こだわってきたから今がある。
自閉スペクトラム症〈アスペルガー症候群・高機能自閉症〉と確定診断されている私は、独特のコミュニケーションとこだわりがある。それは事実だと思う。
それを快く思わない他者と多く接してきたし、生まれてこの方、迫害を受け続けた。社会的ではないとされる部分はかなり改善されたと感じているが、川崎医科大学の青木教授が指摘されているような「透明な感じ」を消去することはできないし、その特徴を消去する方法は、どこの誰も持っていないように思われる。
もつとも、福祉職による施設内暴力や医師による過剰投薬で去勢する実践を多く見ているが、それは「PTSDにした。拘禁反応・施設病にした」「三次障害を引き起こした。医原病にした」のであって「治した」のではないと私は考える。
それらエピソードにより、私には障害名がつき、私はそれを受け入れている。
だがそれは、私が「支援組織」の求める「障害者として生きる〈医療福祉の固定資産・食い物になる〉」を、受け入れたわけではない。これまでそうした「支援」を突っぱねて、それら私の自主独立を阻害し己の食い物にしようとする勢力とは絶縁して、生きてきたのだ。
わたしの動機の源泉は何か。それは「生きることへのこだわり」であり「自由であることのこだわり」であり「経済的独立へのこだわり」であるとはっきりわかる。
それが自閉症である私が「こだわる」意味なのだ、明白に主張できるようになった。
発達障害、とくに自閉症スペクトラム障害の人たちの居場所は、ごく限られているように私も思う。多くの当事者が言うこととして、特に医療福祉の分野では大変に偏見が強いということだ。多くの福祉関係者は深くはこの障害について知ろうともしないでただ目の前に事態に対処しているにすぎない。また専門医と称する人たちの少なからぬ数が、神田橋先生の言うところの「虫取り・昆虫採集」に夢中になっているだけ〈神田橋先生は「医者なら治せないかんわなあ」とぼやかれるが〉。のようにも思える。
学問的に知識経験を積んでいても、その専門家がむしろ、発達障害や自閉症の当事者を社会的に去勢し医療福祉収益の固定資産にする方向に向ける事例を、私のブログでは数多く取り上げてきた。例えば、某県センター長の治療目標は家事をする引きこもりとか。阪大歯学部出て歯科医師免許もって特定子会社万歳とか。早稲田出て障害者最賃就労万歳とか。MITをトヨタの金で出てB型就労継続万歳。などの話をこれまで書いてきた。
私は万難を排して、福祉理念に反する囲い込みに対して法的措置に出ることまで覚悟して、これまで生きてきた。あくまでも自主、自立にこだわり、有益な師匠や支援者につきつつ自己研鑽を最大限行い、職を転々としながらも、障害年金の就労能力定義であると学んだ「一社で定年まで務まる能力」という就労能力はないながらも社会人を継続し、いまやコンビニのオーナーになろうと思えばなれしまうだけの資金を自己所有するに至っている。今日も様々なコンビニチェーンなどからの独立支援のお誘いが流れてくる。
10年ほど前、北海道浦河町で自己研修させていただいた際、その当事者研究会で向谷地教授から「こだわる意味について研究してください」旨のことを問いかけられた。その答えがこれなのだと、はっきりわかった。
私は、たとえ発達障害と呼ばれようがうつ病に罹患し希死念慮にとらわれようが、その根底では自分は何らかの神様による召命とご計画があり、生きる意味があると確信している。
自己統治と経済的独立へのこだわりを強烈に持ち、固定資産化を目論む支援に抗議しチェンジし、貫いてきたのだ。
それが分かって今、妄想しているのは、障害を食い物にしたり否定するのではなく、その人となりを活かす事業は起こせないものかと、思っている。オーナーになりフランチャイズチェーンの食い物にされ半年で散財するのではなく、自分の志のある事業をするチャンスがもしあれば、それをしてみたい。そう思うようになった。
※引用参考文献
青木省三 2017 こころの病を診るということ 私の伝えたい精神科心療の基本 医学書院
神田橋條治ら 2010 発達障害は治りますか? 花風社
神田橋條治 2016 治療のための精神分析ノート 創元社