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思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

目線を感じる

2005年10月06日 | Weblog
近所のカラオケス喫茶のママの話。
今までに同じ話を少なくとも3回は聞いた。
ジーンズの話だが、同じ話を同じ人に3回もするのはやはり年のせいか。

彼女はバツイチで2人の子持ち、若い30代の頃に同じ場所で喫茶店を経営していた。
いつも昼過ぎに訪れる中年のサラリーマンがいたそうだが、いつもジーッと後ろから見詰められているような目線を感じていたという。
振り向くと新聞に目をやってそ知らぬ顔をしている。

ある時彼は遂に突然言ったそうだ。
「ママはジーンズがとってもよく似合うね」
それを聞いてママは何か「ゾーッ」としたといってます。

最初はこの話、そのスケベなサラリーマンのいやらしい目線に恐怖を感じた話なのかと思っていました。
最近そうじゃないんだと気が付きました。
自分の若い頃のジーンズ姿がどんなによかったのか自慢したかったのです。
ジーンズに関しては、いろいろウンチクを傾けて自説を述べます。
ああいう体型の人はジーンズを履いたらアカン、とかいろいろ。

そして私が通うようになって初めて最近ジーンズを履いてるのを見ました。
一応「ママ似合ってるやん」とは言いました。
でもそれは嘘も方便というやつです。
いい年のオバハンが履くもんじゃありません。


人の死

2005年10月06日 | Weblog
素人演劇グループの若い女性の団員さん。
幼稚園の女の子を連れてきていたし、その娘さんもチョイ役で出演したりしていた。
彼女は30代の前半かなあ。

その彼女がここ2ケ月位顔を出していない。
母親が事故で急死したという。
そのショックで泣き暮らして悲嘆のあまりとうとう耳が聞こえなくなってしまったらしい。
それほどまでに嘆き悲しむなんて、何があったんだろう。
事故についての説明は無かったし、突然の交通事故、もしかして彼女の不注意が原因の事故かな、とかいろいろ想像を巡らしてしまう。
母親とは深い愛情で結ばれていたのだろう。

こんなことを書くとヒンシュシを買いそうだが、私自身は人の死に対して非常に淡白で、あたかも冷血人間の如くだ。
親父も弟も臨終に立ち会うことは無かったし、その死は淡々と受け入れて涙一筋も流れなかった。運命として素直に受け入れた。
弟は40代の若い死だった。

臨終に立ち会ったことがあるのは、女房の弟の死。
彼は脳腫瘍の手術をしたが、治癒することは無く死期は近いことをみな知っていた。
病院からの知らせで私と母親と女房が駆けつけた。
話しかけると微かに応答していた。
死は私一人が彼のそばにいる時に訪れた。彼女等は所用で席を外していた。

死はフッと音も無くやってくる。
生命活動の終わりを告げるサインが現れ、力が消え失せ呼吸停止、話しかけても最早何の反応も示さなかった。
苦しい闘病生活から開放されたような笑みを浮かべていたような気がする。
その時も悲しいという感情よりも、死によって彼が何かを得たような感情を持った。

将来、いつかある自分自身の死も淡々と受け入れていければいいなと思う。
遅かれ早かれ、あるいは突然にやってくるものでもあるし。
無理かもしれないが、女房も悲しまずに見送って欲しいなと思う。