犬も歩けばとは言った話で、時には実際の体験となるとは思いもかけませんでした。開催中の村山槐多ガランスの悦楽(東京渋谷松濤美術館、10年1月24日まで)には電車の吊り広告に気を引かれ、渋谷区には失礼ながら「区立美術館の趣味的」作品展との秘めた疑りを心にしまい込んで、覗くだけのつもりで足を運んだのですが全くの誤解でした。趣旨の真摯な一徹さと内容の豊かさすっかり感激しました。作品リストを見ると数少ない油彩の9点を含む142点。槐多のコレクションで名高い信濃デッサン館、貸し出しの渋い国立近代美術館など全国各地から、まさに「全国行脚してお願いした」(=会場の受付様から聞きました)汗水の結晶みたいな作品展です。没後90年、今もって画風の新しさと、対象へ肉迫する槐多の激しい魂に感激することができました。展示全容を通して天才槐多の生き様に触れ、休憩のソファで涙を落とすをしばし禁じる勇気を私は持てなかった。きっと棒に当たったのでしょう。
何点か作品を取りあげます、一連の自画像の中で「紙風船をかぶれる自画像」(個人蔵水彩1914年18歳)、即興に紙風船を半円に絞り頭に載せたポーズです。その即興のありがちの「おふざけ」は微塵も存在しない。紙風船を被る慨然的心理があった訳で、紙風船に彩られた表情は異様で奇怪。諦観冷ややかさが目に充満している。4年後1918年の自画像(木炭個人蔵)には表情の異様さはさらに増し、対象に迫り対象の心に入り籠む厳しさが見えます。自画像なので対象は彼自身になるのでしょう、自身を許さない目付きに進化しています。
バラと少女(1917年国立近代美術館蔵)和服の少女は乱れ加減の着付けと無造作な構えで立っています。少女の顔は明るく光る。日を受けて歓んでいるのだろう、真横に日を受けるのなら夕日となる。夕日を顔いっぱいに注がれ、その暖かさに歓び夕日とその方向、西の彼方を見つめている。西の彼方にはあの世があるとは日本人の信仰です。少女が見つめているのは死者の国でです。しかし彼女は歓びで死者の国を見ている、そこに槐多の旅立ち先があると知っているためだ。
背景のバラが少しも生き生きと見えず、死者の国の死に花に見えるのは私だけでしょうか。
同年に描かれた湖水と女(作家の田村泰次郎、評論家の洲之内徹氏収蔵のあと現在ポーラ美術館)。モナリザの画想を得ているのは一見して分かります。かの絵と異なるのは目にも口もとにも「頬笑み」がありません。湖水を背景にした女性は沈んだ表情で硬く口を結び、視線を落とし遠方を見ています。無表情の諦観の目付きがここでも伺えます。会場での作品紹介ではこの絵は特定のモデルを描いたのではなく、巡り会い追慕した女性(達)を思い浮かべながら描いた別れの作品とのです。女の表情は槐多の寂しげさを表現している。近代絵画の傑作です。収蔵していたのは反骨の評論家洲之内氏、槐多を評価し積極的に紹介しました。その彼が師匠の田村氏から画廊と共に譲り受け、自慢げに看板の作品として展示していたのですが、顧客に見せるだけで絶対に売却しなかったというエピソードを聞きました。女の寂しい表情には吸い込まれるような魔力があると言えます。
展示の表題に使われているガランスとは茜色の事です。明治期に輸入が始まり槐多を始め多くの画家に愛用された、しかし原色を大胆に使用したのは彼だけとのことで「~の悦楽」とのキャッチを採用したとのことです。しかし私は「~の寂寥」ととらえてしまった。当時結核を患うとは早世を意味していた。本人もその予感はあったはずで23歳の前1919年2月に結核肺炎で死んだ。画業は18歳から5年、死を見つめながら駆け抜けた生涯。彼のテーマは自身を対象に融合することでした。人物に自身が乗り移り、死に行くという寂寥を絵画に表現し生きた証を残す。熱情の表現とされるガランスの効果を逆手にとった手法はまさに彼の叫びと言えます。
以下は部族民トライブスマンの独り言です。
