当たるしかない。自分に働くステージをくれる会社に、その条件で行くしかない。
こうやって、自分助けの研究と記録を残すことで、これからも誰かの役に立つことを願っています。
また、いろいろな人の自分助けの当事者研究を、これからも見聞きしていきたいと思います。