小学校低学年の頃、父の転勤で東北の山間部の小さな村に住んでいたことがあります。
20年ほど前仙台にいた頃に、ふとそこを訪れてみたくなり車を飛ばしていったことがあります。
鉄道の駅舎を中心に何10戸かの家があって、大きな川沿いに点々と家がある。
そして村のはずれは両方とも橋で終わっている。
子供の頃、その橋から橋まで歩いても1時間程度でした。
そして橋の向こうには何があるのか想像すらしませんでした。
橋から橋までが生活空間となっており、2年間住んで橋を渡ることは遂にありませんでした。
訪れた時、鉄道の駅は既に無人駅になり、当時のまま残っていました。
車で通り抜けるのに10分とかからない村落です。
実に不思議な感覚でした。
そんな狭い空間に閉じ込められて、橋を渡ってみようとも考えなかったことが信じられないことでした。
多分橋の向こうは人家も無く、ただどこかに通じる道路があっただけなのでしょうが。
橋の向こうは未知の世界、しかし、挑戦してみようとは1度も考えなかった。
臆病というか、限られた範囲に満足してしまうというか、そんな性格を感じてしまう。
20年ほど前仙台にいた頃に、ふとそこを訪れてみたくなり車を飛ばしていったことがあります。
鉄道の駅舎を中心に何10戸かの家があって、大きな川沿いに点々と家がある。
そして村のはずれは両方とも橋で終わっている。
子供の頃、その橋から橋まで歩いても1時間程度でした。
そして橋の向こうには何があるのか想像すらしませんでした。
橋から橋までが生活空間となっており、2年間住んで橋を渡ることは遂にありませんでした。
訪れた時、鉄道の駅は既に無人駅になり、当時のまま残っていました。
車で通り抜けるのに10分とかからない村落です。
実に不思議な感覚でした。
そんな狭い空間に閉じ込められて、橋を渡ってみようとも考えなかったことが信じられないことでした。
多分橋の向こうは人家も無く、ただどこかに通じる道路があっただけなのでしょうが。
橋の向こうは未知の世界、しかし、挑戦してみようとは1度も考えなかった。
臆病というか、限られた範囲に満足してしまうというか、そんな性格を感じてしまう。