「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

自由に生きればいいと思う

2022-05-04 07:48:17 | 日記


最近、当事者関係の会合で、医療福祉の囲い込み、が話題に上った。
医療福祉の理念とは異なり、実際の医療福祉は利益追求をしている。
なにせ、厚生労働省が医療福祉の「非営利法人」に対して、金もうけを半ば強制している。

一般の株式会社同様、病院も福祉施設も、赤字を出せばつぶれる。赤字が許されない傾向は、新自由主義勢力が強い自治体で、より顕著なものとなっているように、私には思える。

このブログでも病院や福祉施設が「牧畜産業」であることは、再三にわたり触れている。
興味のある方は過去記事を読んでいただきたい。

かつて、福祉施設勤務時、勤務先社長を筆頭とする福祉職たちは、私の当事者性や当事者家族性を、非常に嫌がった。
法人理事会に食い込んでいるような保護者達は、利益構造をよく理解し、おもねるために自分の子供が食い物にされることを強く望んでした。
これは重度の知的障害を伴う家庭に、非常に頻繁にみられる傾向だ。

中度の知的障害当事者を持つ家庭も、無理をして重度向けの施設に合わせていて、そのことでいろいろ私が個人的に苦悩してきたこともまた、このブログで書かれていると思う。
最近の会合では、就職試験で出会った、身体最重度だが知的ノーマルな方が、無理をして重症心身障害児者と合わせていて、それを地域ボスである理事長が絶賛していたことを話した。
どちらも非常に嫌な光景だった。

保護者たちの間では「軽度は重度」という言葉がある。
軽度の障害者は福祉施設から補足されにくく、かえって重度だ。という言葉だ。
これ、重度障害者の親たちのルサンチマンだ。
「浮き輪モード」で、憐れみをもって離れることだ。

医療福祉なんて、いらない人は使わなければいい。
福祉利用、障害受容。本人が決めればいい。
置かれた場所がかったるければ、次の高みを狙えばいい。
高みを狙うとき、支援してくれる医療福祉支援者は、おそらくとても少ない。
高みに行きたい人は、支援をぶっ倒してでも突き進むことだ。

私はそうやってきたから、もとからあった障害と年を取って機能低下したことが相まって、本格的な支援が必要になりつつある今、蓄積された有形無形の自己資本で、のびのびとできているのだ。

決めるのは本人だ。他人ではない。
医療福祉職の方々。放牧しすぎるなよ。
利益絞り取りのやりすぎは、警察が来るぞ。裁判になるぞ。メディアで叩かれ有名になるぞ。と、警告しておく。

 

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