先日、医療福祉法幾職などエッセンシャルワーカーは「全人格者」であることが要件であると書いた。
その点は変わらないが、現実として、「全人格者」の医療福祉人と、公私にわたり私は出会ったことがない。
あの神田橋先生でさえ、「全人格者」ではない。
神田橋先生は、ただの健康オタク爺さんだ。
現実として私は、時に応じて医療福祉保育などのサービスを受けないわけにはいかない。
「全人格者」による完璧な仕事を受けることが当然だと、例の社会福祉法人と同じ見解を私は持つが、残念ながらそのようにならない以上、次善の策を講じるほかない。
現実をみて、選択するしかない。
考えにくいことだが・・・
福祉や保育にもし、医療並みの利益がもたらされたら、「全人格者」には未だ出会えないかもしれないが、より優秀な人材に出会うことになると思う。
福祉や保育にもし、医療並みの利益がもたらされたら、「全人格者」には未だ出会えないかもしれないが、より優秀な人材に出会うことになると思う。
残念ながら、その様にはならない。
せめてヨーロッパ諸国並みに賃金になれば、もう少しまともになるかもしれないが、その様には決してならないだろう。
日本人は低福祉低負担を望んでいるから、決して高福祉高負担の国のように医療福祉が充実することはない。
最近、東南アジア諸国出身の介護者が多く福祉分野に進出している。
優秀で意欲のある若者の進出を、私は歓迎する。
ただ残念なのは、カナダやシンガポールのほうがより高給なので、最優秀の人たちはそちらにながれ、日本に来るのは二線級だと聞き及んでいる。
例の神奈川の法人や私がかつて所属した東京の法人のみならず、主に老舗法人は今でも「全人格者」を求め、さらにはそうさせるべく猛烈な精神教育がなされ、結果として定年まで勤められる人はまれな状態である。
本当に「全人格者」で福祉固めたければ、カナダ以上に賃金払わないと、世界から優秀人材を集められないと感じる。
というより、若かりしころの私は「全人格者」なんてものを求めること自体がナンセンスだと感じてきた。
「全人格者なんてナンセンス」
「福祉の常識は社会の非常識」
かもしれないが、年を重ねると、現実の体制で本当にいいものを求めようといると、「全人格者」でないと無理だな。と思うことが多い。
だから福祉などエッセンシャルワーカーは「全人格者」がデフォルトだと、私は今でも思っている。
とはいえそんな「全人格者」なんて、何千万何万と出会っても存在は確認できず、かえって「われは神なり」なんていう人は、かなりヤバい人かどこかに行っている人だと思うので、やはりナンセンスのだろう。
医療福祉が「全人格者」をもとめるのなら、それ相応の投資が必要なはずだが、そういうことにはなっていない。
介護などの仕事は決してひときわ安いとは思わないが、それでも危険や夜勤がある割には低いのかもしれない。
法令無視、サービス残業、賃金不払いなんてあたりまえのブラックな環境かでフォルトな業界だ。
最近は、パートの人も多く、最低賃金のそれら人たちに、どこまで期待できるのだろうか?
正規雇用は管理職になり、とても忙しくなり、ますます福祉の質が低下していると感じている。
きっと労働組合は「党中央」の指示通りに「賃金上げろ」のポジショントークをしているだけ。なのだろう。「全人格者」同様、正しいことだが、真に受けることはないな。
福祉利用は有効なら活用するが、その安さと不安定さ〈職員に何年勤務しているか聞けばわかる〉ゆえ、多くを期待してはいけないと、やはり思う。
「全人格者」に出会いたいものだな。