>槐多は絵の対象に魂の目で肉迫し、自身の魂を植え込んだ。彼の視線は天才であると同時に魂の目でもあった。人は霊魂の世界を見ることができない、彼は大いなる例外で自身の霊を見ることができた<
霊魂の世界は駅前の焼き鳥サブちゃんの主人サブロ特製の霊メガネを掛ければ誰でも見えます。詳しくは左のブックマークから部族民通信のHP版をクリックしてください。小説「冷たい宇宙熱い祈り」は霊世界の風景を描いてます。
何点か作品を取りあげます、一連の自画像の中で「紙風船をかぶれる自画像」(個人蔵水彩1914年18歳)、即興に紙風船を半円に絞り頭に載せたポーズです。その即興のありがちの「おふざけ」は微塵も存在しない。紙風船を被る慨然的心理があった訳で、紙風船に彩られた表情は異様で奇怪。諦観冷ややかさが目に充満している。4年後1918年の自画像(木炭個人蔵)には表情の異様さはさらに増し、対象に迫り対象の心に入り籠む厳しさが見えます。自画像なので対象は彼自身になるのでしょう、自身を許さない目付きに進化しています。
バラと少女(1917年国立近代美術館蔵)和服の少女は乱れ加減の着付けと無造作な構えで立っています。少女の顔は明るく光る。日を受けて歓んでいるのだろう、真横に日を受けるのなら夕日となる。夕日を顔いっぱいに注がれ、その暖かさに歓び夕日とその方向、西の彼方を見つめている。西の彼方にはあの世があるとは日本人の信仰です。少女が見つめているのは死者の国でです。しかし彼女は歓びで死者の国を見ている、そこに槐多の旅立ち先があると知っているためだ。
背景のバラが少しも生き生きと見えず、死者の国の死に花に見えるのは私だけでしょうか。
同年に描かれた湖水と女(作家の田村泰次郎、評論家の洲之内徹氏収蔵のあと現在ポーラ美術館)。モナリザの画想を得ているのは一見して分かります。かの絵と異なるのは目にも口もとにも「頬笑み」がありません。湖水を背景にした女性は沈んだ表情で硬く口を結び、視線を落とし遠方を見ています。無表情の諦観の目付きがここでも伺えます。会場での作品紹介ではこの絵は特定のモデルを描いたのではなく、巡り会い追慕した女性(達)を思い浮かべながら描いた別れの作品とのです。女の表情は槐多の寂しげさを表現している。近代絵画の傑作です。収蔵していたのは反骨の評論家洲之内氏、槐多を評価し積極的に紹介しました。その彼が師匠の田村氏から画廊と共に譲り受け、自慢げに看板の作品として展示していたのですが、顧客に見せるだけで絶対に売却しなかったというエピソードを聞きました。女の寂しい表情には吸い込まれるような魔力があると言えます。
展示の表題に使われているガランスとは茜色の事です。明治期に輸入が始まり槐多を始め多くの画家に愛用された、しかし原色を大胆に使用したのは彼だけとのことで「~の悦楽」とのキャッチを採用したとのことです。しかし私は「~の寂寥」ととらえてしまった。当時結核を患うとは早世を意味していた。本人もその予感はあったはずで23歳の前1919年2月に結核肺炎で死んだ。画業は18歳から5年、死を見つめながら駆け抜けた生涯。彼のテーマは自身を対象に融合することでした。人物に自身が乗り移り、死に行くという寂寥を絵画に表現し生きた証を残す。熱情の表現とされるガランスの効果を逆手にとった手法はまさに彼の叫びと言えます。
以下は部族民トライブスマンの独り言です。
>槐多は絵の対象に魂の目で肉迫し、自身の魂を植え込んだ。彼の視線は天才であると同時に魂の目でもあった。人は霊魂の世界を見ることができない、彼は大いなる例外で自身の霊を見ることができた<
霊魂の世界は駅前の焼き鳥サブちゃんの主人サブロ特製の霊メガネを掛ければ誰でも見えます。詳しくは左のブックマークから部族民通信のHP版をクリックしてください。小説「冷たい宇宙熱い祈り」は霊世界の風景を描いてます。