思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

洋服コンプレックス

2005年10月09日 | Weblog
今日、近所に出来たカラオケ喫茶で歌っての帰り道で、同じマンションの住人とすれ違った。親子3人で連れ立って歩いている。
「アレッ」と思った。
その奥さん、いつも出会う時は洋服も髪もバッチリ決めて颯爽としているのに、髪も手入れなし、洋服も冴えないし、靴までみすぼらしい感じがした。
いつも明るくニッコリ挨拶して、ドキッとするほど妖艶感を漂わせているのに、完全にくすんで少し伏目がちだ。

気分が原因して姿に表れているのか、洋服が原因で表情もくすんでいるのか。
身につけているものが原因しているように思えた。

私は子供の頃から洋服コンプレックスを持っていた。
今の時代では理解できないかもしれないが、我が家は貧乏で、他の家庭が経済成長と共に徐々に裕福になっていくのに、取り残されたようにずーと貧乏だった。
いつもみすぼらしい服装をしていたように思う。
冬のオーバーコートもマフラーも親父のお下がりだったりした。
その貧しさをイジイジと感じながら青春時代を送った気の弱い子供だった。

そんなことは別として、服装は大いに気分に影響すると思う。
女房も新しい洋服を身につけるときは顔も晴れやかだ。
私の服装にもいちいち文句を言う。
「そんな洗いふるしたTシャツは外出する時は着ないでっ」とか。
そんなわけで、年寄りは服装に気を使わなくてはいけない。
気分が引き立つような服装を心がけよう。

偶然の連なり

2005年10月09日 | Weblog
人生は偶然の連なりのように思う。
必然という考え方もあるが、やはり偶然の連鎖だ。
従って何が起こるか分からないのが人生だと思う。

生を受けることがまず偶然だ。
親を選ぶ訳にはいかない。両親の気まぐれで偶然に人は生まれる。

転居するのも、親の勤務先の人事関係者が偶然に親の勤務先を選んだに過ぎない。
別の人が選ばれれば別の勤務先に転居していた。

友人も偶然だ。
1億2千万人の人口のうちの僅かな人が友人になる。可能性は無数に近くあるのに。

恋人も結婚も偶然だ。
対象は何百万人といたはずなのに、結局1人を選ぶ。偶然としか言いようが無い。
結婚しないのも偶然だ。
無数の組み合わせがあったはずなのに、選ぶ機会にめぐり合わなかっただけのことだ。

今住んでいる土地も偶然に過ぎない。
この土地に住む必然性はまったく無かった。
来年は何かの偶然で別の土地に住むかもしれない。

災難も偶然である。
予想だにしないことが起こる。必然であるはずが無い。

チャンスも偶然に訪れる。
チャンスには備えが必要だ。
備えが無ければチャンスを認識できない。
偶然のチャンスを次々に捉えて生きていくことが、人の幸不幸を決めるように思う。
従ってチャンスは狙わなければならない。
人生の勝者に、何が人生の勝者か人夫々に考えの違いはあるだろうが、なるにはチャンスを見逃さないようにしなければならない。
チャンスに気づかず傍観する人は現状を変えることが出来ない。
人生は偶然の連なりであるにしても、時々訪れる偶然のチャンスを捉えて生かすことが、人生を主体的に生きることになると思う。

私の独りよがりのつぶやきです。