思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

欠落しているもの

2005年10月12日 | Weblog
プロのスナックのママさんは、一度来店した客の名前はシッカリと記憶に刻み込み殆ど忘れることは無いという。
商売繁盛に結びつく事柄だから、欲絡みで憶える努力をするといえばそれまでだが記憶力には感心する。

今日の英会話サークルの講師も生徒の全員の名前は直ぐに覚えた。
教える立場の者は生徒の名前の覚えることは必須優先事項だが、憶えの速さには関する。
私は週に一度顔を合わせるだけということもあるが未だに生徒の名前は殆ど覚えていない。礼儀を欠くなと反省している。
マンションの隣の住人の苗字も覚えていない。
私は昔から人の名前を覚えるのが異常なほど苦手だ。営業の仕事でなくてよかったと思う。
というか、そういう私には人と接する営業の仕事は無理だ。

しかし特別の関心を持った人の名前は覚える。
ライバル心を燃やす、大嫌い、好きになった、敵愾心をもった、尊敬するなどの理由がないと記憶にとどまらない。ボケの始まりでなく若い時からそうだ。

その他にも私に欠落しているのは、草木花の名称、料理食べ物の名称が特に酷い。
花の名称は殆ど知らない。従って花の名称を言われてイメージを浮かべることが出来るのはごく僅か、○○を食べようかといわれてもイメージが湧かない。
あまり花に接していないことも原因かもしれない。
エジプトでガイドに花の名前を聞いても殆ど知らない、みんな単に「花」としか言わないとか言っていたが、私と似ているなと思ったことがある。

メニューをみて注文するのは苦手、ウインドーの現物を見て注文することが多い。
カタカナで書かれた料理はまったくお手上げで殆ど分からない。
食堂で定食ばかり食っていたせいかも知れない。
女房が時々「あなた、今何を食べてるか分かってる?」とからかう。

多分、私の脳細胞は偏った記憶の皺を刻んでいると思う。
欠落している分に相当する別の知識が詰まっているかといえばそうも思えない。
そういう意味で女房は「あんたは欠落人間や」と時々言う。

自分の仕事に関係あることは必死で覚えたものだが、特に利害関係のないことは記憶から排除する習慣が身についてしまったのかもしれない。