昨年12月15日付け広報しばたお知らせ版にアナウンスがありました。
正月明けの運動不足解消のため、参加してきました。
時おり小雪から小雨模様の天気です。すっかり身支度をして歩きます。
槻木生涯学習センターに集合し、主催者の挨拶、コースの説明等がありました。
歩き始める前に、センター内に「つきのき=けやき」の輪切りの株が展示していました。
何度も行っていますが、案内の看板もなく、初耳です。(アナウンスが足りません柴田町さん)
槻木の旧街場(奥州街道)を歩きます。
街角に石碑があります。秋葉神社碑ですが、右わたり道とあります。
ここを右折し、阿武隈川を渡船(小山の渡し)を経て亘理町に向かう道です。
四日市場にて、案内人からここに一里塚があったと、説明がありました。
宮城県公文書館にて、明治21年の柴田郡村官有地調査簿を探しだし場所を特定したとの
ことでした。柴田町内には全部で3か所ありました。
平成7年7月7日に開通した槻木大橋(全長777.777m)(7が一杯のパワースポット満載の橋です)
橋の歩道部に阿武隈川を詠んだ和歌のプレートが埋め込んでいます。
中央部には、「古今集」東歌にある「陸奥歌」
「あぶくまに霧たちくもりあけぬとも君をばやらじまてばすべなし」
があります。
阿武隈川下流水回廊構想懇談会・平成10年6月に建設省東北地方建設局仙台工事事務所から
発行された「阿武隈川の抒情(うた):帯には「阿武隈川に祈りを込めて、人々の出逢いや別れを切々と
詠んだ古人の珠玉の和歌集」には、橋にあるプレートに他20首の和歌が収載されています。
小山の渡し記念公園を堤防から見る(時間がなく近くまで行けなかった)
堤防上には、四等三角点「槻木」があります。以前は保護石4個に囲まれた標石でしたが、
駐車場に向かう車がカーブのため、標石にぶつかるため埋設型になっていました。
槻木白幡の東禅寺には、船岡城の殿様「原田甲斐」が寛文事件で斬死し、一家は断絶となりましたが、
母親の七回忌の供養碑があります。
旧奥州街道沿いには里程標、河川測量の標石があり、案内をします。
船迫地区の内余川には一里塚があり、その案内板や標柱があります。本当の位置は現在の国道4号線
内にあるため、町有地に許可を得て設置してあります。
いろいろなHPに一里塚の写真があり、ここ内余川もアップされていますが、本当の位置は少し
離れたところにあるということはどこにも書いていません。
その後、船迫の町並み、大正年間に河川改修された白石川の旧河道、薬師堂、熊野神社、大光院等
をまわり、当初2時間の予定が3時間を超しました。
反省会は船岡・陣屋にて昼食を兼ねて行いました。
なお、この実行委員会では、今年7月下旬に「小山の渡し祭りと東日本大震災パネル展」を
開催予定とのことでした。管理人にも実行委員会に加わってほしいとのことでした。
正月明けの運動不足解消のため、参加してきました。
時おり小雪から小雨模様の天気です。すっかり身支度をして歩きます。
槻木生涯学習センターに集合し、主催者の挨拶、コースの説明等がありました。
歩き始める前に、センター内に「つきのき=けやき」の輪切りの株が展示していました。
何度も行っていますが、案内の看板もなく、初耳です。(アナウンスが足りません柴田町さん)
槻木の旧街場(奥州街道)を歩きます。
街角に石碑があります。秋葉神社碑ですが、右わたり道とあります。
ここを右折し、阿武隈川を渡船(小山の渡し)を経て亘理町に向かう道です。
四日市場にて、案内人からここに一里塚があったと、説明がありました。
宮城県公文書館にて、明治21年の柴田郡村官有地調査簿を探しだし場所を特定したとの
ことでした。柴田町内には全部で3か所ありました。
平成7年7月7日に開通した槻木大橋(全長777.777m)(7が一杯のパワースポット満載の橋です)
橋の歩道部に阿武隈川を詠んだ和歌のプレートが埋め込んでいます。
中央部には、「古今集」東歌にある「陸奥歌」
「あぶくまに霧たちくもりあけぬとも君をばやらじまてばすべなし」
があります。
阿武隈川下流水回廊構想懇談会・平成10年6月に建設省東北地方建設局仙台工事事務所から
発行された「阿武隈川の抒情(うた):帯には「阿武隈川に祈りを込めて、人々の出逢いや別れを切々と
詠んだ古人の珠玉の和歌集」には、橋にあるプレートに他20首の和歌が収載されています。
小山の渡し記念公園を堤防から見る(時間がなく近くまで行けなかった)
堤防上には、四等三角点「槻木」があります。以前は保護石4個に囲まれた標石でしたが、
駐車場に向かう車がカーブのため、標石にぶつかるため埋設型になっていました。
槻木白幡の東禅寺には、船岡城の殿様「原田甲斐」が寛文事件で斬死し、一家は断絶となりましたが、
母親の七回忌の供養碑があります。
旧奥州街道沿いには里程標、河川測量の標石があり、案内をします。
船迫地区の内余川には一里塚があり、その案内板や標柱があります。本当の位置は現在の国道4号線
内にあるため、町有地に許可を得て設置してあります。
いろいろなHPに一里塚の写真があり、ここ内余川もアップされていますが、本当の位置は少し
離れたところにあるということはどこにも書いていません。
その後、船迫の町並み、大正年間に河川改修された白石川の旧河道、薬師堂、熊野神社、大光院等
をまわり、当初2時間の予定が3時間を超しました。
反省会は船岡・陣屋にて昼食を兼ねて行いました。
なお、この実行委員会では、今年7月下旬に「小山の渡し祭りと東日本大震災パネル展」を
開催予定とのことでした。管理人にも実行委員会に加わってほしいとのことでした。