今日も介護殺人の記事を2本、偶然目にした。
一本目は、うつ病の人による、知的重度の息子殺しの判決が本日あるという報道。
二本目は、これ。介護殺人だ。
「生活保護を受けたくない」と言わせてしまう社会の「空気」 - 赤木智弘|論座 - 朝日新聞社の言論サイト (asahi.com)
この国の空気感もさることながら、やはりうつ病となって死ななければスイッチが入ったとしても、冷静な心はないとな。
自殺や心中は、それを事後処理することが大変だと、かつてかわいがってくれた元海保職員の元上司から聞いている。彼は自殺者処理が余りにも悲惨で嫌で、海保を辞めた。と聞く。
この元上司の言葉を胸に。希死念慮の時は死なないで座り込み、頓服飲んでしのいでいる。
気分は一時のもの。死にたいスイッチは一晩。ひどい時でも3日たてば収まる。
自殺の影響は大きい。事後処理の人の負担が大変だ。
と、理性をもって理解できる。
社会的に迷惑。雨宮処凛は自殺のコストを計算してくれている。彼女自身、自分の死を真剣に考えて作品だと思う。
そして自分の信仰にも反することだ。
自分の十字架を背負って生きろと神様から命じられているのだから、今日もそうするだけ。
うつ病で殺してしまった人に必要な環境は刑務所ではなく精神科病院だと思う。
寛大な処置とかではなく、心神耗弱で無罪でもなく、執行猶予つけてそのまま希死念慮をコントロールできるまで入院、だと思う。
私たちは人生の悲惨を今日も生きている。
私は自分の人生が悲惨だと自覚しても「殺してはならない」という十戒の戒めを、今日も守るべきだ。
とはいえ今日も、「指殺人」が、ネット上で繰り広げられている。
どうしたものかとおろおろするが、そういう人間にどうにもならないことは、神様に委ねて祈るべきだと、昨日改めて気づいた。
もうすぐクリスマス。そして電通事件でスイッチ入れてしまった高橋まつりさんの命日だな。
母上の悲しみは今でも続く。そして電通から賠償金は取れても刑事罰はたった罰金50万。
焼身自殺した静岡の元教員のキリスト教徒の話も思い出される。
二人とも勇敢で優秀な女性だったが、やはり惜しい。撤退する勇気が欲しかったな。
仕事で死ぬくらいなら精神科にかかる覚悟を決めて診断書とって休んで、辞めろというなら解雇してもらつて、障害者になったことを受け入れて、再起の時のために精一杯できることをしたほうがいいな。
主よどうか、今日一日の業を守り給え。
殺人や魂の殺人を犯す隣人を、私をこの世から去らせようとする敵を、許し給え。