6月28日のブログで「島倉千代子駒ひき考」を投稿しました。その続編です。
(28日にはどうしても開けなかったSP版の千代子稗搗節(お休みの前の1曲)が本日
=7月7日=には開けました。早速聞き直し彼女の美声を堪能しました。皆様も
youtubeでブラウザして下さい)
聞き直して解釈がかわりました。
1番2番の相聞唄は大八と鶴富の「最後の別れ」を歌ったものではないかと。
平家追討で大八は山深い椎葉で鶴富と会うのだが、2年の長き彼女との愛で過ごす。
頼朝の直々の命で板東への帰還となった。その別れの情景を歌ったのがこの
歌詞ではないかと。
別れの日、
御殿で旅行きの安全を祈願する出立の儀が催された。無事終わり烏帽子甲冑に太刀さげ
姿の大八がいざ出でんの時。鶴富は裏庭から駒をひき、手綱を大八に渡す。
その時大八が「♪庭のさんしゅの木…」と鶴富に歌いかける。その真の意味は直訳は「…鈴ならす、出てきてね…」だが、ここには部族民思考的暗喩が含まれている。鈴とは大八なのだ。
歌詞の意訳は「遠く板東は那須が原に帰る、鈴をかける。この鈴は鳴る、きっとここに戻り、鈴を鳴らすぞ」なります。
鶴富返して「♪鈴を鳴らすはあなただけよ、あなたが帰ってきたら駒に水やると(言い訳して)私飛び出るわ…」
その解釈で3番の「目に涙」とのつながりがよりわかりやすくなります。彼は「私は鈴を鳴らせない」と知った上での鈴かけだから泣いているのです。那須と椎葉、1500キロはあります。生きて別れが死にの別れとなる決別に恋人を置いての直命帰還。まさに涙の別れです。
鎌倉初期は部族民思考が風靡していたので、感情を直接訴えるのではなく、唄にのせて語りかけるー彼は
「お前が好きだよ、きっと帰る待っていて」などの直接話法はせずに、鈴をサンシュの木にかけた。鶴富だって「あなた、きっと帰ってきてね」とは言わない。だから「帰ってきたら駒に水あげるからね」と返した。「駒に水」は前述で言い訳、跳びだして抱きつきたいのです。そして部族民は人前で抱きつきしないので、見つめ合うだけかも知れないが。
大八がかけた鈴はまさに彼自身の分身であり、鈴と駒は部族民どもが信じているもう一人の個人「アルターエゴ」と解釈できる。
この民謡は800年前のある事件「板東若武者が九州(当時は筑紫)在郷の奴卑と恋愛した」を歌った叙事詩であったと気づいたのです。鶴富を在郷武士の姫とする解釈が多い。地元での説明も姫であろう。投稿子はあえて奴卑とした。手綱引くのも駒に水やりに立つのも奴卑の仕事であるし、若武者と奴卑の愛、一大事件であるから民謡にも残ったのだ。
蛇足:やっぱり鶴富はお千代さんですね。控えめ、でもふっくらで大柄。大八は誰だろう、貴一、ヨン様?誰でもいいや。トライブスマンでないのははっきりなんだから。
蛇足(12年7月18日に追):関東の男と筑紫(九州)の女性は相性がよい。荒くれ関東夷はしとやか筑紫女子に惹かれるのだろうと考えます。
(28日にはどうしても開けなかったSP版の千代子稗搗節(お休みの前の1曲)が本日
=7月7日=には開けました。早速聞き直し彼女の美声を堪能しました。皆様も
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聞き直して解釈がかわりました。
1番2番の相聞唄は大八と鶴富の「最後の別れ」を歌ったものではないかと。
平家追討で大八は山深い椎葉で鶴富と会うのだが、2年の長き彼女との愛で過ごす。
頼朝の直々の命で板東への帰還となった。その別れの情景を歌ったのがこの
歌詞ではないかと。
別れの日、
御殿で旅行きの安全を祈願する出立の儀が催された。無事終わり烏帽子甲冑に太刀さげ
姿の大八がいざ出でんの時。鶴富は裏庭から駒をひき、手綱を大八に渡す。
その時大八が「♪庭のさんしゅの木…」と鶴富に歌いかける。その真の意味は直訳は「…鈴ならす、出てきてね…」だが、ここには部族民思考的暗喩が含まれている。鈴とは大八なのだ。
歌詞の意訳は「遠く板東は那須が原に帰る、鈴をかける。この鈴は鳴る、きっとここに戻り、鈴を鳴らすぞ」なります。
鶴富返して「♪鈴を鳴らすはあなただけよ、あなたが帰ってきたら駒に水やると(言い訳して)私飛び出るわ…」
その解釈で3番の「目に涙」とのつながりがよりわかりやすくなります。彼は「私は鈴を鳴らせない」と知った上での鈴かけだから泣いているのです。那須と椎葉、1500キロはあります。生きて別れが死にの別れとなる決別に恋人を置いての直命帰還。まさに涙の別れです。
鎌倉初期は部族民思考が風靡していたので、感情を直接訴えるのではなく、唄にのせて語りかけるー彼は
「お前が好きだよ、きっと帰る待っていて」などの直接話法はせずに、鈴をサンシュの木にかけた。鶴富だって「あなた、きっと帰ってきてね」とは言わない。だから「帰ってきたら駒に水あげるからね」と返した。「駒に水」は前述で言い訳、跳びだして抱きつきたいのです。そして部族民は人前で抱きつきしないので、見つめ合うだけかも知れないが。
大八がかけた鈴はまさに彼自身の分身であり、鈴と駒は部族民どもが信じているもう一人の個人「アルターエゴ」と解釈できる。
この民謡は800年前のある事件「板東若武者が九州(当時は筑紫)在郷の奴卑と恋愛した」を歌った叙事詩であったと気づいたのです。鶴富を在郷武士の姫とする解釈が多い。地元での説明も姫であろう。投稿子はあえて奴卑とした。手綱引くのも駒に水やりに立つのも奴卑の仕事であるし、若武者と奴卑の愛、一大事件であるから民謡にも残ったのだ。
蛇足:やっぱり鶴富はお千代さんですね。控えめ、でもふっくらで大柄。大八は誰だろう、貴一、ヨン様?誰でもいいや。トライブスマンでないのははっきりなんだから。
蛇足(12年7月18日に追):関東の男と筑紫(九州)の女性は相性がよい。荒くれ関東夷はしとやか筑紫女子に惹かれるのだろうと考えます。